あなたは、”兄弟姉妹”のことをどのように思っているでしょうか?
2000年代に入って”一人っ子”の割合が急上昇してきているようです。このレビューを読んでくださっている方の中にも、自分のことです、という方もたくさんいらっしゃると思います。その一方で、”二人兄弟姉妹”という方もたくさんいらっしゃると思います。最近の調査でも子どもがいる家庭の半数以上は”二人兄弟姉妹”です。
両親の愛を独り占めにできる”一人っ子”に対して、二分割されていく”二人兄弟姉妹”にあっては、お互いがお互いを意識し合う中に日々を送っていると思います。特にそれが同性である場合には、常に比較対象の的であり、また、『幼いころは洋服も姉と順番だった』という暮らしを送られた方も多いでしょう。そんな中にあって姉の心の内と妹の心の内は複雑にもなりえます。特に二人の内の一方、例えば姉が何かしら圧倒的な『才能』を持っていた場合に、妹の心の内にはどんな感情が生まれるのでしょうか?
さてここに、『わたしは姉のことを天才だ』と思う中に幼き日々を生きてきた妹の人生を描く物語があります。すべてが『順番』と理解して生きてきた妹を描くこの作品。その先に『光と影』という言葉に生きるべき場所を定めた妹を描くこの作品。そしてそれは、ある出来事によってそんな思いが大きく揺らいでいくのを見る物語です。
『元菜ー』、『元菜、起きてよー』と『苛立つ姉の声』に『いまいくー』と『リモコンに手をのばし室内灯を点け』、『午前二時二十九分』という時間を確認したのは主人公の市居元菜(いちい もとな)。『女優』である『姉の』『今日のスケジュールは、房総半島の海岸でドラマの早朝ロケ。三時三十分にマンションの駐車場に事務所の車が迎えにくる』、『わたしは付き人の仕事を完璧にこなさなくてはいけない』と思う元菜ですが、『あと三秒だけ…』と『目を閉じる』と『遠い昔』の光景が浮かび上がりました。『いい?練習したことちゃんと言ってね』、『ちゃんと言わないとリカちゃん人形もらえないんだよ』と言う姉は、『サンタさんは本当はパパ』、『うちにはお金がない』から『お菓子のブーツ二個ぶんのお金にちょっと足してリカちゃん一個だったら、パパも買ってくれるかもしれない』と説明します。そして、『欲しい物を手に入れる能力を、天才的に備えた姉が考えた脚本』に沿って演技した先に元菜の『枕元にはテニスウエアのリカちゃん人形。姉の枕元には着せかえセット』と『作戦』が成功します。そんな後、『姉がずっとひとりでリカちゃん人形の着せかえをして遊んでいても平気だった』という元菜は『姉が遊び飽きたときにはわたしだけの物になることを』『幼いころから知ってい』ました。『中学二年の十三歳のときに、原宿でスカウトされて芸能界に入った』『天性の演技力を持つ』姉の陽菜(ヨウナ)には、『テレビドラマと映画の出演依頼が途切れ』ず、『三十三歳のいまは作品の質で選ぶことも可能』な『人気女優』になっています。病によって『十代半ばで両親を失った』二人に対して、『姉妹の面倒を孫のように見てくれ』た『事務所の社長』。そんな社長の持ち物である2LDKの『目黒のマンション』に二人は暮らしています。そんな中に、『わたしの持ち物はほとんどが姉からもらった物だ』という今を生きる元菜。そして、出かける準備を始める中、『おはようございます』と『同じ事務所の後輩にあた』り、『ドライバー』兼業の俳優である長崎が迎えに来ました。そして出発した車の中で過去をぼんやり振り返る元菜は、『わたしも姉と同じように映画やドラマに出るのかもしれないと漠然と考えていた』ことを思い出します。『姉と自分が表と裏に重なっている』と思っていた元菜ですが、ある時そうではなく、それは『かかとでつながっているだけの光と影』であって、『才能というものは』、『順番に与えられるわけではない』と気づきます。そして、現場へと着き姉を送り出した後、ワゴン車に戻って『仕事先で名刺交換をした相手に』姉に代わってメールでお礼を出していく元菜。そんな中、『シンプルな白地の名刺』が目に留まります。『肩書に写真家とある』『生駒春也』という名刺を見て『なぜかトクンと鼓動が胸』を打った元菜は、『宣伝用のスチール写真の撮影をしたカメラマンだ』と思います。『年季の入ったブルージーンズに白のシャツ、長めの黒髪に細身の長身、彫りの深い顔に無精ひげ』と生駒のことを思い出しながら『生駒さま。昨日の撮影ではお世話に…』と作文する元菜は、『顔、剃らない?』、『うぶ毛の生えてる顔って、すごいな。こんな感じなんだ』と壁際にいる元菜に話しかけてきた生駒のことを思い出します。『でも、そのままがいいよ』と言うと、『こちらの言葉も待たずにぷいと背を向けて行ってしまった』生駒のことを思う元菜は『苦々しいような恥ずかしいような、妙な気持ちにな』ります。そして、『どこか異国の街ででもまた会いそうな気がする』と思いながら『送信ボタンを押』す元菜。姉で『女優市居ヨウナ』の『付き人』として「シャドウ」な人生を生きてきた妹の元菜。そんな元菜がカメラマン・生駒との出会いの先に大きな変化が訪れていく様が描かれていきます。
