金子薫のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
驢馬に跨ってメタ的なファンタジーの世界を旅する双子の姿に、『はてしない物語』の冒険者アトレーユとその愛馬アルタクスを彷彿した。異なるのは「少年と馬」でなく「双子と驢馬」であるということ、それから『はてしない物語』は「読み出す物語」であるのに対して、これは「書き出す物語」であるということだろう。
この作家さんは、「書くこと」に対してとても意識的なのだと思う。
自らが書いた物語の世界が、人物が、自分の知らないところで「この世界」に存在していて、そして自分に会いに来るという。
一度でも物語を空想したことがある人にとって、これ以上の歓びはないだろう。
デビュー作の『アルタッドに捧ぐ』に続いて、小説の -
Posted by ブクログ
これは「境界」についての物語だと思う。
現実と夢、覚醒と眠り、現在と過去、小説と戯曲…。その間に確かにあるはずの境目は、とてもあいまいだ。その境目にはグレーゾーンが存在し、緩やかに一方から一方へと変化してゆく。あるいは、自分が覚醒していると思っていても、別の視点から眺めてみると、それは眠りの中なのかもしれない。一体どこから変わってしまったのか? 架空の町だと思っていたら、そこは「架空の町」という現実の町で、でも、現実だと思っていたら、リュトリュクという夢の中のような地域があり、それでは私は現実にいるのか? それとも夢の中にいるのか? ここは誰かの書いた小説の中なのか?
私が覚醒していることを証 -
Posted by ブクログ
ネタバレ彼の想像力が好きだ。
驢馬は驢馬のことを言っているのか、飼育されているのは誰なのか、その寓意性とでも呼ぶべきものが、好きだ。
この物語は、小説を書くことについて語っているのだと思う。
双子が驢馬に跨って親子を助けに来るだろう、という想像。想像は創造され、まず驢馬がU夫妻の元へやって来る。やがて双子が誕生し、旅に出る。
書き始めたのは良いけれど、時にどこへ向かっているのか分からなくなることもある。それでも目指すべき結末へ向かって進んでゆく。後戻りは出来ない。
親子は外の世界へ出たいと望みながらも、監禁生活に甘んじているようにも見える。配下たちが食事を持って来る隙を狙って逃げ出すことは出来ないのか -
Posted by ブクログ
円城塔が帯の惹句を書いているというのもあって、なんだか「オブ・ザ・ベースボール」の続編みたいな気分で呼んでいた。
本当の名前もよくわからない架空の町で、威厳も意味も失われて久しい謎の職業に従事する男の話。理屈っぽく、かつ淡々とした語り口。
打ち返す「レスキュー・チーム」の仕事も、打ち落とす「鳥打ち」の仕事も、「空を見て狙いを定める」という時間がその大半を占めるという点ではよく似ている。仰向けか腹這いか、という違いはあるが。
「オブ・ザ・ベースボール」の最後はたしか、打ち返してチームをクビになった男が、「ファウルズ」と呼ばれる町を出るところで終わっている。
それからこの男が辿り着いたのが、この -
Posted by ブクログ
bound proof 未校正版にて。
「書くこと」とは何か。そのことに対する逡巡。これはとても素敵な、そしてとても大切な作品だと思った。
書きたいけれど書いたことがない人は論外として、小説を書き始めたならば、避けては通れない問題がある。なぜ書くのか。いかにして書くのか。小説世界は作者が創るものだとしても、作者の思惑通りにすべてが進むわけではない。作者が創ったはずの登場人物たちにはそれぞれに感情があり、それぞれの為すべきことを為す。だから作者は、書き手であり、同時に第一の読み手でもあるのだ。本間は書き始め、モイパラシアの死によって書くことの孕む問題に突き当たり、そして怖くなって物語を葬る。し -
Posted by ブクログ
極限状態から解放された時、通常では考えられない物事に喜びを感じ取り憑かれてしまう。
洗脳は、この様に行われるのだと分かった。
それにしても蛹の格好をした拘束から解放された時、蝶になる事を夢見るものなのだろうか。
人は理不尽な暴力すら肯定してしまう程、自分のしている事に意味があって、存在する事が許されなければ生きて行く事が出来ない。
自分に価値がなければ、他の生命を食らって生きていく事など出来ない。
姿形を似せても、造り物と生命ある物とは違う。
無機質だけに囲まれて生きるのは苦痛だ。
自分の生命に意味を見いだせなくなった主人公は、躍動する生命を感じながら死を迎える事を望んだ。
-
Posted by ブクログ
面白かったです。
誰が作ったのか解らない迷宮をさ迷う光の章と、螺巻きの玩具を修理しながら何時からか架空の動物たちを生み出している言海の章が描かれています。
迷宮をさ迷う光は迷宮内の開けた空間に聳え立つホテルを見付けてそこの主人となり、ホテルのポスターを見た言海は動物たちを持ってホテルを目指す(ここで、言海のお店も迷宮にあったのだと気付きました)
迷宮内部にホテルを作っても、留まるのがホテルになったというだけで迷宮を脱出することは出来ていなくて、従業員たちがイキイキしてるのがかえって虚無感をとても感じさせました。
老若男女、迷宮に居るようですし、でも年を取ってないようで、この迷宮はなにか寓意があ -
Posted by ブクログ
外界と遮断された果てのない巨大なホテルとおぼしき建物に、閉じ込められている人たち。その中で外を模して新たな世界を作り上げようとする若い男性と、ブリキで空想の動物たちを作る女性の視点から描く物語。
存在するかどうかもわからない出口を見つけようと、窓もないホテルを延々とさ迷い歩く閉塞感は、想像するだけで息が詰まる。SFのような設定だが、いつからなぜそんな空間に閉じ込められているのかは、最後まで明かされることはない。淡々と語られるシュールな世界には、そうした明確な説明や答えは不要だ。
突拍子もない設定の割には、現実的で地に足が着いているように感じるのは、私たちの世界も巨大な迷宮のようなものだから -
Posted by ブクログ
小説の主人公である少年が作者の知らないうちに死に、現実の世界には少年から託されたトカゲのアルタッドとサボテンが出現する。架空のものだったはずのそれらを、現実世界で育てていく作者(小説家志望の大学院浪人生)の話。
設定こそ奇妙でシュールだが、テーマは「書くこと」とそれによって与えられる「命と死」である。物語からこぼれ落ちてしまったトカゲとサボテンの飼育を通して、作者は書くことの根源、意義を真っ向から見据えて、ラスト数ページで明らかにしている。
トカゲとの生活はリアルで、微笑ましい。爬虫類は得意でない私ですら、愛着が涌くほどだ。小説が完成したとき、アルタッドは現実の世界から消えてしまうのだろうな -
Posted by ブクログ
記憶を失い監禁され続ける父子と、彼らを救出すべく旅を続ける双子と驢馬。双方の視点から語られる不思議な物語。
父子の名が「君子危うきに近寄らず」と「君子」という冒頭からして意表を突かれる。なぜどこに監禁されているのか、自分たちの本名も、さらには本当に親子なのかもわからない。ただ、何の根拠もないのだが、双子が驢馬に跨がって救出しに来ると信じている。
一方の双子は、小学五年生のときに突然驢馬を連れて旅に出ようと思い立ち、寄り道をしながら相当の年数をかけて、父子の救出に向かう。
緊迫感があるようでどこか抜けていて、そのアンバランスさがおもしろい。父子の想像から生み出された地図のとおりに、双子が近づ