【感想・ネタバレ】人形 デュ・モーリア傑作集のレビュー

あらすじ

島から一歩も出ることなく、判で押したような平穏な毎日を送る人々を突然襲った狂乱の嵐「東風」。海辺で発見された謎の手記に記された、異常な愛の物語「人形」。上流階級の人々が通う教会の牧師の徹底した俗物ぶりを描いた「いざ、父なる神に」「天使ら、大天使らとともに」。独善的で被害妄想の女の半生を独白形式で綴る「笠貝」など、短編14編を収録。平凡な人々の心に潜む狂気を白日の下にさらし、人間の秘めた暗部を情け容赦なく目の前に突きつける。『レベッカ』『鳥』で知られるサスペンスの名手、デュ・モーリアの幻の初期短編傑作集。

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Posted by ブクログ

「東風」は不穏で、イヤーな幕切れが予感されるのにどんどん読まされ、連れて行かれてしまう。
「ウィークエンド」は、サマセット・モームの短編のような皮肉と形式とオチを備え、よく出来ていて、私はこれが上位だな。
「そして手紙は冷たくなった」はレンアイあるある。俗物牧師には吹いてしまう。

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2017年01月18日

Posted by ブクログ

著者の意地悪い(シニカルな)視線の意識される作品群。濃淡さまざまに不穏の陰影で巧みに彩どられ、暗くぬかるんだ物語世界に浸ることができる。最もこの意地悪さは著者の人間(人間関係)への洞察力を示す(反映させた)ものである。
 牧師ホラウェイを主人公にした二篇『いざ、父なる神に』『天使ら、大天使らとともに』は要職に就く人間の欺瞞にみちたふるまいが的確に描き出されている好篇。ブラックユーモアの味わいの『性格の不一致』、語り口の亀裂から性格の歪(邪悪)が覗く『笠貝』(既読)、表題作『人形』は構成など大仰だけれどこれも好みの作。

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2018年02月04日

Posted by ブクログ

勝手にもっと時代がかった古い内容なのかと思っていたので(「レベッカ」「鳥」の原作者だから?)、なかなかに現代っぽい内容で面白かった。

人の関係が破たんしていく様がなんともリアル。「ウィークエンド」「そして手紙は冷たくなった」とかヒェー分かる分かるって感じ。

そして「笠貝」。
いる。こういう人間。
本人の一人称語りってところが上手いし怖い。

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2017年10月15日

Posted by ブクログ

ネタバレ

・ダフネ・デュ・モーリア「人形 デュ・モーリア傑作集」(創元推理文庫)の カバーには「幻の初期短篇傑作集」とある。「本書は近年になって発見された『人形』を含む14編を収めた初期短編集である。」(石井千湖「解説」327 頁)「人形」以外は知られた作品なのであらうか。基本的にはおもしろい作品集である。巻頭の「東風」はそんな中では例外であらう。ある時、人知れぬ島に異人がやつてきて島に波乱をもたらす。ありふれた物語である。しかも、物語は予想通りに進む。島の女と異人の一人ができてしまつて悲劇が起きる、正にこの通 りである。これを破綻のない物語とも言へようが、しかしまた、おもしろみに欠ける物語とも言へる。習作的な作品なのであらうか。巻頭がかういふ作品であるのは意外であつた。
・表題作「人形」、これにはレベッカといふ若き女性が出てくる。ヒロインであらう。物語はそのレベッカに恋をした男性の、海岸の岩にはさまれて残されてゐた手記の断片からできてゐる。かういふ後日発見された手記を使ふのはラブクラフト一派のよく使ふ手である。この「人形」はそんなに手が込んでゐない。手記は、書き手とレベッカのなれそめから破局までを語るだけである。書き手が、言はばレベッカに一目惚れしてその家にも通ふやうになり、当然、関係を迫ること になるが、レベッカがそれを拒む。その理由が明かされて書き手は……海にでも飛び込んだのであらうかと想像させる手記の発見場所である。このレベッカは長 編「レベッカ」とは関係ないが、タイトルの「人形」のグロテスクさは印象的である。個人的には、おもしろくはあるがやはり今一つ物足りないといふ感じ、習作であるのならば納得できるといふところ、後の長編の萌芽であるのかどうか。たぶん違ふであらう。作者がそのヒロインの名が気に入つてゐたのかもしれないとは思ふ。これに対して「いざ、父なる神に」と「天使ら、大天使らとともに」は宗教者への皮肉の効いた物語である。「アッパー・チェシャム・ストリート、 聖スウィジン教会の牧師、ジェイムズ・ホラウェイ師は云々」と始まるこの2作、牧師の日常が描かれる。それもとびきりの俗物としてである。それゆゑに上流階級とのつきあひが多く、教会での地位も確立してゐる。「いざ」では、そんな中の1人の相談事、妊娠させてしまつた女と別れるのに力を貸す。「天使」で は、下層民を友とする若き副牧師を追放する。どちらも俗物感たつぷりに描く。当時はこんな牧師が多かつたのかどうか。たぶん現代もさう違はないと思ふが、 作者は教会の在り方が気にくはなかつたのであらう。類型的かもしれないがおもしろくはある。巻末の「笠貝」も若き女性が主人公、ヒロインである。このタイトルの貝は、岩盤に密着して離れないで生活を送るカサガイのことであらうか。「笠貝」は、ディリーの語る子供時代から四十近くの現在までの物語である。言ふならば、私、子供の頃から損ばかりしてきたのよといふことである。最後にかうある、「なぜわたしはこんなに不運で、こんなに不幸なんでしょう?(原文改 行)わたしのしていることってなんなんでしょう?」(326頁)尽くしても最後は捨てられるといふのである。そんなグチである。カサガイからすると、実は彼女が相手に執着してしがみついてをり、それゆゑに捨てられたといふことではないのか。多分そうなのであらう。これも皮肉である。結局、初期の作者の関心は主人公とその相手のすれ違ひ、あるいはかみ合はなさといふことにあつたのかもしれない。その意味で、「性格に不一致」なる短篇があるのはおもしろい。正にかみ合はない2人の物語であつた。

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2017年02月25日

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