麻田雅文のレビュー一覧
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独ソ戦、バトル・オブ・ブリテン、ベトナム戦争、イラク戦争を題材に、勝者に共通する知略について解明した本。『失敗の本質』をはじめとする本質シリーズの最終巻である。分析が精緻で、勉強になった。役立つ記述が多かった。
「『失敗の本質』の最も主要なメッセージは「過去の成功体験への過剰適応」ということであった。日本陸海軍は戦略の本質を洞察せず、日露戦争で成功した戦い方に固執したために、大東亜戦争という異なる情況では失敗してしまった、ということになろう」p5
「ドイツ軍は70個の装甲師団を有し、各地で展開している。もはや歩兵師団といえども、多数の機械化部隊を持っていなければならない。ただドイツ軍の弱点は、 -
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[七年の逡巡]日本史の教科書でもちょこっとしか取り上げられないシベリア出兵。七年に及んだこの出兵の背景を分析するとともに,それが国際政治に与えた少なくない影響について考察した作品です。著者は,1980年生まれの新進気鋭の日中露関係史研究者である麻田雅文。
目の付け所だけですでに満点を叩き出したくなる一冊なんですが,その内容の濃密さ故に大絶賛を惜しみなく与えたくなる作品でした。読み進めるほどに「え,こんなことがあったのか」と驚かされる事実を次から次へと紹介してくれており,日本近代史に興味のある方はもちろん,国際政治に興味を持つ方にも強くオススメしたい一冊です。
〜開戦の決断は華やかで,勇ま -
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これは読んでよかった。
教科書で触れたシベリア出兵、正直なんでこんなことをしたんだろうと思っていた。第一次世界大戦が起こって、同盟の関係で大陸に行って、でも撤退したのが遅くて批判…てくらいしか触れてなくて、全然意味が分からない。
分からないのは、知らないから。この本を読んで、全部納得した。外交の怖さ、このころからもう、次の戦争、日中戦争や大東亜戦争の足音は聞こえていたのだ。
シベリア出兵が次の日中戦争の教訓になっていないという悲劇、という一文も絶句した。
前回読んだ本に「人類の歴史は教訓が生かされない」とあって、これが戦略のロジック…と思い絶句した。
となれば、またこの国は…なんて空を -
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ロシア革命の混乱の中、第一次世界大戦の終結への諸外国と人々の思惑によってシベリアの地に出兵された、その7年間について分かりやすく書かれています。出兵に意味はなかったと言われていて日本も多くを失ったのですが、では誰が出兵させたのか、なぜ幕引きが出来なかったのか。一人の人間が単純に決めたことではない舞台裏を見るにつけ、あれ、と既視感を覚える場面も、読後感にも、あります。何かを始めることは簡単でも、それを収めることの難しさ。今でも共通して見られるのではないでしょうか。とりあえずやって見たらいい、ダメだったらやめたら良い。ということは会社で働いていると当たり前のように聞きますが、それはとても無責任な発
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ロシア革命による混乱に乗じて各国が利権を得ようと介入したシベリア出兵。自分が生まれる前に他界した父方の祖父(富山)はこのシベリア出兵に従軍していた。朝鮮の光州でも商売やっていたので、大陸に何か思うところがあったのだろうか……。早稲田大学教授の本野英一先生のお祖父さん(本野一郎)登場(当然だが)。うちの祖父は単なる兵隊さんだが、こちらは時の外務大臣。ロシア通として知られ、シベリア出兵に積極的であった(ただし、1918年に57歳の若さで胃癌で亡くなった。寺内正毅も途中で死亡。原敬も死亡。山県有朋も死亡。加藤友三郎も死亡*。是清は生き残ったが、責任者が次々と死んだことも出兵が長引いた一因か。*加藤友
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「“用語”が何となく知られている他方で、内容が然程詳しく知られているでもない」というような史上の事案は多々在る。そういうモノに関して「手際よく説く」というのが、“新書”の「望ましい役目」だと思うが、本書はそういう役目を確り果たしてくれる一冊だ。
「シベリア出兵」だが…これは大正時代の第一次大戦の終わるような時期、色々と混迷した当時の世相等が語られる文脈で「さらり」と用語が登場する…そういうような、「軽い扱い」である印象を免れ得ない。が、実際には「7年間」もの長きに亘って、国外で軍事作戦が展開され、出て行った将兵や現地の人達の中に大きな犠牲が生じていた事案で、もっと注目されて然るべきなのであろう -
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本を読みながら、怒りと悲しみで泣きそうになったのは初めての体験だった。
そもそも「日ソ戦争」とは何なのか、学校で習った記憶があるだろうか。おそらく無いと思う。なぜならこの戦争は日本国において公的な名称がまだ存在しないからだ。「日ソ戦争」とは、研究者が便宜上呼んでいる名称だ。
日本にとっての第二次世界大戦は8/15をもって完全に終わった訳ではなく、その後もソ連との間で戦闘が行われ、兵士はもちろん多くの民間人が犠牲になり、危うく北海道の北半分までも失いかけたという事実はもっと知られるべきだと思う。本書を読んでから今のロシア・ウクライナ戦争を見ると、ロシア(旧ソ連)が戦後80年の歳月を経てもなお、 -
