一ノ瀬俊也のレビュー一覧
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ネタバレ[ 内容 ]
明治期から太平洋戦争期にかけて、軍隊にまつわる「決まり文句」の数々を収録した軍隊「マニュアル」とも呼ぶべき本が多数出版された。
これらは、出征する兵士が住んでいる村の幹部たちが行った激励の演説、それに応えて彼ら入営者が行う挨拶などを収録したもので、当時の書店でふつうに売られていた。
この軍隊「マニュアル」を読むと、軍隊という巨大な存在に対する当時の人々の迷いや不安、反抗心といった心のひだが透けて見える。
本書は、徴兵・戦争という巨大な経験に、近代の人々がどう向かい合ってきたのかを、建前と本音の両面から、ひとつの通史として描く試みである。
[ 目次 ]
第1章 軍隊「マニュアル」の出現―明治一〇年代~日清戦争期(徴兵令の通俗解説書 教科書による兵士教育 ほか)
第2章 発達・多様化する「マニュアル」―日露戦争期(英露に対する敵愾心の昂揚 朝鮮人に対する根深い猜疑心 ほか)
第3章 平和な時代の「マニュアル」―日露戦後~大正期(なぜロシアに勝てたのか 「捕虜になるくらいなら死ね」 ほか)
第4章 どろ沼の戦争と「マニュアル」―日中・太平洋戦争期(なぜアメリカと戦争をしなければならないのか 戦争に勝つ見込みはどう説明されていたのか ほか)
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ] -
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[ 内容 ]
軍隊という格差社会をどう生きたのか?
徴兵・手当・食事から死亡通知まで。
[ 目次 ]
第1章 「皇軍」兵士はこうして作られる(皇軍兵士となるまで 兵士が入隊するとき)
第2章 軍隊での生き方(平時の軍隊生活 戦時下の兵士 少年兵たちの軍隊)
第3章 兵士と家族―戦争の「不公平」(「手当」をめぐる不公平 軍事郵便をめぐる不公平 戦死者墓石・戒名の不公平 「食」をめぐる不公平)
第4章 「戦死の伝えられ方」をめぐって(戦死の真相を探る 引揚援護庁『死亡認定の参考』をめぐって)
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Posted by ブクログ
兵隊さんはどんな事を思いながら日々を送ってたんだべ?と言うのは確かに興味がある。本著は上手い所に焦点を当てていると思う。
ただ出てくる例がチョット極端で、沖縄や、ガタルカナル、ベリリュー等超激戦区ばかりで「そらあそこに送られたら死ぬなよな」といった感じな戦場が多く、台湾や、ラバウル、内地などあんまり戦闘がない地域をヒューチャーした方が本著のタイトルに沿ってる気はする。
ただ、作者良く調べ、内容は相当充実しており、読み応えはある。特に最終章の戦死告知を扱ったパートは作者が相当気合を入れて想像力の翼を逞しく羽ばたかせた上で良く調査しているので非常に面白いのでそこだけでも読む価値はある。オススメですよ。 -
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著者(楽天ブックスより)
一ノ瀬俊也(イチノセトシヤ)
1971年、福岡県生まれ。九州大学文学部卒業、同大学大学院比較社会文化研究科博士課程中退。博士(比較社会文化)。現在、国立歴史民俗博物館助手(2007年4月より助教)。専攻は日本近現代史。
・本書について(楽天ブックスより)
「死戦を越えて誤戦となり」、「日海空軍は何処へ行つたのだらうか」、「日本降伏せり」―。太平洋戦争で撒かれた無数の伝単=宣伝ビラ。ビルマで、フィリピンで、沖縄で兵士は伝単に何を思ったか?日米「情報戦」の実態を分析しつつ、兵それぞれにとっての「戦争」を明らかにする。
・お薦め度
☆☆☆
