ダフネ・デュ・モーリアのレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
1951年作。
とても充実した、良い小説だった。
なにしろこのところ『聊斎志異』や江戸時代の草双紙集を読んでシンプルな「物語」の楽しさを味わい、次いで西村京太郎さんの今風のスカスカな小説世界を『スーパー北斗殺人事件』でざっくりと走り抜けてきた私は、本書のページをめくりたちまちにして<西洋近代小説>の重厚で濃密な文学世界に放り込まれたのだった。
主にサスペンス系、すなわちエンタメ・サイドの作家と思われるだろうが、このダフネ・デュ・モーリアの文学作品は恐ろしく緻密に描き込まれた心情や情景が鮮やかな、エモーショナルに充実した作品世界なのである。この音調は、西欧19世紀後半の後期ロマン派の調性音楽を思わせる。さらに言えば、このほとんど過度なまでに書き込まれた描写の重さ・そしてある意味「まどろっこしさ」は、セザール・フランクの交響曲のそれに似ている。もちろん20世紀半ばの本作なので、「遅れてきたロマン主義者」「頑なな伝統主義者」に分類されることだろうが。
本作のような濃密な情緒性と「まどろっこしさ」は、現代の、スピードを至上のものと据える情報消費社会の読者には「重苦しくてつまらない」「読むのに時間がかかりすぎる」等といった不評の種となることだろう。どこまでもgraveなこの文学世界を味わい尽くすには、現代人の心は多忙に過ぎることだろう。
本作は20代男性の「わたし」の1人称として、その眼前に現れる謎の女性(絶対他者としての異性)レイチェルの実体を掌握しようともがくその焦燥感の物語である。女性の作家が男性の視点を通して、女性という謎を追究するという倒錯したこの構図は、素晴らしく上手くいっている。ナイーブなタイプの主人公男性をよく捉えており、その心理描写は濃やかで実にリアルだ。
圧倒的な心理描写のストリームに「他者」レイチェルの像がちらつき、近づき、遠ざかり、やがて破局へと向かう。本当に後期ロマン派音楽の圧倒的クライマックスを思わせる。
ここでは肉も情感も過剰であり、その過剰さによる息苦しさがそのまま、この文学世界の価値となっている。かけがえのない値打ちのある小説と思う。 -
Posted by ブクログ
イギリスはコーンウォールの原野に建つ元宿屋の館「ジャマイカ・イン」は、建物も住む人も禍々しく謎めいていた。
若き女性が孤独の身となって、叔母が住むその館に頼よるしかなかったのだから、叔母が息も絶え絶え、叔父が荒くれ男で、災禍がおこるのもやむなし、けれども自立心の強い女性であるゆえ、危険がせまっても、冒険をせずにはいられない、避けられない。なるべくして謎と暴力との目まぐるしい展開になるのを、息もつかせず読まされるのであった。
コーンウォールの荒々しい風景描写と心理描写が巧みでグッと引きつけられ、設定は19世紀なのに現代をも彷彿させる困難な女性自身の自主独立へのあがきは心強いものがある。
『レベッカ』の嫋々としたサスペンスとは違う面白さ、ローリングプレイング的の痛快さ。
お馴染みモーリアの「館もの」なんだけど『レベッカ』の「マンダレイ」といい、この「ジャマイカ」といい、館のネーミング、今は昔だけど、さすがは世界に進出したイギリスらしいよ。 -
Posted by ブクログ
19世紀半ば、イギリスはコーンウォールの領地にある古い館で、両親を亡くした主人公フィリップ(わたし)は従兄アンブローズに育てられた。
教育を授けてくれ、領地の管理、小作人達の面倒をみながら暮らす領主の生活を身に付けていった。ゆくゆくは領主という肩書きと莫大な財産を受け継ぐ身の坊ちゃまとして。
ところが40代になった従兄アンブローズは転地療養のためイタリアに度々出かけるようになり、ある年、レイチェルという女性と結婚してしまい、急逝してしまった。
わたしは従兄アンブローズを父と思い兄と思い、愛し愛されて穏やかに暮らし誰にも邪魔されずにいたのだったから、彼の妻となったレイチェルに猛烈な恨みを抱く。
レイチェルがフィレンツェからコーンウォールの館に訪ねてきた。
田舎くさい一途な青年と、洗練された魅力的な女性。
従兄アンブローズの疑惑に満ちた手紙と、必然的にやってきた恋のせめぎあい。『わたしが恋した女性は従兄を殺したのか?』(帯)
もうひとつの「レベッカ」と帯にある。同じようにそくそくと迫ってくるようなミステリの醍醐味、やはり一気に読ませる。
「レベッカ」もそうなのだが、冒頭のうまさ。結末の以外さ。
『人生はあともどりできない。引き返すことは出来ない。やり直しはきかない。』余韻が残る。 -
Posted by ブクログ
ヒッチコックの映画「レベッカ」の原作者として有名なデュモーリア。
「レベッカ」と双璧をなすといわれる作品です。
フィリップは、幼くして両親を失い、年の離れた従兄アンブローズに育てられます。
時代は19世紀。ひろびろとした荘園で、独身男ばかりの気楽な暮らし。
フィリップも成人した後、イタリア旅行に出かけたアンブローズはかの地で出会った女性レイチェルと結婚。
ほどなく病で世を去ります。
衝撃を受けたフィリップは、レイチェルを恨み、怪しむ。
訪ねてきたレイチェルを迎え撃とうという勢いでしたが、小柄でおとなしやかな美しいレイチェルに、あっという間に魅了されてしまいます。
微妙に態度を変えるレイチェルに翻弄されるフィリップ。世間知らずですからねえ‥
レイチェルは果たして悪女なのか‥?
