平野暁臣のレビュー一覧
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1. 問いかけとタイトル
「調和」という名の事なかれ主義に、窒息しそうなあなたへ。
『 予定調和をぶっ壊せ。── 岡本太郎が「7人の男たち」と企てた、"建設的喧嘩"の記録 』
2. 出会いの文脈(プロローグ)
最近、会議に出るたびにため息をついていた。
「では、この方向で調整ということで」「波風立てないように進めよう」
大人の対応、リスクヘッジ、コンセンサス。聞こえはいいが、そこにあるのは熱狂ではなく、冷めた「処理」だ。誰も傷つかない代わりに、誰の心にも刺さらない企画ばかりが量産されていく。
「俺たちが作りたかったのは、こんな無難なモノだったか?」
そんな乾いた閉塞感を抱えていた時、書店でふと、あの異様な塔の表紙と目が合った。
『太陽の塔 岡本太郎と7人の男たち 48年目の誕生秘話』。
著者は、岡本太郎記念館館長の平野暁臣氏。
なぜ、あの不気味で不可解な塔が、万博という国家プロジェクトのど真ん中に建ったのか?
帯にあった**「ベラボーなものを作れ」**という言葉に引っぱたかれた気がして、私はこの本をレジへと持っていった。
3. 私を変えた「視点」(ハイライト)
読み始めてすぐに、私の予想は裏切られた。
これは単なる「天才・岡本太郎の偉人伝」ではない。**「太郎という『災害』に直面した、プロフェッショナルたちの格闘技の記録」**だったのだ。
私が最も震えたのは、万博のシンボルゾーンを巡る、「大屋根」の攻防だ。
当時の建築界のトップ、丹下健三(たんげ けんぞう)が設計した、近未来的で論理的な「大屋根」。それは万博のテーマ「調和」の象徴だった。
そこに岡本太郎は、「屋根をぶち抜いて、バケモノのような塔を立てる」と言い出したのだ。
建築家からすれば狂気でしかない。雨仕舞いはどうする? 構造強度は? 美的バランスは?
常識なら「却下」だ。しかし、ここで登場する「男たち」──構造家の川口衞(かわぐち まもる)をはじめとする技術者たちは、太郎の狂気を否定しなかった。
> 「太郎さんのデタラメを、どうやって建築として成立させるか」
>
彼らは太郎と喧嘩し、怒鳴り合いながらも、技術の粋を集めてその「不可能な穴」を開けた。
「妥協なき対立こそが、調和を生む」。
この逆説的な事実が、ページをめくるたびに私の脳を揺さぶった。
4. 思考の対話(メインエッセイ)
この本を読みながら、私は自分の仕事を振り返らずにはいられなかった。
今の私たちは、「対立」を恐れすぎているのではないか?
意見がぶつかることを「トラブル」と呼び、すぐに折衷案を探す。A案とB案の間をとって、角を削って丸くする。そうして出来上がったものは、確かに整っているけれど、誰の「熱」も宿っていない。
しかし、太陽の塔の現場は違った。
岡本太郎は**「絶対に対立しろ」**と言った。
丹下健三という「論理(ロゴス)」の巨人と、岡本太郎という「感性(パトス)」の怪獣。
そして、その間に挟まれた男たち。
彼らが凄かったのは、太郎の無茶振りを「イエスマン」として聞いたわけではないことだ。
「それは無理だ」「構造的にありえない」と徹底的に反論し、戦わせた。
「なあなあの関係」ではなく、「プロとして互いの領分を侵さないための、本気の殺し合い」。
私がハッとしたのは、**「本当のチームワークとは、仲良く手を繋ぐことではなく、互いが違う方向を向いて引っ張り合うことだ」**という気づきだ。
その強烈なテンション(張力)が、あの塔を半世紀以上も立たせているエネルギーの正体だったのだ。
途中、工事の遅れや予算の壁にぶつかる描写がある。私なら「もう諦めよう」と思う場面でも、彼らはニヤリと笑っているように見えた。
「難題が来たぞ。どうねじ伏せてやろうか」
そんな男たちの、脂ぎった熱気が文字から立ち昇ってくる。私は、自分の仕事における「面倒くさいこと」が、実は「面白くなるチャンス」だったことを見落としていたのかもしれない。
5. 未来への栞(エピローグ)
本を閉じると、胸の奥にあったモヤモヤが、「種火」に変わっているのを感じた。
明日、会社に行ったら、あの気になっていた企画に「異論」を唱えてみようと思う。
もちろん、ただの文句ではない。
「もっと面白くするために、あえてぶつかる」のだ。
上司や同僚と衝突するかもしれない。空気が悪くなるかもしれない。
でも、**「ぶつかり合い(対決)のないところに、本当の調和(芸術)は生まれない」**のだから。
もし誰かに「なんでそんな面倒なことを言うんだ」と言われたら、心の中でこう呟こう。
「太陽の塔だって、屋根をぶち抜いたからこそ、伝説になったんだ」と。