太平洋戦争中に、米軍などからまかれたビラ。日本兵の戦意を喪失させ、自軍を勝利に導く心理作戦が各所で繰り広げられていた。
本書は、そのビラ(伝単)から読み解く太平洋戦争の一面を描く。
もちろん日本もビラは作っていた。その作成に江戸川乱歩が関与していた事実も興味深い。 -
Posted by ブクログ
従来色々な戦記物などを読んできて思い描いていた日本兵の姿とは、飢えに苦しみ貧弱な火器しか持たされず、だが一方では勇敢に最後の一兵まで敵に立ち向かう様な勇ましい姿が多かったように思える。実際は野火に見られる様に、とても天皇陛下の臣下とは感じられない、汚く卑怯かつ味方をも騙す様な狡猾さ(生き延びる為に仕方ない面があろうとも)を持ち合わせるものも多かったであろうが。兵士と言えど人は人だ。恐怖心も空腹も絶望感も虚無感も持ったただの人間である。特に職業軍人でもなく令状一枚で召集された様な民間人であれば尚更、兵士としての心構えや国、上官に対する揺るぎない忠誠心を全員がもっていたかどうかは疑わしい。というかあり得ないだろう。一人一人の異なる教育や生活環境で育った人間の集まりであるから、必ずしも「日本兵はこういうものだ」と言い切るのは難しいまでも、本書の様な、戦った相手側であるアメリカによる分析は面白い。
開戦当初は海軍の奇襲攻撃に始まり、東南アジアを銀輪部隊が神速で諸外国の軍を撤退させるなど確かに強く勇ましく感じられる側面が多かったであろう。またドイツの様に全体主義に駆られた日本が、個人の自由に溢れたアメリカよりも遥かに統制が効いて怖いもの知らずという憶測もあっただろう。だからアメリカ兵は見た目も考え方も言葉もわからない日本兵を極端に恐れた可能性も十分にある。だからこそ早くからアメリカは日本兵の実態を調査し、戦線に伝える事で、兵士の不要な不安を払拭し、士気を上げる事は重要だ。その点筆者が言う様に誇張された(実際よりも弱く描かれた)可能性はある。
だが、前述したように兵士と言えどただの人間である。どんなに精神力が強くても肉体の強さはそれほど大きく変わらない。そこに圧倒的な火力を有するアメリカ兵が強いと言うのは当たり前である。強いて言うなら孫子の兵法にあるように終始追い詰められ死地に陣する日本兵が「死に物狂い」「火事場のクソ力」を発揮していた可能性があるぐらいなものだろう。
本書で新しさを感じたのはそうしたアメリカが見た日本の視点だけでなく、「学ばない軍隊」と言われる日本軍もサイパン、テニアン、グアムの敗戦を機にその後の硫黄島や沖縄戦に戦術を変えて改善を加えてきている点である。水際作戦を採らない事はよく言われる事だが、もっと多くのことを学び改善を図ろうとした姿は他の書籍ではあまり見かけない。失敗を活かさない面だけがやたらと強調される日本軍ではあるが、こうした改善が図られていた点は感心した。ただし時既に遅しという想いは残る。
現代社会に於いても経済、外交の中では諸外国と物理的な火力を用いないまでも戦闘は繰り広げられている。形を変えながらも考え方や技術、判断力などの違いはビジネスの中にもしばしば現れてくる。こうした書籍を読み我々の前の世代がどの様に相手を分析して行動に活かしてきたか。それを知る事は今後を生きるヒントになるかもしれない。 -
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特攻とは何だったのか。命令ではなく自主的自発的な意思に基づきというのは既に半ば否定されるべきではあるが、当時の世相、軍の命令絶対服従的な空気の中、直接的に指示せずともやらざるを得ない兵士たちを取りまく空気感。
