竹川弘太郎のレビュー一覧
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ネタバレあらすじ
後漢末期、腐敗した朝廷と黄巾の乱によって大混乱に陥った中国大陸を舞台に、草の根から身を起こした劉備玄徳が、関羽・張飛との「桃園の誓い」を経て天下に名乗りを上げ、稀代の天才軍師・諸葛孔明を迎えるまでの激動の歩みを描く第一巻。拠るべき領地も兵力も乏しく、敗走を重ねながらも「民を慈しみ、仁義を貫く」という揺るぎない大義を掲げ続ける劉備。その至誠に打たれた諸葛孔明は「三顧の礼」に応えて出廬し、弱小勢力が覇権を争うためのグランドデザイン「天下三分の計」を授ける。情熱と仁徳を持つリーダーと、冷徹な戦略眼と論理を持つ軍師が出会うことで、歴史が大きく動き出す熱き人間ドラマを躍動感あふれる筆致で描き出す。
所感・深掘り
「志や情熱という確固たる人間力に、冷徹な構造的戦略が掛け合わされたとき、組織は初めて不可能な逆境を覆す力を得る」という組織論の本質を突きつけられ、リーダーシップと参謀機能のあり方を根本から省みさせられる名著だった。
特に深く腑に落ちたのは、「諸葛孔明が授けた『天下三分の計』とは、目先の戦闘に追われていた劉備軍から無用な迷い(認知的負荷)を削ぎ落とすための最高の設計図だった」という点だ。強大な曹操軍を前に日々を生き延びるだけで精一杯だった劉備陣営に対し、孔明は「誰と結び、どこを拠点にし、将来どう動くべきか」という長期的な大局観と明確な判断基準を提示した。全体構造と進むべき道筋が一本の線で可視化されたからこそ、関羽や張飛といった猛将たちも自らの役割を理解し、迷いなく命を懸けて自走できたのだ。大義という熱量だけでなく、客観的な事実と論理に基づいた共通の型を示すことの絶大な合理性を痛感した。
また、劉備が貫いた「民を捨てず、信義を第一とする」利他の姿勢は、人の心を束ねるリーダーにとって不可欠な人間的引力であると感じた。私利私欲や保身のために動く指導者のもとには、真の忠誠も結束も生まれない。どれほど敗北や苦難に直面しても、仲間を信じ抜き、公のために尽くす姿勢を背中で示し続けること。指導者自らが私心を捨て、確固たる誠実さと安心感を差し出し続けることによってこそ、優秀な人材が集まり、逆境にあっても決して折れない強靭な組織が築かれるのだと確信させられた。
目先の損得や感情的な場当たり主義を手放し、揺るぎない大義を掲げ、冷徹な戦略の型で仲間を迷いなく導き抜くこと。
日々の激務に追われて組織の目指すべき方向性を見失いそうになっている人はもちろん、熱い人間力と筋道立った戦略眼を兼ね備え、関わるすべての人を確かな未来へと牽引する不動の軸を築き上げたいすべてのリーダーにとって、生涯にわたり手元に置いて立ち返るべき人間と組織の教科書だ。 -
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【読書レビュー 579】
原作・吉川英治、画・石森プロ、シナリオ・竹川弘太郎『マンガ三国志Ⅱー赤壁の戦いと三国の攻防』飛鳥新社、2020年
上下巻、合計約1000頁のマンガで『三国志』をまとめたものの下巻。
『正史』か『三国志演義』か随時、注記で出典が示されているので「これは史実かも」「これはフィクションぽい」と確認しながら読み進める事ができます。
横山光輝60巻は無理な方にはお勧めです。
以下は巻末の渡邊義浩氏(早稲田大学文学学術院教授)の解説の抜粋です。
本書は劉備と諸葛亮が物語の中心として描かれている。
劉備像は『三国志演義』以降に語られてきた劉備像とは大分違っているが、史実に近いと思う。
語られてきた劉備像は情の人、古き良きアジアのリーダー像。
この漫画で描かれる劉備はもともと強くて、傭兵隊長としての能力も非常に高い。
個人的な武勇も高いし、決断力もある。
曹操も認めるだけの軍事能力を持っている。
