竹村公太郎のレビュー一覧
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歴史の疑問に地形や気候から切り込んでいくシリーズの第2弾。
水道やエネルギー、さらに日本人の性質というテーマもあって、第1弾より身近で、これから先の日本の課題も見えてくるような話題が多かったです。
このシリーズを読んで思ったのは、やっぱり歴史は<人>だということでした。
地形や気候への適応、対策が今の日本を形作ったのはよくわかったけれど、当時地形と気候が重要だと気づく人がいなければ、何もできなかったし、今の日本はないのではと思います。
日本という土地をじっと眺めたうえで、適応、対策をするために、舵を切った<人>がいる。
そんな観察力と実行力を備えたすごい人たちが、日本史上にいた、という事実に、目を向けたいです。
また、水道や道路といったインフラには、ちゃんと歴史がある。
これは自然を利用する人の知識や、富と安全を求める人の願いの結晶!
インフラに対して敬礼したくなるような本でもありました。 -
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日本史の謎に対して、地形や気象という角度から解説されている本です。
歴史家のいう通説に真っ向から異論を唱えていくというスタンスであり、なかなか刺激的な一冊。
地形を見ることで当時の国のリーダーが一体、何を考えて事業をやったのかを考察されており、特に徳川家康は、本当に長い目で日本という国を考えていたらしいことがわかります。
国づくりとその運営にまさにすべてを捧げている、為政者の鑑のような考え方と実行力は、今の日本の政治とは対照的だと思わずにはいられない。
日本人が愛してやまない、あの忠臣蔵が実は江戸幕府が国民の忠義心を煽るために仕掛けた作戦だった説も展開されてます。
これは一見すると都市伝説的なうさんくささがあるのですが、皇居半蔵門や赤穂浪士の寺など、キーとなる場所の位置や、当時の人の流れなどをもとに考えられていて、なるほどそうかもしれんと思わせる説得力があります。
この章はミステリー小説を読んでるみたいで楽しかった。
人が行き交う場所は栄え、そうでなくなった場所は廃れていく。
最後の方にある交流軸の話も結構面白くて、歴史の流れを見ると確かにそうなっている気がしてきます。
人との戦いだけではなく、多くの地形との戦いも経て、この国はつくられてきたし、きっとこれからもそうなのかな。
日本の地名を見たときに、今までよりもいろいろな感情が沸き起こるようになりそうな、そんな一冊でした。 -
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本書、全体的にはなかなかおもしろかったです。地形や歌川広重の浮世絵から歴史的事象を考察するという内容で、ミステリー調の雰囲気があります。ただし題名と中身ですが、「日本史の謎は「地形」で解ける」、というのは本書を読む限り言い過ぎではないかと思いました。本屋で目につくためにも少し誇張して言ってしまえ、というところかもしれませんが、歴史は人文社会系だけでは説明できないのと同様に、地形だけでも説明できないと思います。しかしそのあたりは寛容に読み進めていけば、本書はなかなか面白いと感じました。全部で18章からなっていて、家康や赤穂浪士、遷都など多様な事象が取り上げられていますが、読者諸氏はそれぞれピンとくる章と、全然ピンとこない章とが出てくるのではないでしょうか。また著者は浮世絵が好きなようで、特に広重の絵からインスピレーションを得ています。これはなかなか面白い。ある種の推理小説風です。しかし広重に詳しい人であればご存知のように、広重の絵は架空の事象も描かれていたり、見る人を飽きさせない良い意味での脚色があることで有名です(雪が積もらない蒲原を積雪の絵で描くなど)。ですから広重の絵を100%当時の写実的なものとして解釈することは相当危ういのですが(現実にはなかった要素を絵の中に入れている可能性が十分ある)、本書はそういう細かいところはおいて、ある種の推理小説を読んでいるような気持で読むと面白いと思います。
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この対談本が面白いのは、上から目線の養老先生は本質を見失ったことも言っているのに、対談相手の竹村さんは本質を見抜いたコメントをされていることだ。
例えば、60ページで養老さんは、「自給率を高めることとフードマイレージを低く抑えることは必ずしもイコールではない」と述べている。環境・エネルギーの観点からは全く正しい。ところが、EUがそういう発想で各国で分担しているというのは、論理の飛躍だ。EUは幾重もの陸路と海路で繋がっているから、食糧安全保障の観点からも分担は正しい。しかし、日本は輸入=海路なので、コロナ禍のコンテナ不足のようにリダンダンシーの点で危うく、日本はEUとは違い、単独での自給率はやはり不可欠な指標だ。
第四章には、「水争い」をする必要がない日本の役割というタイトルがついているが、竹村さんは、東大の沖教授のバーチャルウォーターを取り上げて、日本が間接的には水の大輸入国であることや、水問題が地球温暖化の影響の目に見える事象であることを伝えている。つまり、日本は食料や材木の輸入という形で水争いに巻き込まれていることを示している。これは、まさに本質を見抜いている。 -
