プチ鹿島のレビュー一覧
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新聞を複数紙比べて読み解くという時事ネタ芸人が、猪木愛・プロレス愛を余す所なく語る。関係者や、政治、時代背景なども織り込んでいる。プロレスに繋げての話題だからかいずれも重くなりすぎない適度なエンタメ要素を含んでいて面白く読める。
プロレスというと馴染のない人からは八百長だ、あれはショーだと軽く見られがちだ。それに抗うようにひたすら「怒り」を観客と共有していった猪木の生き様を清濁併せ呑む形で思い入れたっぷりに語っている。
本書を読んでいて、プロレスというスポーツ(と呼んで良いものか)の特殊性を思った。その答えのようなものを本書で得た。好きな人にとっては、格闘技やショーを超えた「熱くさせてくれるもの」であり、リングの上だけでなく成功も失敗も全て人生をプロレスに捧げた猪木の生き様はそれ自体がプロレスそのものの姿なのだと。
小学生の頃は金曜夜8時にテレビの前にかじりついて夢中になっていたことを懐かしく思い出しながら読めた。 -
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第94回アカデミー賞での平手打ち事件についての現地アメリカと日本の受け止め方の違いが指摘されていますが、それは社会の判断基準の変化についてのエンターテイメント業界の敏感さの違いとも言われています。本書もプロレスを窓にして、社会の変化を「論評」する本です。非常にタイミングのいい出版。WWEのレッスルマニアではいよいよ女子がメインをとったという出来事からはジェンダーを、元々プロレスのストーリーラインで大きな位置を占めていた人種問題の消滅のスピードからはポリティカルコレクトネスを、はてまたコロナ禍の中での無観客試合からはエンタメの未来を語り合います。そのどれも、実は日本のプロレスの影響が紐付けられて、めちゃくちゃそそる話です。日本のプロレスが進みすぎていたのか、そのあと全然進まなかったのか…論客がアメリカンプロレスのウィキペディア(命名:プチ鹿島)、フミ斎藤と時事芸人、プチ鹿島、そして実は一番効いているような気がするKAMINOGE編集者、堀江ガンツ。スイングしまくります。現代の話題だけではなく、NWAの権威のプロパガンダだったり、ロードウォリアーズというブランドの会社と個人のせめぎ合いだったり、よだれダラダラなテーマの連発です。トランプが大統領になった頃からリアルとファンタジーの逆目の溶解現象が起こっているような気がするのですが、それは現実社会のプロレス化が起こっているのかもしれません。実は直前の読書が北村紗衣「批評の教室」。その影響もあってプロレス入り口で、社会のことをあーでもないこーでもないと批評、論評する豊かさを感じました。最後の最後にプチ鹿島の言う「批評を止めるな!」「論評を止めるな!」賛成です!
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許可局で見せる飄々とした姿はどこへやら
熱のこもった文章だった。
ちょうど今年の台東京ポッド許可局を終えたのと同じ時期に読み終えたので、いろいろとシンクロするところも見える。
今年の許可局イベントはいつもと趣がちがってた。
10月から放送時間が月曜の24時と大幅に繰り上がる。ラジオのゴールデンタイムだ。
いつもの屁理屈ではなく、そんな自分たち、そして番組の未来を考える話が多かったように思う。
それもあって、『野心の塊』林真理子さんにゲストのマッチメイクを実現させたんだろう(こうやってウラのストーリーをあれこれ自分で組み立てるのが、教養としてのプロレスである)
『エネルギッシュでない、上にいこうとしない人間が人を惹きつけることはできない』
第16章 時に、勝利に固執する より
第2芸能界から第1芸能界へ歩き出した鹿島さんのガチな感情が、剥き出しになっている。
この感情をビジネスに応用するのが、プロレスである -
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ネタバレニュースを疑え。