この本は、私に**「戦う勇気」と「プロとしての矜持」**を植え付けてくれた。
6. 記憶のアンカー(要約一文)
「調和とは、妥協することではない。猛烈にぶつかり合い、その火花の中で互いを認め合うことだ。」
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1970年、大阪万博の「太陽の塔」を実際に作った人たちのインタビュー。
当時、いったいどういう経緯で岡本太郎がプロデューサーになったのか、太陽の塔という“ベラボー”なものを建てられたのか、その実際的な建築の手法などを、携わった専門家の思い出から紐解いていく。それは、困難と、困難をどう乗り越えていくか、スリリングな物語だ。
確かに、今、考えても、突拍子もないデザインと展示屋根を突き破る破天荒な企画だ。単なるデザインと発想はともかく、それを実現するのは、安全性や骨組み、素材も含めた現実的な建築手法に落とし込む技術が必要になる。それを「実現」させた人たちの物語だ。
今一度、太陽の塔の前に立ちたい、と思わされた。 -
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ネタバレ岡本太郎の著作を5つのテーマに編集した著作集の第一部。テーマは対極と爆発だ。芸術はどうあるべきか、彼の芸術家としての立場はどのようなものか、芸術に対してどのような心構えや想いで望むか、そういったことについて綴られている。対極という考え方は、青年期から10年あまり過ごしたパリで生まれた。当時、アブストラクトアートとシュールレアリスムがパリの画壇でもてはやされていた。これらの絵はそれぞれ抽象と具体を突き詰めていったもので、芸術史上まさに対極に位置する。この相反する立場を、弁証法的に捉え直したのが、岡本太郎の対極主義だ。しかし、ただ合わせるのではない。片方に極端にかけることによって、はじめて激しいぶつかりが生まれ、新しいものが生み出されると太郎は言う。彼の爆発の概念は、戦後生まれたようだ。日本人は原爆を落とされた被害者だという認識が、彼には強い。その主体者意識が大事だと言う。ごっそり、えぐりとられたあの瞬間を問い、考える。そして、新しい日本を作る意志と情熱の中にあの瞬間が爆発し続けなければならないと述べる。この爆発は生き方ひいては芸術のあり方について突いている。芸術は爆発だという言葉は有名だが、岡本太郎は対極にかけることを通して生命を爆発させるような生き方をしたのだ。
なにかにかける、その瞬間に、私は二の足を踏みがちだ。仕事を引き受けること、他人に関わること、日常の些事のなかにも小さな選択がある。これをしたらどうなるだろうと、リスクが頭をよぎり思考停止状態に陥る。そして、そのことは後回しにし、そのまま日常の中で忙殺され、いつしかそんなアイディアがあったことすら忘れてしまう。たしかに、岡本太郎の生き方には憧れる。だが、その方向に進むのは怖い。彼のような生き方をしようとしても、できる自信がない。果たして、この怯えはどこから来るのだろうか。方や、岡本太郎は、ダメでいいと開き直っている。この開き直りはどこからくるのか。上手い必要はない、美しくあればいいと芸術論の中で彼は言っている。当時ではへっぽこ絵描きと見なされていたセザンヌを例に出し、絵画の歴史は職人的な技巧を極めることを志向するところから、たとえ下手であっても芸術的な感性やセンスがあればいいという時代に入ったと言っている。会社人間という言葉に象徴されるように、仕事もその組織で評価される技巧を極めることが求められたりする。そして、それが巧くできない人は使えないと言われ、白眼視される。しかし、実は芸術も仕事も同じではないか。経済が行き詰まり創造性が求められる時代に、巧くある必要があるのか。むしろ、美しくあることの方が大事だ。美しさは新しさであり、人間性に根付くものだ。人間性に根付くものは普遍性がある。そこから出てくるものは、人の心を打つ。巧く生きる必要はない、美しく生きればいいのだ。
ところで、美しさという時に第一に思い起こすのは、容姿の美しさだ。百田直樹さんがモンスターという小説で美を追求する女性を描いたが、現代は美に対する執着が強い。人は見た目が9割という人もいる。しかし、ここで言われている美しさは、その時代が決定した基準をもとに言われている。自分自身もその美しさを目指して、髪型を整えたり、洋服を買ったりしている。これは、岡本太郎の言う、上手に書こうという意識と共通するものがある。どちらも、他人の期待に応えようという意思が働いている。本当の美しさは整えら形作られたものではなく、うちから溢れだすものだ。