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◯ダムを増やさず水力発電を2倍にする
・家庭や工場、農業、発電に水を使うのが「利水」、川の堤防の決壊から守るのご「治水」、双方の目的を果たそうとするのが多目的ダム。
・国土の小さい日本のダムは2つの矛盾した目的を持つ多目的ダムが多く、これは河川法で半分しか貯められない。雨量の多い時期は放水してわざと貯めない。
◯日本は資源大国
・多雨で山岳地帯のため雨を集めやすく、河川の高低差があるため水力発電の適国
・既に過去に作った大量のダムがある。
・大都市は難しいが、地方は水力を中心として太陽光や風力を組み合わせて発電するかたちが良い。
◯日本のダムは200兆円の資産
・ダムは壊れない、震災でも本体が壊れたダムは皆無だった。
・鉄筋なしで、セメントと砂と石だせでできているため錆びない。これは石灰岩で、天然の岩と同じ。
・風化している表層の岩盤を取り除いた上で直接頑丈な岩盤と固定するため、揺れが非常に小さい。
・ダムの壁が極めて厚い。
・新設ダムの工事費は総工費数千億円の1/3以下、大半は水没村の補填費用。
・嵩上げすると、発電量を倍に増やしても、新設の工事費用分でまかなえる。
・日本に降る雨や雪の位置エネルギーを全て電力に変えられると70%賄える。現実的には潜在力を発揮すれば総需要の30%を賄えると試算。
・落差10mクラスの小さな砂防ダムでも100〜300kw程度は発電できる。
・30MW未満の開発可能箇所は2万箇所以上あり。その合計は14000MW。
◯地形からわかるエネルギーの将来
・昔からエネルギー(木材)が政治を左右してきた。奈良から京都への遷都、家康が江戸を選んだのも木材の確保のためだと考えられる。
・ペリーの蒸気船をきっかけに石炭が使われるようになる。当時国内で産出できた。
・石油へ移って問題は輸入せざるを得なかったこと。当時ほぼアメリカが産出していた。石油が無くて戦争し、石油がなくて負けた。
・人口もエネルギーの変遷とともに急拡大している。
◯水力発電のオーナー
・水力発電の建設には小型であっても流域地域の住民の合意が重要。
・川は基本的に国のもの。
・持続可能な発展のための公共的プロジェクトと割り切り、水源地域の利益のために。 -
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養老猛司氏の本は読んだことがないが、「バカの壁」ほか、なんだかおもしろそうなのでそのうち読んでみよう。
竹村氏は元国土交通省局長。
そういう2人による環境・食料・エネルギー問題をめぐる対談集で、談論風発風に進んでいたところに、神門善久という農学教授が飛び込んできて、農政問題が大変だ、誰もオレの言うことを聞いてくれない、農林水産省はバカだと叫ぶので、年寄り2人がもてあましてニガ笑いといった座談風景が思い浮かんでくる本でした。
竹村氏の発言。
「頭のいいだけではない、勇気もあり、社会を綱渡りしていく度胸とバランス感覚を備えた役人が少なくなりました。
現在はマスコミによって細部のミスでたたかれ意気消沈し、役人になろうとする優秀な人材はカネ儲けのマーケットの世界に行ってしまう。
この激動の時代にこそ構想力と気概を持った役人が必要です。国の役人こそが百年後の国土と食料とエネルギーを考えるセクターになるべきです。」(p158)
「役人」のところは「政治家」と読み替えるべきかもしれない。 -
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多目的ダムの矛盾=利水と治水。半分くらいしか水を貯められない仕組み。
グラハムベルはナショナルジオグラフィックの編集責任者だった。
ダムは半永久的に壊れない。鉄筋を使っていない。岩盤と一体化。コンクリートは100m。
多目的ダムは砂が溜まりにくい。砂を流す穴がある。電力ダムはない。
水路式発電ならダムはいらない。ただし減水区間が生じる。
逆調整池ダム=下に30mくらいの貯水ダムを作って、余った電気で揚水する。
かさ上げ工事をすれば、容量が増える。
奈良盆地から京都への遷都はエネルギー不足。
江戸幕府は関東のエネルギーが魅力だった。
幕末は文明の限界。石炭がエネルギーであることを知らされた。太平洋戦争は、インドネシアの石油が目的。
文明あるところ環境破壊あり。メソポタミア文明による砂漠化、黄河の砂漠化=黄砂の原因。
今回の人口減は、エネルギーの限界からくる?という仮説。 -
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副題が
今あるダムで年間2兆円の電力を増やせる
元国土交通省河川局長 竹村公太郎著
何も今更大きなダムを作ろうなんてことではない。
今あるダムの運用を
最新技術を使ったシステムに変えれば
年間2兆円分の電力が生まれると言う話。
ダムの運用に関わる法律は昭和32年(1957年)に
制定されて以来、根本的には一度も改正されていない。
59年前の社会事情のまま、運用されていると言うこと!