クリスチアナ・ブランドの「領主館の花嫁たち」を読んだ後、似たテイストのものをもっと読みたくてたまらなくなって。
こういう話の大御所ともいうべきデュモーリアならいいかな、と。
堪能しました。
雰囲気たっぷりで、レイチェルの姿が目に浮かぶよう。
引き込まれて、あっという間に読めます。
いまや古典的な作品なので、ある意味ではシンプルなのですが、レイチェルの態度とフィリップがそれをどう解釈していくかというあたりが、何とも上手い。
じわじわと盛り上がっていく~そして、最後のスリリングな展開、この集中させっぷり、さすがです。 -
Posted by ブクログ
ダフネ・デュ・モーリアといえば、「レベッカ」「鳥」などの恐怖を煽るような小説の名手。
モーリアの、あまり有名でない作品。とはいえ、映像化はされているそうです。
時代は19世紀の初め頃、舞台はコーンウォール。
メアリーは、母と二人だけで農場をやっていたが、母が亡くなり、叔母のペイシェンスの元へ行くことになります。
叔母は、夫と共に旅館を経営しているという。
ボドミン・ムーアという荒野の真っただ中に建つ「ジャマイカ館」、そこは…
叔母はすっかり変わってしまい、顔色が悪く、おどおどしていた。夫であるジョスは荒っぽい大男で、夜になれば不審な輩が大勢集まってくる。
とうてい若い女性が住むようなところではない。
そう簡単には出て行きようもなく、弱っている叔母を見捨てることも出来ません。
女手で農場をやっていたメアリーにはそれなりに自立心もあり、出来ることをしようと気丈に働くのだったが。
ジョスの弟や、近在(といっても、けっこうある)の不思議な雰囲気がある牧師など、気になる男性も登場。
冒険ものといっていいのか。暗い設定なので、誰にでもおススメというわけにはいきませんが。
ぐいぐい危機が迫ってくる中を乗り切る、このインパクトは、ちょっと忘れがたいものがあります。 -
Posted by ブクログ
1966年、1970年、1971年に出版された原著からセレクトして訳出されたデュ・モーリアの短編集。
やはりこの作者の文体は濃く、なかなか巧みに書かれており、それを辿ってゆく読書体験は一種の「充足」である。このような「充足」を感じさせる文章といえば、久生十蘭を思い出す。それは単純なパロールの流れというよりも、よく寝られたコンポジションだ。
そんな完成度の高いデュ・モーリア文学だが、本書のうち、巻頭の「いま見てはいけない」はオチが弱くて、そこに至るまでは秀逸なだけに惜しいような作品だった。
最後の「第六の力」はSF小説。こんなものも書いたのかと驚いた。1編のSF短編として、ちゃんと水準に達していると思う。 -
Posted by ブクログ
イギリスのポドミン・ムーアという荒野の街道にポツンと立つジャマイカ館(実在していた旅館)。そこに巣くう荒くれ男たちに立ち向かう勇敢な女性メアリーの冒険物語。
彼女は母が亡くなったことで叔母ペイシェンスが住むジャマイカ館に身を寄せるが、建物は寂れ果てていた。夫であるジョスは荒くれ者の大男、叔母は昔の面影はなくやつれ、いつも怯えていた。そして、夜になると集まる不審な男たち、不気味な物音、酔っぱらっては異様に怖がるジョス。
うら若き女性なら普通は、怯え縮こまるところだが、メアリーはジョスに立ち向かったり、彼と他の男たちとのつながりを暴こうとする。ジョスの跡を追って原野をさまよったり、命の危機にも遭遇する。
ジョスの弟でこれもまっとうな人間でないジェム、原野で道に迷ったメアリーを救うがどこか冷たい印象のあるフランシス牧師。この二人もメアリーに絡む重要人物だ。邪悪な人間に果敢に立ち向かうメアリーだが、正義感よりも好奇心、冒険心がまさり、この二人に抱く彼女の気持ち、態度が非常に危なっかしい。一見、矛盾を感じてしまう彼女の揺れ動く心を読み解くのもこの小説の醍醐味か。
ヒッチコックが1939年に映画化しただけあって、ミステリーやサスペンスだけでなく、歪んだ心理が招く恐怖も加味されており面白かった。