麻田雅文のレビュー一覧
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日本は第一次世界大戦にロシア属する連合国陣営としてドイツに宣戦布告して参戦。露と親密となる。戦中ロシア革命成る。レーニンは穀物地帯ウクライナ独立を承認するなどして独と講和。戦線離脱する。独は英仏との西部戦線に専念。英仏はソ連を再戦させることで独の戦力削りを画策、日米にシベリア出兵を促す。元老筆頭山縣は出兵反対。刀はどうして鞘に収めるか考えた後でなければ柄に手をかけるものではないとした。田中義一率いる陸軍参謀本部は出兵に積極。米から共同出兵要請により慎重論は吹き飛び出兵。名目はチェコ軍団救出。参謀本部は米との出兵数・地域を無視。原首相は兵力削減に努力。
ww1終結後も出兵は続く。背景にはシベリア -
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第1次世界大戦末期以降、ロシア革命後のシベリアへ、チェコ軍救済のため欧米各国が連合し出兵した。 その中で日本が突出して多くの兵を送り、この地域への影響力を強めようとした。名目は居留民の保護、利権獲得のため。 日本の歴史教科書では、簡単な記述だけで詳しく触れられることはないが、この出兵は7年間に及び色々な事件も発生しており、決して忘れてはいけない戦争だった。 正直なところ、シベリア出兵と言われても全くピンとこなかった。 学校では年号と項目を習っただけで、昭和初期の日本の近代史の詳細はほとんど教えてもらえない。だからこの本を読んで日本軍がシベリアのバイカル湖付近まで出兵していたことに大変驚いた。
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独ソ戦やバトルオブブリテンにおける趨勢の転換、ベトナムのフランスからの独立やアメリカとの戦争におけるベトナムの戦い方、イラク戦争におけるアメリカ軍の戦い方の変遷といった実例を通じ、戦略、そして知略やリーダーシップについて分析している。野中氏が35年生まれで、一番若い麻田氏が80年生まれと、かなり年代にバラエティのある4人の著者が章別に分担執筆しているが、内容・文体はよく統一されている。
内容は多岐にわたるが、ヒトラーも気まぐれなだけでなく戦争経済を考えて戦略を練っていたこと、スターリンも兵站や補給の重要性をよく理解していたこと、米軍は正規軍どうしの戦闘ではベトナムでもイラクでも常に強力であった -
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野中郁次郎先生の"本質"シリーズの4冊目です。
"戦略の本質への答えは「知略」である。これは日々変化する状況下のもとで組織員一人一人の実践知によって「いま・ここ」に相応しい行動を取らせる唯一の方法である。"
知略とは、マネジメント・リーダーシップ領域の概念だと言う説明が冒頭になされている事からもわかる通り、焦点の当て方がスターリン、チャーチル、ホー・チ・ミンのリーダーシップ論に比重を置いているように思えました。『戦略の本質』でも取り上げられていた独ソ戦、バトル・オブ・ブリテンベトナム戦争が題材です。
以下、章別の気付きのサマリーです。
■独ソ戦
国防 -
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知略とリーダーシップの本質に迫る失敗の本質シリーズの最終章。構成は前著群と変わらず、時系列かつ叙事的に戦闘展開を述べた後に、アナリシスを導出するというもの。
失敗の本質以上に、企業経営その他あらゆる勝負事に援用しやすいフレームワークにまとめてある点で、その有用性はシリーズ最終作に相応しいものと言える。
冒頭p7より引用。この部分こそが核心となる。
"軍事戦略をめぐっては従来、攻撃と防御、機動戦と消耗戦、直接アプローチと間接アプローチといったような二項対立的なとらえ方があるが、われわれは、そうしたとらえ方よりも「二項動態」的なとらえ方こそ、戦略の本質を洞察していると理解している。戦略現象を「 -
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日露戦争から第二次世界大戦までのロシアとの関係。
樺太の領土争いで、榎本武揚が、樺太と千島列島を交換して、決着。
ロシアのニコライ2世が京都観光中に、大津で攘夷思想の警察官に切られ、これを口実に戦争を仕掛けられるのを回避するため、日本皇室に対する大逆罪を適用して死刑を求めたが、裁判所が適用しなかった大逆事件。もし戦争になったら、大馬鹿裁判官か?
ロシアが旅順租借に加えて、不凍港を求めて韓国に進出しようとしてきたので、満州はロシアー韓国は日本の交渉を持ちかけるも断られ、日本侵略を恐れて、やむなく日露戦争を開始。南樺太しか得られず。ちなみに、日本もロシアも一千数百万人の韓国人の主権などは、どうでも -
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第一次大戦末期、ロシア革命がおこり、ソ連が成立。英仏はドイツを挟み撃ちにするための同盟国が消滅することに衝撃を受け、共産党打倒のため米国、中国、日本にシベリア出兵を要請。各国はそれぞれの思惑でけん制しあいながらも「多国籍軍」として出撃していく。
各国がせいぜい数百人の形式的な派遣だったなか、数万の大軍を何年も駐留させたのは日本。サハリンの石油、シベリア鉄道などの権益がねらいであった。もちろん、革命のどさくさの中でニコラエフスクの在留日本人が虐殺され、邦人保護の世論が高まったことも忘れてはならない。革命直後のロシアは無政府状態だったのだ。同時に、日本軍がパルチザンが隠れていると疑われる村を「膺 -
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なぜシベリア出兵という過ちを犯したのか、という疑問があったので読んでみた。
本書によると、出兵そのものよりもその規模や展開地域、とくに撤退するタイミングの、いわゆる出口戦略に大きな問題があったようだ。
これまでの派兵そのものを問題視するという単純な捉え方が改まった気がする。
目の前の利益を捨てる、いわゆる損切りというリスクをとることができないという点で、当時の日本政府の対応に大きな問題があったように感じた。
くわえて優先順位のつけ方も甘い。本書では政府と軍部の間での優先順位の相違、また個人ごとの考え方の違いなどの詳細や、小さな出来事(日本陸軍とチェコ軍との交戦など)も描かれていて、知らな -
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著者は言う。日本人には、シベリア抑留はよく知られているが、シベリア出兵のことはよく知らない人が多い。そして、ロシア人は、シベリア抑留のことはよく知らないが、シベリア出兵はよく知っていると。
たしかに、ロシア革命後に列強各国がシベリアに兵を進めたということは、歴史的事実として知っていたが、その原因や経過などは知らなかった。また、「あとがき」にも書かれているが、一般向けの本もあまりない。
そういうわけで、興味を持って読み始めた。ボリシェビキに対する干渉戦争という理解は間違いではないが、日本が出兵したのは、第一次大戦の西部戦線でドイツと戦う連合国が強く働きかけたものであること、出兵に当たって日本政府