諸葛亮は史実からすると、優秀な指揮官だが軍事的には無理。
中国では戦争というのは基本的にだまし合い。
諸葛亮は誠実なので、だまし合いがあまり得意じゃない。
諸葛亮はグランドデザインを描く人。
グランドデザインの事を戦略というのであれば、それは超一流の戦略家だと思うが、戦術単位の話だと普通の優秀な指揮官。
個々の戦いは得意では全然ないし、個々の戦いでマジックを使う人でもない。
参謀役として自分の政治基盤をカチッとつくっていった。
自分の具体的な支持基盤をつくり、劉備が警戒するほど権力を固め、がんがん官僚を操り、内政をきちっとやった。
ただ、ナンバーワンになる気持ちは全くない。
諸葛亮は悲運の人。
彼は漢を復興したかった。
なんのイノベーションもないが、その志のために生きた。
諸葛亮が曹操を破って中国統一したりしていたら、全く興味は湧かなかった。
でも、志半ばで五丈原で亡くなる。
馬謖には裏切られ、部下に優秀な人材は少なく、本当にかわいそう。
そこにロマンや悲運を感じずにはいられない。
『三国志』は何を求めて読むかによって見えてくるものが変わる。
様々な人物像が出てくるところに『三国志』の面白さがある。
だから劉備や関羽に学ばなきゃいけないという事もないし、曹操になろうが、董卓のように生きたいと思おうが、全然構わない。
自分が好きな登場人物から、学べるところがあれば、そこから学べばよい。
自分の生きていく事に影響を与えられるような人を見つけられる事が大切。
『三国志』は、中国という超大国が大きく変わっていくところ。
日本の戦国時代とか明治維新もそうだが、歴史が大きく動いていく時代には人々の個性がきらめくので、それに惹かれるのは人のドラマがあるから。
特に、今のように価値観が混迷している時は、過去を振り返る、歴史を見る、古典を読む。
そういう時に非常に魅力のある古典の一つ。
三国志は史実だし、日本にも大きな影響を与えているので、他の物語とは重みが違う。 -
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上下巻、合計約1000頁のマンガで『三国志』をまとめたものの上巻。
各できごとについて『正史』か『三国志演義』か随時、注記で出典を示しながら簡潔に解説してくれているので「ここまでは史実の可能性が高い」「これは完全にフィクション」と確認しながら読み進める事ができます。
横山光輝60巻は無理という人にとってはコスパよいです。
横山光輝も読みたくなってしまいますが。
以下は巻末の渡邊義浩氏(早稲田大学文学学術院教授)の解説の抜粋です。
約400年続いた大帝国の漢がつぶれた大変革期には大きく三つの方向性があった。
①漢帝国を続けたい。(蜀)
そこに劉備や諸葛亮が関わっている。
蜀は地域名で正しくは季漢(きかん)、末っ子の漢を意味する国名だった。
②世界的寒冷化で遊牧民が南下、それが大国の崩壊と分裂を招く。(呉)
もう大帝国は復興しないから、その方向性で天下を三分しようとするのが孫権がつくった呉。
諸葛亮の「天下三分の計」はいったん天下を三分し、後に蜀が漢を継いで中国を統一しようと考えた。
呉の場合は、三分自体が目的だった。
③漢とは違う統一国家をつくろう。(魏)
それが曹操とその息子・曹丕の国、魏。
曹操は後世の租庸調制の基礎や均田制の源流となった屯田制など、先進的な政策を生み出しているが、存命中は実を結ばなかった。
それが300年後の隋唐の統一国家の基本制度になった。
最終的には魏を継いだ西晋が中国を再統一、その過程に登場する様々な人物の個性あふれる生き様を描いたのが『三国志』。
『三国志』には、いくつかのバージョンがあり、まず正史『三国志』。
これは魏を継いだ西晋の歴史家、陳寿が3世紀末に著した。
中国再統一から間もない時代、彼らにとっての現代史として書かれていて史実を伝えているが、当時書けない事もあった。