しかし、どうしてうまくあろうという思い込みがあるのだろうか。これは、他人の期待に応えようという刷り込みだと思う。たとえば、学校教育の中で、与えられた課題を忠実にこなす訓練をするうちに、それが思考の習性になってしまったのだ。問題意識を持ち、自分の頭で考えることが足りない。容姿もモデルや俳優の綺麗さやかっこよさが流行りになり、人々はそれを追いかける。作られた基準、答えに正確に答えることが正しいとされる。模倣能力が価値とされているのだ。
しかし、
この行き詰まりを見せる社会で、大事なのは個々の創造性だ。そして、創造的に生きている人は、美しい。創造的に生きるということは、伝統と対決し、新しさを作るということだ。だから、美しさは、実は思考能力と表裏一体の関係にあるのではないだろうか。課題を見つけ、本質を見極め、自分の考えを持つという、小さい頃には誰しも持っていた素直な感覚も持つべきだ。ただ、子供が手にしている保証された自由と、大人が手に入れるべき獲得くる自由は違う。 -
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「太陽の塔」万博から半世紀以上も経つのに、今でもグッズが売れている人気者。
岡本太郎氏が万博のテーマプロデューサーを引き受け、太陽の塔を完成させ、今現在まで残されることになったのかという過程が書かれていて、とても興味深かったです。
背中の「黒い太陽」は信楽焼のタイル三千枚をはり合わせて作られているのとかじっくり観てみたいし、中にも入ってみたいと思います。
岡本太郎氏は、何よりまず言葉の人だった。イメージにもなっていないものを言葉にし、文字ではない形を探し始める。スケッチがそこからはじまり、その展開を最初の言葉がリードすると。太陽の塔は「ベラボーなもの」という言葉から始まった。 -
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ネタバレ■要約
報告書は必要最低限に
毎月プロジェクトの見直しを行う
仕事の8割は、説明と説得
ギリギリまで粘ってお互いに納得できる線を探す
ディレクターは自分の担当領域の最適化だけを考える
中途半端に気を使い始めると、クオリティがどんどん落ちる
ディレクターを動かすポイント
リスペクトする
あなたを信じていると伝える
彼らの段取りを乱さない
調整で大切なこと
持ち味を活かす
モチベを高める
説明を尽くす
信義を守る
指揮棒は一人で振る
プロジェクトの3つのリスク
無駄骨に終わる
内部構造が崩壊する
これがかなり多い
社会との摩擦を生む
チームのみんなが安心して船をこぎ続けられるように、現場のテンションを上げるのもプロデューサーの大事な仕事 -
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【読書メモ】
●このイベントはなぜ空間で語ることができたのか。それは三つの特質を備えていたからです。「空間性」「身体性」「参加性」の三つです。
・空間性:三次元の空間の特性を生かした情報環境が作られていること
・身体性:情報をただ視覚的に"見る"だけでなく、体感的なファクターが織り込まれていること。全身の感覚を動員して情報と向き合うよう企図されているということ
・参加性:送られてくる情報をただ受け身で受け取るだけでなく、何らかの形で能動的にかかわる仕組みが用意されていること。
●教科書のように「頭で理解する」のではなく、「五感で感じる」。目指すのは「納得」ではなく「感知」です。
なぜなら、空間認識は右脳の領域に属していて、言語や論理のように左脳が優位に働くわけでないからです。ぼくたちは右脳で空間を把握する。イメージや映像として認知するわけですね。だから徹底して右脳に働き掛けるべきだし、その方が得なんですよ。
●ぼくは、空間が他のメディアと比べて際立っている機能は大きく三つあると考えています。それは、
(1)"体験"を通して"実感"を伝える
(2)"対話"を通して"関係"をつくる
(3)"触発"を通して"発見"を促す
というもの。言い換えれば、
(1)空間は"わかる"メディア
(2)空間は"顔の見える"メディア
(3)空間は"背中を押す"メディア
であるということです。
●(ライブコミュニケーションでは)接触数と接触密度はトレードオフの関係
●新しいビールが発売されるとき、その事実を広く社会に伝える仕事は、多くの場合、マスメディアや交通広告が担います。ぼくたちは、テレビのコマーシャルや新聞・雑誌の広告、あるいは電車の中吊り広告などで新製品の誕生を知るわけですね。つまりこの段階で知識としては知っている。しかしだからといって自動的にそのビールを買い物かごに入れるわけではありません。当たり前だけど、「知っている」という事実と自らの行動や選択が必ずしも直結するわけではないからです。