原発問題、温暖化問題、、、。そして最近のゲリラ豪雨のような
かつては考えられない規模の大雨!
それらに役だつダムの運用方法。
かつては治水、利水という観点からダムが作られてきた。
電力を作り、水がないときに利用する利水。
洪水が起こらぬために、、の治水。
本来、一つのダムで完璧なこれら二つの利用を
こなすのは矛盾点も多くなるが、
昔はそれができなかった事情も確かにある。
が、今はどうだ。ドローンも使える時代、
遠隔操作でのダムの貯水の加減も可能。
そのソフトパワーをもっと使えば、
時代に即した利用法ともなろう。
官庁というところは、著者の竹村氏の経験からも
『予算の獲得』が第一義で
ハードには目を配っても、
その利用法を改良するソフトには
なかなか目がいかない体質なんだとか。。。
プロデュースが下手と言われる日本人だが、
昨今新しい人々が、ネットも使い地方の埋もれた技を
世界的に広めたり、資本がないが優秀な技術や社会貢献できる
小さな会社に、金を集めることもできるようになっている。
官庁という巨大なバケモノの中に
収まらない若く清新な人材が、集まって
こういう提案を実行してほしいものだ。 -
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いくつか説得力が弱い点も感じるが、地形や広重の浮世絵などから歴史の背景を探っていくのは推理小説のように面白い。
桓武天皇は長岡京に遷都した際、夷が侵入する可能性のある東北方向の逢坂峠を恐れて、そこを見下ろすことができる比叡山に延暦寺を創建し、僧侶集団に武力を持たせて監視させた。桶狭間の山中で今川隊が伸びきったところを大将のみを襲撃した経験のある信長は、それと同じ恐怖を抱いた比叡山を焼き討ちにした。
頼朝は人口過密で疫病が蔓延していた京都を嫌い、鎌倉に幕府を開いた。京都の人口は20万人、人口密度は4900人/km2と推測する。「方丈記」にも、疫病で4万人以上の死者が出たと記されている。祇園祭も疫病払いから始まった。
元寇が失敗に終わった理由は、日本の沖積平野は水はけが悪く、丘や山には樹木が茂るため、モンゴル軍の強みである騎馬軍団と牛車群を日本では活かすことができなかったためだった。大石久和も「国土が日本人の謎を解く」で、幕末に欧米列強の植民地にならなかった要因として、同様の考察をしている。
皇居の半蔵門は土手が築かれており、それからは尾根道の甲州街道が続く。江戸幕府は、この通りの周辺に徳川御三家や親藩、旗本を住まわせることによって防御した。赤穂浪士の3分の1が討ち入り前に麹町に潜伏していたのは、幕府が匿ったからだと断言する。高家という重要な役職にある吉良家は、討ち入り前に、両国橋が建設されてから40年しか経っておらず、下総の匂いを残す本所に移転させられていた。家康が創建した泉岳寺に赤穂浪士47士を埋葬したのは、大木戸を札ノ辻から高輪を移し、その手前で滞留した旅人を誘導することによって、主君の仇を討った忠誠心の物語を広めて幕府を安泰にするためだった。
家康が江戸入り直後に小名木川を造ったのは、道三堀で江戸城から荒川(現隅田川)沖に出た後、小名木川を通って中川、さらに舟堀川で利根川(現江戸川)に出ることによって、関東一円の北条氏を制するためだった。荒川の洪水を制御するために、右岸の浅草から三ノ輪までの日本堤を造り、吉原を移転させて人々の往来によって踏み固めさせた。また、対岸の墨田提を強化して桜を植え、料亭を誘致して今の向島が形成された。
毛利家は、広島三次盆地の発祥で、稲作を行う平坦な土地はなかった。その後、村上水軍などを傘下に入れて大阪湾から九州にかけての制海権を握り、本拠地の広島城は海に出ることを念頭に置いた太田川の砂洲につくられた。関ヶ原の戦いの後、萩に移封されて瀬戸内水軍との縁を切断され、大船建造も禁止されたため、干潟の干拓と塩田の造成による農耕民に転身した。