そう言われても、何をどう疑えばいいのか。
本書はその問いに、芸人という異色の立場から正面で向き合った本。
著者・プチ鹿島さんは新聞14紙を読み比べることで知られる「時事芸人」であり、ここ数年の時事コラムとメディア論を一冊に集成したのが本書である。
東京五輪とパリ五輪の報道姿勢の違い、旧ジャニーズ問題でメディアが長年沈黙し続けた理由、週刊文春が果たす「猟犬」的役割、コタツ記事の問題、そして地方紙の可能性まで、日本のメディア全体を幅広く俯瞰している。
特定のメディアを持ち上げたり断罪したりするのではなく、それぞれの立場と限界を冷静に観察する姿勢が一貫している。
「半信半疑」というタイトルが示すとおり、著者が勧めるのは単純な不信感ではない。
情報をそのまま鵜呑みにせず、かつ頭から疑い捨てることもしない。
その中間の構えで、自分の頭を働かせながらニュースと向き合うことを、著者は一貫して問い続けているようだ。
ジャーナリズムに関心がある人はもちろん、「なんとなくニュースが信用できない」「メディアへの違和感の正体が分からない」という読者にこそ手に取ってほしい一冊。 -
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「アントニオ猪木とは何だったのか」。多くのプロレスファンが散々語ってきたテーゼ。この書はそれを最も端的且つ的確に、それも分かりやすく解説している。
最終章とあとがきは、本書のまとめとしてかなり優秀な内容と構成になっている。新間寿の相変わらずの「愛憎」ぶりの不思議さを、あらためて分析している。ここでわかったのは、「プロレスは勧善懲悪だ」という理論が間違っていたことだ。この理論は力道山時代や、ジャイアント馬場がメインイベンターだった頃まではそのとおりだったのかもしれない。そしてこれを越えていったのがアントニオ猪木だったということだ。プロレスにはベビーフェイス(善)とヒール(悪)がある。これらは絶対ではなく、しばしばヒールターン、ベビーターンが起こる。つまり「今日の友は明日の敵」「昨日の敵は今日の友」である。猪木は新日本プロレスでこれを実践し、且つ「正義の中の悪」「不正の中の善」という細部にまで落としこんだと言える。新間との関係性を見ると、まさにこのことをプロレス試合の外、社会や生活でまで実践していたのだと思う。その意味で新間は「猪木と最も手の合ったレスラー」だったのだ。
あらためて実感するのは、プロレスとは「勧善懲悪」ではなく、「この世界は、完全な善も、許されることはない悪も見つけられない、不確かな状態で動いている」ということを解説してくれる場所なのだ。
有田芳生は議員時代猪木と酒を飲んだことがある。その時猪木は注射(インスリン)をしながら酒を飲んでいた。284
『1976年のアントニオ猪木』のタイガー・ジェット・シンとの死闘の描写は、ラブシーンの描写にしか思えなかった189 -
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共著になっているが、基本的にはフミサイトウのインタビュー。昔から彼の話は面白い。
とはいえ、プチ鹿島の十分な知識量と「聞き手と解説役になる」という姿勢が本書の魅力になっているのは明白。
プロレスはリベラルで、とても進んでいたジャンル(斎藤)420
定説では「力道山は日本領だった朝鮮で日本国籍として産まれ、戦前に長崎県で養子に入って戦後を迎えたので、産まれた時から死ぬまで日本国籍だ」だが実は怪しい。長崎県の戸籍も「謎の戸籍」で、これはアメリカ指導の文化政策で日本政府が力道山に超法規的措置の可能性がある(プロレス文化政策のため)。帰化もしていない416
「力道山が憎きアメリカ人を空手チョップでなぎ倒し、敗戦国ではる日本人を高揚させた」は1980年代から言われ始めた作り話。実情は「先進国アメリカからやって来た流行の娯楽」の認証で、みんなニコニコ観てた412
プロレスファンは、様々な偽情報、フェイク、裏切り、半信半疑になれて鍛えられたので、メディアリテラシーがついている(鹿島)307
「木村政彦はなぜ力道山に殺されずに済んだか」194
