なるほどなあ。
『ライチ⭐︎光クラブ』において光クラブの秘密基地を覗いてしまった〈浜里〉、そして教師〈萩尾〉、この2人を処刑した場面ではタミヤも結構ノリノリでリンチを!罰を!と叫んでいて、一番常識人っぽい彼がその時何を感じていたのだろう、というのは確かに思っていた。
上巻において、小学生時代の常川ことゼラが光クラブを掌握しメンバーを洗脳してゆく様は描かれた訳であり、下巻でも級友や関わりのあった先生を殺めたのちにタミヤは「なにも感じてない自分に対しての恐怖」(p96)を自覚するが、それは犯した行為そのものへの後悔や自責でない、というところにおいてはやっぱりどこか壊れていたのかもしれないし、中学生という未熟な精神がそれを感じられなかったのかもしれないし、それを直視してはならないという脳の防衛機能による錯乱だったのかもしれない。
『ぼくらの』ではタミヤ・ダフ・カネダ3人の友人関係性がより強調され、しかもこの時点では(というか『ライチ』でもそうだが)何も事情を知らないタミヤの妹〈タマコ〉も「ひかりタマコクラブ」(p173)として絵に描いたようなきらめかしい思い出のひと幕として仲間に加わる描写があり、この数日後に繰り広げられることになる惨劇を知る我々を一層悲壮にさせ深い沈痛に誘うのであった。
《第八話 ニコの眼球》はタイトルだけで読むのが怖かったしん。ゼラへの誰よりもの忠誠を示すため、自ら右眼をピーする場面はあ痛たたただよ。夏侯惇もニッコリ。惇兄は左眼だけど。ニコはその生い立ちから「みじめったらしい大人の世界を 半分しか見たくなかったんだ!!」(p45)と叫んでおり、決して向こう見ずなプライドだけで行動を起こした訳ではない事が窺える。雷蔵ちゃんは結局縫ってあげなかったのね。
そして《第十一話 ゼラのみる夢》において、一部は上巻の時に私が予想した通りだったが、ゼラは結局のところ内的・外的からの愛を求めていたのであり、彼が影響を受けたローマ皇帝・ヘリオガバルス帝と通ずるものがあるのかもしれないが残念ながら私がヘリオガバルスについて知識が乏しいのでパパッと調べた限りでの感想でしかないのが残念。
ジャイボは一貫して淫魔のようなポジションだった。彼のバックボーンは想像の域を出ないが、町医者の子に生まれた出自から死というものが身近にあり、どうにも治療の見込みがない患者の姿を見てきたこともあっただろうから14歳のまま永遠を遂げたい、という願いめいたものがあったんじゃないだろうか?ヘリオガバルスの性的トランス面、ひいてはゼラのもう一面を写し出したキャラクターという捉え方も出来はしないだろうか。
『ライチ⭐︎光クラブ』の副読本という内容ながら読み応えは充分。読む順番はやはり『ライチ』からがよいと思います。
また、古屋兎丸先生自身が触れておられますが、『ぼくらの』が蛇足であるんじゃないか、というのもわかります。それでも私は良かったと思いました。
21刷
2026.7.13