竹村公太郎のレビュー一覧
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日本の地形から謎を解いている作品。
歴史はミステリ。
視点を変えれば今まで見えていなかった事が見えてきます。
京都がなせ都になったのか?
鎌倉になぜ頼朝は幕府を開いたか?
江戸に移封れた家康の本当の苦労とは?
当時の地形・気象・インフラなどの事実資料から謎を解いていきます。
今までの歴史は人文観点からの物語の為、いろいるな考えがあり議論や多様な作品が生まれています。
只その当時の地形や気象、現在のインフラから考えると又違った歴史の解釈が見えてきました。
学校の授業も歴史を地理や理科などと組み合わせれば、もっと違った物事が見えてくるかもしれないと思いました。歴史・時代小説を読んで感覚が変わってく -
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地理と歴史の好きな私にはぴったりの本です。この本の著者である竹村氏の本に数年前に出会ってから、これで9冊目となります。
縄文時代から明治以降に至る、日本の文明・文化の底力は「理系の力」にあるとして、ここの出来事を解説してくれています。日本の地形を理解した上で、これまでに行ってきた、技術力、知識の集積・伝搬の素晴らしさを分からせてくれる、読んでいて力付けられる本です。
以下は気になったポイントです。
・日本に奇跡の力があるとしたら、島国として大陸と隔絶していた以外には、雪深い地域が多いということが挙げられる。雪国人口密度はカナダ、ノルウェーと比較して飛び抜けて高い(p5)日本人ほど小さいも -
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歴史を検証するとき、今の地形や気候のままで考えない方が良いってのはよくわかる。
今の東京から戦国時代の関東が湿地帯だったなんて想像できないもんね。
秀吉から江戸への転封を命じられ、あまりの江戸の酷さに家臣たちが怒る中、当時の大阪城とその周囲、江戸城とその周囲の地形の相違を見抜いた家康の先見の明がすごいな。
しかしながら、その考えを実現するのは並大抵じゃなかったのは想像に難くない。
この本はそんなような話が満載。
源頼朝が幼少の頃島流しにあった場所が実は・・・なんてのはこの本読まなきゃ知らないままだったかもしれない。
半蔵門が正門だった説はとても支持したい。
読むとなるほどぉと膝 -
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歴史の色々な謎に対して、地形を切り口になぜそのようになったかを解明していく。
雑学、うんちくを得るのにも盛りだくさんの本。
ただし、この本は雑学、うんちくを盛り込んだだけの本ではない。
作者の視点の鋭さ、豊富な知識の組み合わせによる立体的な考察に面白さがある。
解明する謎は、通常皆が当たり前と思っていることで、でも、実は不思議なことだよね?と思うことを扱っている。
たとえば「横浜はなぜ近代国家の表玄関になれたか」など、横浜=大きいが当然の感覚になっているが、そもそも開港前の横浜村は100人の住民の弱小村で、開港ともに人口が増え大きな都市になった。これはどのようになったか?というようなテー -
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歴史関係の良著は多数あるが、こんな現実的な観点から歴史の史実を解き明かす本は珍しいのではないか?
江戸に領地を豊臣から与えられた時、徳川家康の家臣たちは、憤怒の嵐だったに違いない、それは葦の葉が茂るような広大な湿地地帯。氾濫する利根川は農地を荒らし放題。そこに何年もかけて「鷹狩り」と称し、家康は土地の特徴を調べ尽くし、どこをどう改良すれば、多くの民が住まい、多くの農地を開墾でき、安定した財政を見込めるか?を研究し尽くす。伝伝。
はたまた、鎌倉幕府と、後から呼ばれるが、幕府と名のつく都の機能を果たした場所で、これだけ狭い土地はなかった。それはなぜか?島流しにさせられた青少年期の源頼朝、実は島とい -
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環境問題を考える上で、単に自然を守ろうという言葉は、すでに時代遅れの考え方であろう。
と言うのも、少なくとも高度経済成長期においても、自然環境破壊は理解され、それと経済的メリット発展のバランスをとろうとしていたのである。残念なことに、その時代は経済発展を優先することが多かったのである。
上記も軽く触れられながら、本誌では何よりも日本の地形を最大限活用するためには、水力発電を活用することが望ましいことを、様々な面から説いている。
説明されている内容は実に納得がいくもので、国土の約7割が山間地域で有り、年間降水量が3000mmmという条件は正に水力発電に向いているといえる。
水力発電を広げ -
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著者は建設省で主にダム・河川事業を担当した方。インフラが地形や気象に立脚し、文明を支えているという視点で論じているのが面白い。
後藤新平は岩手県水沢市に生まれ、自費でドイツに留学してコッホ研究所で博士号を取得した。台湾総督府民政長官、満鉄初代総裁、逓信大臣、内務大臣、外務大臣を務めた後、東京市長に就任し、シベリア出兵時に毒ガスとして開発された液体塩素を転用して、大正10年に水道水の塩素殺菌を始めた。これを機に、国内の乳児死亡率が劇的に減少し、平均寿命が改善することになった。後藤は大正12年に関東大震災後に帝都復興院総裁となり、東京復興計画を立案して政府に提出した。
銚子沖では黒潮と親潮がぶ -
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シリーズ2作目
前作同様、これまでの歴史の常識とは違う視点からの考察は、非常に興味深いものです。
3作目も期待しています。
<目次>
なぜ日本は欧米列国の植民地にならなかったか 1―地形と気象からの視点
なぜ日本は欧米列国の植民地にならなかったか 2―「海の中」を走った日本初の鉄道
日本人の平均寿命をV字回復させたのは誰か―命の水道水と大正10年の謎
なぜ家康は「利根川」を東に曲げたか―もう1つの仮説
なぜ江戸は世界最大の都市になれたか 1―「地方」が支えた発展
なぜ江戸は世界最大の都市になれたか 2―エネルギーを喰う大都市
なぜ江戸は世界最大の都市になれたか 3―広重の『東海道五十三次』の