寂しさについて、なんとなく思うところがある人は読むと何かしらの発見があると思う。
この本を読んで、グッとくるところは多いほうがいいのか、少ないほうがいいのか。メンタルが弱っていても、それはそれで悪くないんじゃないかな、って思えた。この本の楽しみや得られることを考えると、弱っているほうが得られるものはきっと多い。そもそもこの本は、孤独とか寂しいと思うことも悪くないよね、というところから始まったのだというから。
言葉にできないモヤモヤ、たとえば後悔や「切ない」という感情との付き合い方について、著者はいろいろな人と対談する。
「この人はどうやって乗り切っているのか」
著者自身が興味を持った人に、対談をオファーしたらしい。
私は、「切ない」という感情とどう向き合っているかなぁ。全然考えたことがなかった。
ということは、私のメンタルは今けっこう安定していて、安定している時に読んだから、あまりグッと来ないのかも?と思いながら読んでいたが、真ん中を過ぎたあたりから急に付箋を貼りまくっていた。
最初は「ライター業の人が『言葉にできないモヤモヤと付き合う』って…あれもそれもひっくるめて言葉にできる人がライターやってんじゃないんかい!」とツッコミ入れつつ読んでいた。そう思う時点で元気な証拠だと思う。もし完全に弱っている時だったら、「ライター業の人も悩んじゃうって、ある意味心強いわぁ」と思っただろうから。
私は「この順番にもたぶん意味がある」と思って最初から読むタイプ。ヨシタケシンスケがわりと前半に出てくるから、まずはそこまで読もう。星野概念が最後なのかー、じゃあやっぱり最後まで読もう。と思っているうちに、ジワジワと効いてきた。
特に、書店Title店主の辻山良雄は響いた。
自分の店にある本は、巨大な積ん読。
壮大だ。カッコ良すぎる。ぜひ行ってみたい。
あとは、ニットデザイナーの三國万里子も素敵だった。
私がこの本を知るきっかけになった、星野概念もゆるくていい。
言語化しないと。
とにかく言語化しないと相手に伝わらないよ。
そう思ってきた。
他の人に、つまり自分以外の人に、自分の気持ちを伝えるとき、言語は大事だ。
幼い子どもを育てるようになって、かなり意識するようになった。
いやその前に、自分の意見でグイグイ行ってしまう夫と生活するようになってから、自分の気持ちを言わないと負けてしまう。見えるカタチにしないと。曖昧さはなるべくなくさないと。
そう思ってきた。
「これ、なんかいいよね」
「ちょっとなんとも言えないけど、なんかモヤっとする」
なんかなんか、って言いながら、うまく言えない気持ちがあってもいいんだな。
自分は「今、うまく言えない気持ちと向き合ってるんだな」って気付けたら、それで十分だな。
世の中には、いろんな人がいますね。
ホントに。
「え、そんなことで悩んでんの?」と言ってしまいそうになるけれど、その人の悩みや切なさは、その人にとっては大切な気持ちなんだよね。
「詩が好き」というのは「ポエミーな人はイタい」と思ってしまって、いつしか自分はそうならないようにしようと思ってしまっていたけど、表現できることは素晴らしい。
私も「息を吸ったら吐く」のが当たり前のように、「読んだら書く」「思ったら書く」を自然にできるようになりたい。
この本は、写真もキレイだ。対談ごとにカメラマンが違うのだと、あとがきで知って、慌ててざっと見返した。
「この写真の撮り方、なんか好き」と思ったカメラマンを調べてみたら、その人のインスタで私が毎月読んでる&Premiumに作品が採用された、と出てきたりした。
なんだかんだ、どっかでつながってる。
結局、忙しさに流されて、何も考えてないだけなんだな。
今の私は。
もしかすると、自分のメンタルボルテージがどのくらいの高さにあるのか、言い換えれば、自分がどのくらい弱っているのかによって、この本を読んだ感想が変わるかも。
特にコロナ禍や、災害後だと全然違う感動があったかも。
読む年齢によっても、受け止め方は変わるかな。
一人暮らしだった独身時代に読んでいたら、違う感想だったかな。
ここに出てくる人の著書も、大平さんの台所シリーズも、対談の中で紹介されている本も、写真家も、いろいろ追いかけたい。忙しい。
寂しがってる暇がやっぱり私にはないのだけど、「今日の夕焼けはキレイだったよ」とか「三日月が駅前の街路樹にちょこんと乗るような角度で見られる場所が見つけられたら素敵だよね」とか、そういうどうでもいいことを「そうだね」と言ってくれる人がいなくなってしまったら、間違いなく寂しい、と帰り道にハッとした。
夫が死んだ後に読んだら、違う感想になりそうだ。
あくまで私のほうが夫よりも長生きする想定をしている時点で、「切なさ」が似合わない自分に苦笑する。