…知識として知っているだけではまだ自分の問題にはなっていない。カゴの中からジャンプして意識の懐に飛び込むためには、つまり「あっ、これはおれ自身の問題だったんだ」と実感するためには、きっかけが要るんです。
●空間メディアはこの状況を作ることができる。単に「見た」「知った」という段階から、自分との関係のなかで「考える」段階に引き上げるきっかけになり得るということです。
●"知ってるカゴ"の外へ。自分の問題として考える契機に。
●「啓蒙」ではなく「対話」。「与える」のではなく「触発」。「発見」の舞台をつくる。
●インターネットの出現が情報に対する我々の意識を変えようとしているポイントには、大きく三つあると僕は考えています。
(1)情報はそこにある→捕獲可能
(2)情報はFIXしない→書き換え可能
(3)情報は連鎖する→交換可能
●情報は獲りに行くもの
マスメディアの時代は「選択」→これからは「探索」&「捕獲」
●情報は変形可能でやわらかいもの
マスメディアの時代は「Solid(硬質体)」→これからは「Liquid(流動体)」
●情報は交換するもの
マスメディアの時代は「送達」→これからは「連鎖」
●情報についての環境変化
・情報は与えられるものではく、獲りにいくものだ。
・情報は生け簀の中で泳いでいるから、いつでも手を伸ばせば届く。
・情報は「選択」するものから「探索」したり「捕獲」したりする対象になった。
・情報は変形自在でやわらかく、いつも流動しているLiquidな存在だ。
・情報は使いたいときに使いたいものを集め、それを好きなように料理すればいい。
・情報は素材であってみんなのもの。共有されるべきものであり、共通の資源だ。
・情報を発信できる選ばれたエリートが大衆を一方的に啓蒙する時代は終わった。
・情報は受け取ったら反応するのが当たり前。情報交通の基本原理は「連鎖」と「交換」だ。
・情報をコネクトし、シェアすることこそがみんなの利益であり、資源になる。
●空間メディアについて持つべき戦略と心構え
(1)情報を塊にして届けようと考えない
→情報を完パケ(FIXされた状態)にしない
(2)「送り手と受け手」から発想しない
→情報を"授けるもの"と考えない
→空間メディアは対話の舞台。
→伝えるのではなく、捕獲してもらう。
覚えてもらうのではなく、"腑に落ちる"環境をつくる
→情報とは相手に「打ち込む」ものではなく「Share」するもの
(3)"伝えたら終わり"と考えない
→情報連鎖の誘発を狙う
→「いかにして次のアクションにフックをかけるか」
●どういったプレゼンにぼくたちは感動するのか?ぼくは実はシンプルに考えています。それは、作り手の志に共感したとき。ぼくたちはプレゼンテーターの志に共感できたときにはじめて感動するのであって、必ずしも語られる情報そのものの価値で決まるわけではない。
●共感には二つの側面があります。「自分と同じ方向を向いている」という実感と「自分を分かってくれている」という信頼です。
●マス広告が目指しているのは情報の平準化です。…観客をメディアに変えるために必要なのはまったく逆のアプローチです。それは「決定的な情報格差をつくる」こと。ネットでの情報は、基本的に「よく知る人」から「より浅い人」に流れます。つまり、情報格差が大きいほどこの行動へのエントロピーが増すわけですね。
●空間は「本の代わり」ではない。「本を読みたい」という気分にさせるもの
●多層構造でなければならない。まずは何も知らない人でもわかる、興味がもてるレイヤーがある。でも、もっと知りたくなったら次のレイヤーの扉が開いて、その中に入っていけばさらに深い情報が用意されている。その奥にはさらに次のレイヤーがあって…という構造だ。
目指すべきは観客にもっと知りたいと思わせること。欲張ると逆効果になる。展示はライブラリーではない。ライブラリーに行きたいと思わせるのが展示なのだ。 -
Posted by ブクログ
■概要
”カリスマ”プロデューサーが、ふたつのイベントを題材にプロデュースの「仕事」のプロセスと「構造」を語る。
取り上げられているのは、六本木ヒルズアリーナと、タイで行われた日本のデザインを紹介するイベント。
こうしたイベントがどのように作り上げられていくのか、プロセスと構造を軸に読み物的要素が盛り込まれている感じ。
1回読み終わりましたが、ストーリーを追っていって、あまりフレームワーク的なところは読み込めてません。。
■仕事に活かせる点
リーダーシップ論に通じるところも大いにあるかと思います。
もう少し枠組み要素を取り出して読んでみます。
(さわ)