川北稔の作品一覧
「川北稔」の「砂糖の世界史」「史的システムとしての資本主義」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
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ビジネス・実用
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Posted by ブクログ
文庫の名前ににジュニアとかついてるから油断したのに割と難しかった。世界史まるまる復習できてしまった。歴史が全て砂糖で説明できてしまう。
甘いものを好むのは全国共通なため砂糖は世界製品。その儲けに魅せられて、温かく広い土地であるカリブ諸島やアフリカなどへの植民地支配が加速。奴隷貿易と密接に結びついた。ちなみにサトウキビ起源はインドネシアのどこかだと言われている。
お茶・コーヒ・チョコレートの登場によって砂糖の需要は格段に上がる。当時、お茶も砂糖も高価であったが、イギリス人がステイタスシンボルを重ねる意味でお茶に砂糖を入れる文化が上流階級の間で流行した。ちなみに紅茶はイギリスのイメージがあるが熱帯でしか育たないためヨーロッパで栽培はできない。コーヒーハウスも砂糖需要一役買った。
アメリカでお茶が流行していない理由も知れた。アメリカがイギリスから独立した頃、印紙法(イギリス東インド会社が持ってきたお茶しか買っちゃだめ←高額)に対する反発で自国で取れるコーヒーを飲むようにしたのである。それと同じ理由でボストン茶会事件が起き、プランターと政府が関税について争った過程で奴隷制が廃止。あとは忘れた。
後にイギリスでも砂糖は国民に幅広く愛され、労働者にも広く飲まれるようになる。
「砂糖の栽培は奴隷貿易と密接に関わってきた」というのが強調されていて、印象に残った。
Posted by ブクログ
"p12 カナダの国旗に描かれている「かえで」のマークは『砂糖かえで』と言われている
p15 サトウキビの栽培には適度の雨量と温度が必要なうえ、その栽培によって土壌の肥料分が消耗して土地が荒れるため、次々と新鮮な耕地を求めてどんどん移動していかないと行けない性質がある
p24 エチオピアが原産地だったコーヒーはインドネシアのジャワやブラジルやコロンビアにたどり着き、プランテーションで作られるようになった
p25 ヨーロッパからアメリカに移されたもので馬があるため、西部劇の世界は「コロンブスの交換」無しにはありえなかった
p28 砂糖あるところに奴隷あり。
p29 金平糖、カステラはポルトガル語から来ているが、ポルトガル人が奴隷をアフリカで獲得し砂糖プランテーションを作ることが容易だったから
p34 アメリカの先住民はインディオと呼ばれるが、コロンブス時代のヨーロッパ人がその土地をインドだと勘違いしたから。また、スペイン人の持ち込んだ病気などによってほとんど死滅してしまい、残ったのは岩山と海賊だけ
p39 砂糖生産ばかりになってしまったカリブ海などはモノカルチャーといわれるようになった
p64 砂糖は昔、医薬品として扱われていた。白くて甘くて高価だから。効かないわけがないといわれていた。
p73 茶は紅茶も緑茶も、もともとは同じ葉っぱで加工の工程で紅茶になるらしい
p77 茶と砂糖は当時は高級なもので、ステイタスシンボルのために茶に砂糖を入れていた。アホ
p80 イギリスでは19世紀になると刑務所の囚人でさえ紅茶を飲むようになった。その結果、イギリスでは茶葉は1枚も取れないのに紅茶といえばイギリスを思い浮かぶようになりました。
p84 クロムウェルが東インド会社の組織を変更し、世界で最初の株式会社を作った
p96 コーヒーハウスという情報交換センターのようなカフェのような場所で科学革命が起きた。ニュートンもここの会長を勤めている。コーヒーハウスでは取材や集会があったり、新聞を読むのも誰かが声を出して読み上げ、みんながそれに耳を傾けるというものもあったりした
p97 南海泡沫事件(サウスシーバブル)がバブル経済の語源である。内容は南海会社という会社がスペイン領植民地に奴隷を売りさばいたりしていており、大変儲けていた。それにつられて他の会社も株価が高騰し、中には全く内容のない会社も株価が高騰した。そして1720年になると急に株価が急落し、紙屑同然になってしまった。これがサウスシーバブル事件である
p103 コーヒーハウス(喫茶店)がなくなった理由:1665年にペストが流行り、死体を大きな穴に投げこまなければならない状態になり、田舎に逃げ惑う人たちがいっぱい発生しました。また、1666年でも「ザ・ファイア」(火事)が発生しました。それでもコーヒーハウスはすぐに復興した。
自由に色んな人たちが出入りするところがコーヒーハウスの良いところでしたが、クロムウェルの革命などが続いて社会に上下関係が生まれるようになった。それにより同じ階層の人しか集まらないようになり、「クラブ」というものに変わっていった。
また、お酒が出るようになったり、賭け事が行われるようになり、治安が悪くなっていったことも要因としてあげられる。これは「チョコレートハウス」と呼ばれるようになった。
p123 ボイコットという言葉は小作人に厳しくしすぎたために、小作人からボイコットされたアイルランドのイギリス人地主「ボイコット大佐」の名前から生まれたもの。
p129 フランスでは家庭に入ってきにくいコーヒーが主体だったためにカフェが存続した。紅茶が主体だったイギリスは家庭でも取り入れやすいものだったため、コーヒーハウスははやらなくなった。
p136 1820年代にバンホーテンが粉末チョコレート(ココア)をつくった。1875年にはネスレが作った粉ミルクを混ぜて、スイス人のダニエルペーターがミルクチョコレートを作った。
p137 バレンタインデーはチョコレートと全く関係ない。昔のイギリスには牧師が子供たちに小遣いとして小銭をあげるという習慣はあった。
p139 セリで売られる黒人の赤ちゃんの絵が衝撃的
p149 「パンチ」は元々アルコール飲料でこれがいつしかフルーツパンチになった。これはアルコールの入っていない飲料である
p153 明治になってから沖縄を除いて砂糖が輸入されるようになり、日本のサトウキビ栽培は維持できなくなった。ただ、高級品であった珍重され和三盆は生き残った。
p173 今のティーカップには下に敷くソーサーがついており、レモンや角砂糖など置くが、本来はもっと深いものであの受け皿に注いで冷まして飲んでいた。
p193 砂糖には主にサトウキビとサトウダイコン(ビーツ、てんさい)があり、味も異なるらしい
p203 まとめ:砂糖は主にカリブ海で生産されたが、労働力はアフリカから黒人奴隷として導入されたし、砂糖のほとんどはヨーロッパで消費された。"