魏の正統性を書く事が眼目だったので、魏の曹操、西晋の基礎を築く司馬懿(しばい)らの悪事は書かず功績を称えている。
そうした偏向もあるが、後に4~5世紀の歴史家、裴松之がこれに注を付けて記述を補い、三国時代の具体像が見えるようになった。
陳寿は蜀出身で、父は諸葛亮に仕えていたので蜀への思いがあり、蜀や諸葛亮を良く書いている。
蜀こそが正統で劉備が本当の皇帝なのだという思いを行間に忍ばせている。
この正史『三国志』を元に、14世紀の元末から明初に朱子学の影響下で歴史小説として書かれたのが『三国志演義』。
これが明・清時代に大流行。
小説なので「七分の実事、三分の虚構」と言われる。
正史『三国志』との決定的な違いは、どの国を正統とみなすか。
『三国志演義』は、蜀を正統として描かれる。
諸葛亮を天才軍師として、関羽を「義」という徳目を体現する神格化された存在とする事にフィクションの大半が費やされている。
となると、曹操は漢を滅ぼした悪逆非道の人間でしかない。
なので『三国志』の遺跡を訪ねると、諸葛亮と一緒に写真を撮っているのは日本人、関羽と写真を撮るのは中国人。
曹操と撮っているのは、毛沢東が曹操ファンだったので毛沢東主義者だろうか。
(日本では1994年から2005年まで週刊漫画雑誌『モーニング』で曹操が主人公の『蒼天航路』が連載された。単行本で全36巻。劉備が聖人君主ではなく、曹操の卓越性にスポットが当たっていてとても面白い)
吉川英治は『三国志演義』を少年時代に愛読したようだが、彼の『三国志』では関羽を特別扱いしていない。
吉川英治は曹操が時代を切り拓いていく姿勢を高く評価していた。
未来が見えない戦時中に書かれた事とも関わっていると思われる。
吉川三国志は、前半は歴史的な事実として重要だった曹操を、後半は漢民族の思いの中心にあった諸葛亮を主人公に描く。
本書『マンガ三国志』は、劉備が主役で描かれる。
劉備はそれまでの『三国志』では、主人公であっても主役ではなかった。
それがこの作品では主人公であり、主役でもある。
いろんなところに適切な注釈が付けられていて『正史』や『三国志演義』との比較なども書かれている。
作者は、かなり『正史』も『演義』も読み込んで書かれたものと言えるかと思う。 -
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ネタバレあらすじ
理想の政治を求めて諸国を巡るも、権力者たちに受け入れられず、困窮と命の危険に晒され続けた孔子と弟子たちの苦難の放浪期、そして晩年を描いた完結編。陳・蔡での絶糧など幾多の逆境に遭い、顔回や子路といった最愛の弟子たちとの死別に直面しながらも、孔子は天命を信じて自らの道を疑わない。権力への迎合や目先の成功を完全に手放し、晩年は故郷で古典の編纂と後進の教育にすべてを捧げる。「逝く者は斯くの如きか、昼夜を舎かず」と川のほとりで呟いたように、時代の無理解を超えて永遠に受け継がれるべき知恵と精神の型を遺し、弟子たちの自立した成長を通じて天下に仁の種を蒔き続けた不屈の指導者像を鮮烈に描き出す。
所感・深掘り
「真のリーダーシップとは、生きている間に自分の成果や権力を誇示することではなく、自分が去った後も仲間や組織が誇り高く自走し続けるための思想と仕組みを遺すことである」という本質を突きつけられ、日頃の指導や育成のあり方を根本から引き締め直される一冊だった。
特に深く腑に落ちたのは、「『今すぐ世に認められたい』という功名心や執着を手放すことで、絶望という膨大な認知的負荷から解放される」という知恵だ。目先の評価やポストの獲得を目的にしてしまうと、思い通りにいかない現実に直面するたびに脳のメモリは焦りと不満で圧迫され、思考も行動も濁ってしまう。「自分には為すべき天命がある」「結果は天に任せ、今できる最善を尽くす」という不変の型を肚に据えること。外部の評価というノイズを先回りして削ぎ落とし、自らの役割に集中することこそが、逆境にあっても精神的な平穏を保ち抜く極めて合理的なセルフマネジメントなのだと痛感した。
