ある種の主義者が貧乏に憧れるように
芥川はイエスの苦しみに憧れたのかもしれない
いや、単にやや過剰な自意識をイエスに重ねただけかもしれないし
あるいは、母親たちにマリアを重ねたため
自らもまたイエスである必要に駆られたのだと考えることもできよう
結局はよくわからないのだ
しかしとにかく彼は、その薄ぼんやりした不安ただよう己の一生に
そのぬるま湯のような物語に
神ではなく自らの意思でもって劇的に幕を下ろしてみせた
それによって生じたインパクトが、芥川龍之介の名前を
「超人」ならぬ「超阿呆」として今に残しているのは確かなことである