日本は太平洋戦争で各地の島嶼部を次々と米軍に奪われ敗戦への道を突き進む。そのような中で既に昭和天皇を初め軍の上層部にはどのように戦争を終結させるかの議論が巻き起こる。むざむざと降伏するくらいなら、敵に最後の一撃を加えて後、有利に交渉を進めるという考え方自体が、現実との乖離をよく表している。科学技術や物量に於いて圧倒的に劣性の日本が精神力と気迫だけで果たして100倍の敵を屠る事など出来たものか。特攻に向かう若者の中には飛行操縦を短期間に習得できる頭脳明晰な若者が沢山いた。彼らは自分たちの死がその後の日本にどう影響するか、また一時的な戦局にどれほど軽微な影響しかもたらせないか、多くは理解できていたであろう。そのような中で飛び立つ気持ちを現代の我々が理解することは不可能だ。だからそこにあるリアル(現実)を追求する事に価値はあるだろう。だが答えなどは存在せず、1人の人間が爆弾として十死零生の空へと飛び立つ際の気持ちはそれぞれ持っていたはずである。世の中の情勢、個人の遺書やインタビューから見えてくる言葉、そして統率の外道と認識しながら推し進めていく人々。様々な観点から総合的に俯瞰的に「死にゆく彼らの」心の中を想像する事は可能だ。いや寧ろ戦争を知らない今の人々がそれをする事には大いに意味があるのではないかと思う。自ら命を断つ若者たち、テレビ映像で目にするウクライナやパレスチナの人々を見て傷ましく思う人々、残虐シーンが多いゲームや映画を観て楽しむ子供達。
我々が知るべきは表面的な事実よりも、実際そこにいた(いる)当事者の気持ちではないだろうか。そして命を賭した彼らを忘れる事なく、今の日本がある事、自分たちが多少の不自由があっても暮らせている現実に感謝することではないだろうか。他人と分かち合い理解し合い、手を取り合って今を懸命に生きる事の大切さと意味を教えてくれる本。 -
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特攻隊員や日本軍上層部、はたまたマスコミや国民の世論などが当時どう変遷していったのかについてまとめられている。
結局、特攻は最初期にアメリカに対策を取られ、ほぼ効果のない作戦となってしまった。
そうした現実を直視しようとせず、特攻を繰り返させたのは軍の上層部だけではなく、日本国民全員の責任である。
こういう過去の事例から、日本人は現実を直視することや論理的思考を学ばなければいけないのに未だに学べず、コロナ禍では全く意味のない対策をまさしく一億総火の玉になって邁進してしまった。
海外では最早コロナなど過去の遺物になってしまったあとも懲りずに一億総火の玉と化して同調圧力のもと、マスク警察、飲み会警察、ワクチン警察に政府、マスコミ、国民が一丸となってしまった事実には総括が必要だと思われます。
このままでは日本が成長をするはずもなく、衰退する一方で、そのうち先進国から脱落するでしょう。 -
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ネタバレ●→引用、他は感想
●鈴木貞一は敗戦後「開戦は国内政治だった」と述べた。これは当たっているところがある。まず陸軍の日中戦争早期終結という政治情勢があった。陸軍の強硬姿勢が主として国民の不満の爆発を警戒してのものだったことを思えば、それは国内政治の問題である。この問題はやがて、対米戦備を口実に予算や物資を獲得してきた海軍の利害や面子、つまり政治問題を浮き上がらせた。対米開戦は、短期的には両者の抱える問題をもっともすみやかに解決しうる手段だった。そこへハル・ノートが到来し、全会一致で開戦決断に至ったのである。
●東條が各所で「水戸黄門」的視察を行ったのは、自己を「国民の給養」につき「真剣に検討する」総力戦の「総帥」」に任じていたからではなかったか。もっとも、東條の国民に対するアプローチや航空軍備に関する啓蒙の積極性は、彼の個人的な創意や芝居っ気の発露というよりは、第一次世界大戦後の陸軍が行ってきた国民啓蒙政策の結果とみなすべきである。「総帥」東條の生き方、考え方は、日露戦争後から1930年代にかけてのデモクラシー思想や、第一次世界大戦の総力戦思想の影響を色濃く受けていた。(略)東條をはじめとする戦争指導者層の「総力戦」の認識において最重要視されていたのは、航空戦力と国民の「精神力」の両方であった。後者の象徴たる竹槍のみでは対米戦争は不可能である。