また、最期まで弟子たちの個性を信じ、自らは踏み台となって未来へ知恵を手渡し続けた孔子の姿は、指導者にとって究極の利他の実践であると感じた。リーダーが自らの権力や正しさにしがみつき、部下を支配しようとすれば、その組織はリーダーの死や退任とともに崩壊してしまう。指導者自らが私心を捨て、仲間が自立して時代を切り拓いていける確かな言葉と規範の型を授け、温かい安心感の土台となって背中を押し続けること。その利他の精神が川の流れのように脈々と受け継がれてこそ、現場は迷いなく自立し、組織全体が世代を超えて力強く自走し続けられるのだと確信させられた。
目先の評価や保身の迷いを捨て、不変の理念の型で逆境のノイズを削ぎ落とし、次世代の自走のための礎となり抜くこと。
思うような結果が出ず焦りや無力感に苛まれている人はもちろん、自らの使命を見つめ直し、関わるすべての人を迷いなく確かな志と自立へと導く永遠の軸を確立したいすべてのリーダーにとって、常に手元に置いて立ち返るべき人間学の教科書だ。 -
Posted by ブクログ
ネタバレあらすじ
乱世の春秋時代、身分の低い出自から身を起こし、学問と徳によって天下泰平の道を模索し続けた孔子の前半生を描いた歴史巨編コミック。周の伝統的な礼制が崩壊し、力と欲望が支配する動乱の世にあって、孔子は人間としての真の道(道徳秩序)を再構築しようと立ち上がる。本書では、孔子の思想の核心である「仁(他者への深い思いやりと敬意)」と、その実践たる「恕(自分が望まないことは人にもしないこと)」を軸に、多様な弟子たちとの対話を通じて人間学の骨格を練り上げていくプロセスを描く。「吾が道は一を以て之を貫く」という言葉の通り、いかなる逆境や政治的孤立にあっても私利私欲に走らず、道義を貫き抜くための揺るぎないリーダーシップの原点を明快に描き出す。
所感・深掘り
「論語とは堅苦しい教条主義ではなく、欲望と混沌が渦巻く世界において自らの行動規範を極限までシンプルに保ち、迷いなく生きるための最高の思考の骨格である」という本質を突きつけられ、日々の組織統率や対話のあり方を根本から引き締め直される一冊だった。
特に深く腑に落ちたのは、「『恕(相手の立場に立ち、望まぬことを強いない)』という客観的な型を持つことで、保身や損得勘定という膨大な認知的負荷から解放される」という知恵だ。「どうすれば評価されるか」「誰に媚びれば生き残れるか」と目先の利害に振り回されていると、脳のメモリは際限のない葛藤に奪われ、本質的な判断を見誤ってしまう。「人として筋が通っているか」「相手を傷つける独りよがりではないか」という仁の型に照らせば、選択肢は自ずと一本に絞られる。私心を捨て、道理を愚直に通すこと。それこそが、内なる迷いを先回りして削ぎ落とす極めて合理的なセルフマネジメントなのだと痛感した。
また、弟子一人ひとりの気質や長所を見抜き、画一的な正論を押し付けずに適材適所で導く孔子の対話姿勢は、現代の指導者やリーダーにとって不可欠な利他の実践であると感じた。リーダーが自らの権威や正しさを振りかざして部下を型に嵌めようとすれば、現場は萎縮し、自律的な自走は止まってしまう。指導者自らが私情を律し、相手の言葉に深く耳を傾け、失敗をも受け止める揺るぎない安心感の土台となり続けること。リーダーがブレない徳と恕の姿勢を貫いてこそ、現場の仲間は誇りを持って自発的に動き出し、組織全体が淀みなく自走する強靭な集団へと育つのだと確信させられた。
目先の損得や感情のブレに惑わされるのをやめ、仁と恕の型で思考の迷いを削ぎ落とし、貫くべき大義を現場の自走へと還元し抜くこと。
人間関係の摩擦や日々の判断に行き詰まりを感じている人はもちろん、人としての不動の背骨を鍛え上げ、関わるすべての人を迷いなく確かな信頼と自立へと導く不動の軸を確立したいすべてのリーダーにとって、常に傍らに置いて立ち返るべき人間学の教科書だ。