アイアンシークはYouTubeで活躍して再ブレイク。アメリカの長州力177 -
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「そこまではしないよね」という最低限の信頼の底が抜けた感じの政治が続いている。
公文書を改ざん・破棄し証拠を消して、ウソをつき通したり答えないという理不尽がまかり通る社会が出来上がった。
日本は「法律違反ではない」という逃げ道を作れば、何でもやったもの勝ちの権力者優遇の社会になってしまった。
近年の自民党政権の負の遺産が蓄積しすぎて、ひずんだ政治倫理や日本経済の再生出口が見えない状態に陥っている。
こんな時に「そこまでしてたのか!」という某宗教団体と政治家の密な関係が問題になっている。
某氏が「美しい国へ」なんて言い出した頃から、何か気持ち悪さを感じていたが、その理由の一端が銃撃事件で明らかになった。
本書は、最近の自民党政権および五輪とコロナ対応で利益を得た(パソナや電通などの)特定企業や利害関係者を扱っている。
岸田総理は、
記者の質問の時間を設け、秘書官のメモを見ずに答えただけで素晴らしいと言われる。
公文書は直ぐに捨てていたのに、いつまでも保管していたアベノマスクを廃棄しただけで英断のような雰囲気になった。
あたりまえのことをしただけなのに、反安倍・反菅なら評価される社会は異常です。
こんな日本をどうするかが岸田総理の評価につながるので、今後何をするのかしっかり見守りましょう。
菅総理は、
とにかく国民に説明しないで物事を進めた。
最初に気に食わない奴は排除することを強く匂わせ、まずは日本学術会議会員6名の任命を拒否した。
反対意見には耳を傾けない。これを「ブレない」と自画自賛する。
携帯電話の料金値下げは国民受けはしたが、政府の民間企業介入という問題があり新たな忖度を生んでしまった。
安倍総理は、敵か味方にこだわりが強い政治家だった。
安倍はヤジられたり非難されたりすると極端に反応する。
そのような自分を攻撃する相手は「論破」して退けることが得意だと思いこんでいた。
一方的に訳のわからないことを延々としゃべって、「こいつ、何を言ってるの?」と呆れさせることを論破と勘違いしていた。
だから「堂々と議論しない」「答えない」「言葉のすり替えによる本質ずらし」に逃げる能力が身に付いた。
昔テレビ番組の内容に圧力をかけ世論やメディアから猛烈批判されたのがトラウマになった。
そこで、自分を攻撃し得る組織は自分に反抗しないトップを据えることで封じ込めの体制を作ることに注力した。
NHK会長の籾井、勝手に定年延長を決めた東京高検検事長の黒川、内閣法制局長官の山本の退任人事など、自分の意向どうりに動く人を優遇することで支配を強めた。
ところが、そこに忖度の効かない新型コロナが現れ、まともな対策が何一つできない姿を晒してしまった。
直接のコロナ対策だけでなく、コロナ自粛のせいで政治に無関心だった人もニュースに接する機会が増え、過去の姑息な振る舞いまでがばれてしまった。
国民はたかが「モリカケ」や「桜」程度のことすら納得いく説明ができないのに、コロナ禍でも「また平気でうそをつかれるんじゃないか」と不安に感じ実際そのとおりだった。
長くなるのでコロナと五輪にまつわるレビューは省略しますが、利権の罠にハマった人達は権力を乱用する政治家と行動や価値観はあまり変わりません。
自分の役に立ち、見返りが期待できそうな支持者やお友達には「そこまでしてくれるの」という便宜を図り大切にする(借りを作っておく)。
逆らったり邪魔をしようとする奴は、法律で罰せられない範囲で手段を選ばず権力と人脈を使って徹底的に排除する。
どうなろうが自分には関係ない、どうでもいい奴のことは考えない。
こんな日本にしたのは誰かという問いの答えは、「そこまでしたらアウトでしょ」という一線を越えても許容させてしまう社会にした政治家でしょう。
つまり、選挙制度のある日本では、そういう政治家を選んだ国民が今の日本を作っていると言えます。
ただ、現政治体制を良しとする国民が多数なのですから、「こんな日本に誰がした!」とは思っていない人が多いのでしょうね。