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戦争は突き詰めて言えば、強者による弱者に対する強奪行為。この強奪行為を国家が行うため、非常に大規模かつ計画的となる。
日ソ戦のソ連は、国家の強奪行為を計画的に行う反面、兵卒の個人的な掠奪行為には軍規がゆるいため、多くの民間人が必要以上に殺されたり被害に遭わされた。
比較的最近の戦争であるため記録が残っているが、戦国時代の日本の国内の戦でも同じような悲劇が数多くあったのだろう。
世の古今東西を問わず、戦争では民間人など弱い者は強者に虐げられ、奪われる。
国家はいかにして政治力、外交力、経済力で生き抜くかを考えて欲しい。安易に戦争に走るような下策は取ってもらいたくないものだ。 -
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日ソ戦争という言葉はあまり使うことがないが、ロシアではソ日戦争というらしい。日本の太平洋戦争というときにあまり意識することのない戦争だが、北方領土問題、満州と南樺太の残留移民問題、民間人の大きな人身被害などかなり大きな傷痕を残した戦いであったことを思い知らされた。米国ルーズベルト大統領は自国民の戦争被害を拡大したくないためにソ連の参戦を促し、スターリンがそれを弄ぶかのようにタイミングを見ての満州、朝鮮、樺太、千島での広範囲の進撃、日本がそれに振り回されていたのだ。それは8月15日の終戦記念日と私たちが呼んでいる日以降も続き、どのようにして終結するのか、読みながら不安になるほど。ソ連の北海道北半
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1945/8/8から8/15以降も9月上旬まで行われた日本とソ連の戦争についての記述。
アメリカはソ連を対日戦に参戦させようとしていたが、ドイツに集中していたソ連は断り続け、ドイツが負け、日本の負けが確定的なった時に極東へ送った軍勢を使い圧倒的戦力差で日本を後退させた。
一方日本は、太平洋戦争の戦況が厳しく、日ソ不可侵条約を結んでいたソ連に仲介を頼んでいた。対米戦が厳しく、ソ連にその気がなく、戦闘準備も情報として挙がっていたが、すがるようにソ連へ希望を託していたのが裏切られ、8/8に宣戦布告を受けた。北海道占領の意図があったが、おそらくアメリカの意を受けてそこまでは出来なかったというのが通説だ -
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日ソ戦争とは、1945年8月8日から9月上旬まで満州•朝鮮半島•南樺太•千島列島で行われた第2次世界大戦最後の全面戦争。短期間に両軍の兵士200万人が参加した。玉音放送後に戦闘が始まる地域もあり、日本側からするとやむを得ない「自衛戦争」だが、ロシア側は「軍国主義」
日本からの「解放」となる。
日ソ戦争は、ソ連の中立破棄、シベリア抑留、非人道的戦闘など断片的に知られてきたが、本書は新史料を駆使し、米国のソ連への参戦要請から各地での戦闘の実態、日ソ双方の勝因と敗因、米国が及ぼした影響などについて考察する。
ソ連を対日戦に引き込んだのはアメリカ。その張本人はローズベルト大統領。スターリンは独ソ戦 -
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終戦間際の悲劇:日ソ戦争、シベリア抑留の真実と現代への警鐘
本書は、第二次世界大戦末期、1945年8月9日から始まったソ連軍による対日侵攻作戦の実態を、日米ソの視点から詳細に描き出した作品です。
戦争の実情と多角的な視点、そしてシベリア抑留
日ソ戦争は、なぜ起きたのか?本書は、終戦間際の混乱の中で起きた悲劇を、冷静かつ多角的に分析しています。特に、以下の点が印象的でした。
ソ連軍の電撃的な侵攻と日本軍の壊滅:ソ連軍は、満州、樺太、千島列島で圧倒的な兵力と機動力で日本軍を圧倒しました。日本軍は、物資の補給不足と情報不足により、有効な抵抗ができませんでした。
アメリカの対ソ戦略:アメリカは、対日 -
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日本のポツダム宣言受諾直前のソ連の対日戦争参戦から8月15日以降も続けられたソ連との戦いを丹念にまとめた労作。もっとこうだったら失われなかった命や領土もあったのかもしれないといった思いを持つところも多いが、今の世界はこの現実から繋がっている。
(省略)スターリンと書簡を交わし、千島列島を占領する道を自ら閉したのはトルーマンだ。そもそも、ヤルタ秘密協定に署名したのはローズヴェルト大統領である。アメリカが千島列島の「喪失」の責任者を問うなら、彼ら大統領だろう。現在も北方領土問題にアメリカが消極的なのは、こうした過去と無関係ではない。(p 234) -
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日本でもあまり知られていないシベリア出兵について解説を入れて、時系列に何があったかが記載されている。日本の中ににも出兵の機運や、領土的野心があったことは確かで、しかしさまざまな意見があるなかで強行的なものが採用されたということなのだろう。現代の日本からは信じられないが、沿海州に親日国家を作るという構想もあり、しかし、これが戦略的には通常なのだとも気づく。翻って、この動きが米国の警戒感を引き起こしたことも述べられている。今考えれば、この時、こうしていればと思いを巡らせてしまうが、その時々にはベストと思われる判断(もしくはそれに近い判断)だったのだろうと思う。知らなかったことを知ることができるとい