航空戦の「総帥」たらんとして結果的に失敗し、敵の空襲で国を焦土と化させた東條を批判するのは簡単だが、彼のやり方を戦時下の国民がどうみていたのか、という視点があっても良いはずである。その国民の少なくとも一部の間には、唯一の軍事指導者とみなす意識があった。東條への批判も、よく読めば航空戦・総力戦の指導者として適格か否かをめぐって繰り広げられていたのである。だが完膚なきまでの敗戦、国民生活の崩壊とともに「総帥」としての東條は忘れ去られた。東條自身は、古い―それこそ同時代人の重光葵からみても古い、大東亜共栄圏の思想に殉じて死んだ。後に残ったのは、国民に竹槍での無謀な戦を強いた愚かな指導者としての記憶だった。
『未完のファシズム 「持たざる国」日本の運命』(片山杜秀著、新潮社)参照。 -
Posted by ブクログ
詳細に東條英機の生い立ち・軍人人生・首相就任から敗戦、東京裁判までの経緯を追うことが出来る一冊。参考文献の数から相当調査もしている事が窺える一冊。
難点を上げると著者なりの独自解釈や切り口が足りない印象を受けました。
これだけインターネットで情報が溢れていると、"事実"には簡単にアクセスできるのでその羅列で400ページ近くを占められると食傷してしまう人もいるかもしれません(東條は、石原莞爾のように壮大なビジョンを掲げるタイプではなく、出世に恐々としたサラリーマン的軍人というイメージは割と定説になっている気がします)。
Wikipediaの内容を暑くした印象も否めないので、著者なりの独自解釈や価値観の提示があると良いと思いました。 -
Posted by ブクログ
辻さんの「ガダルカナル」に書いてあることを参考文献にもってくるのは、どーかと思うんだけどw
それに、鈴木貞一氏の「朝日号」は富嶽の勘違いではなく、キ-77の勘違いでは?
朝日新聞がからんでいる長距離飛行機なので、この機体のことを言っていると思う。
富嶽なんて知っているわけがないw
ロシア戦争の戦訓で火力軽視が生まれたとする説は寡聞にして知らないが、どこからその結論をもってきたのだろうか。
一ノ瀬先生の本は好きだけども、この本はかなり荒い感じがした。ザラツキを多く感じたし、そもそも東條英機の再評価は手垢のついてしまった内容ではないかと思った。
一般啓蒙レベルではそうでもないのかなぁ~ -
購入済み
コアな学習教材
ひとつの事象を裏付ける為に、数多くの資料を集めて解説している感じで、内容的には狭く深い。
教材としては秀逸だが、読み物としては面白くはない。少しずつ半年以上かけてなんとか読みきった。 -
Posted by ブクログ
「なぜ大和は脚光を浴び、武蔵は忘れ去られたのか?」という惹句を見て手にした一冊。
両艦について書かれた大量の文献を読み込んだことがよく分かる力作であるのはまちがいないのだが、どうにも違和感を禁じえない。その理由は二つある。
ひとつは、本書の目的が上記の疑問に答えることを通じて、なぜ人々が戦争にリアリティを持てなくなっていったのかを論じることにあるからだ。つまり、本書のタイトル、および惹句は、著者が書きたいことのイントロにしか過ぎないのだ。
もうひとつは、著者が凝った(妙な?)形容やフレーズを連発することだ。冒頭で大和が擬人化(アニメ・キャラクター化)されている事例を取り上げ、それ以降、本書の中では、戦争も大和も武蔵も「ファンタジー」だったという表現が多用される。また、両艦の乗組員が、戦後になって、戦争中の事実がゆがめられることへの反駁を覚えることを「事実への逃避」と表現する。いい形容やフレーズをひらめいたと思って自画自賛しているのだろう、という想像をしてしまうくらいの多用には、正直、辟易としてしまう。
「なぜ武蔵は忘れ去られたのか?」という冒頭の疑問には明確な答えを出しているだけに、こうした違和感から本書の価値が大きく損なわれてしまっているのが残念でならない。たとえページ数が半分になっても、両艦の差異だけに絞って書いた方がよかっただろう。