“深い絆で結ばれた姉妹の関係、そして元菜の恋の行方は ー!?”、”お姉ちゃん、恋人、私 ー 究極の三角関係”と内容紹介にうたわれるこの作品。ピンク色の服を着て腕を組んだ、どこか双子を思わせるかのような少女の後ろ姿の写真と、そこに重ねられた「シャドウ」という書名の表紙がどこか深い意味を感じさせます。そんなこの作品は、内容紹介にこんな風に続く一文で朧げながらにイメージが沸いてきます。
“十代半ばで両親を失い、姉妹二人で生きてきた陽菜と元菜。美しい姉の陽菜は女優として活躍し、妹の元菜は付き人をつとめている”
姉妹が『女優』と『付き人』という役割をそれぞれ果たす中に一つ屋根の下で暮らす姉妹、それがこの作品の基本的な土台です。数多の小説の中には、さまざまな職業の舞台裏を描くものがあります。私も今まで読んできた800数十冊の小説の中には、経験したことのないさまざまな職業の舞台裏を目にしてきました。しかし、『女優』という職業に光が当てられたものは一作のみです。それが、綿矢りささん「夢を与える」です。”大手芸能事務所”に入りスターダムにのし上がっていく『女優』の夕子と『付き人』のごとく彼女を支えていく母親・幹子を描く物語は、芸能界に生きる者の栄光と失墜の物語を描いていきます。そんな綿矢さんの作品が『女優』の夕子に光を当てるのに対して、この作品では『付き人』である妹・元菜に光が当たります。ここが同じく家族で『女優』と『付き人』という役割を担う作品でも綿矢さんの作品と全く異なるところです。
そして、それ以上にこの作品が描くのは姉の『影』として今までの人生を生きてきた妹の心の中を深く見ていくものです。物語は全編を通して、妹の元菜視点で描かれていきますが、非常に個性ある構成になっています。それこそが目次です。この作品は8つの章から構成されていますが、その章題が他に類を見ないものになっているのです。まずは〈1章〉を見てみましょう。
〈1 姉とわたしは表と裏に重なっているのではなくかかとでつながっているだけの光と影〉
なんだかとても長い章題です。章題というより説明文を読んでいるような感覚に陥ります。しかし、この〈1章〉はそれでも体言止めがされていることによって章題っぽくは見えます。では、これはどうでしょう?
〈2 三十一歳の女が新しい服を買ったというだけでどうしてこんなにびくびくしているのだろう〉
この〈2章〉で私の言いたいことがお分かりいただけたかと思います。上記した通りこの作品は全編通して妹の元菜視点で展開しますが、それはなんと章題にまでおよんでいるのです。もう一つ。続く〈3章〉も見てみましょう。
〈3 月がきれいだと思っただけで知らぬ間に涙がこぼれています こんなバカみたいな感情が恋だなんて初めて知りました〉
もうこれは章題というより、主人公である妹・元菜の独白とも言えるものです。そして、各章は、この章題で吐露される元菜の心の内を表す物語が描かれていくのです。なので、章題だけ読んでいくだけでも、こうして元菜が心の内に抱く思いから、どことなく展開が見えてしまうという、少しネタバレのような目次になっています。これは危険です。章題を取り上げるのはここまでとしたいと思います。
さて、このレビューを読んでくださっているあなたには、”兄弟姉妹”がいるでしょうか?もしいたとしたら、その関係性はどのようなものでしょうか?特に同性かつご自身が弟なり妹である場合、兄なり姉である存在をどのように見てきたでしょうか?この作品の陽菜と元菜の関係性は上記で少し触れた幼き時代の『クリスマスのプレゼント』の出来事に象徴的に表れています。『うちにはお金がない』という背景を理解していた姉・陽菜は二人が『リカちゃん人形』をそれぞれ手に入れることは無理であることを理解しています。その上で、『私はお姉ちゃんだからもうプレゼントはいらない。元菜にだけリカちゃん人形持ってきてってサンタさんに言って』と父親に言うことで、姉妹で一体を手にします。しかし、これは姉の作戦であり、実際には『リカちゃん人形と着せかえセットは姉だけの物』になります。その一方で、『姉が作戦を考えてくれなければ絶対に買ってはもらえない』と考える妹・元菜は『手に入れてくれた姉を尊敬』しています。そして、やがて『姉が遊び飽きたときにはわたしだけの物になる』と思い、その時を健気に待つ…それが妹の元菜なのです。
『うちはいつも順番なんだよ。お姉ちゃんが先で、わたしがあとなの』。
そして、『わたしの持ち物はほとんどが姉からもらった物だ』と、さまざまなものが、まず姉の元、その次に自分に回ってくるという考え方、『順番』という考え方が元菜の身につきます。
『わたしも姉と同じように映画やドラマに出るのかもしれない』
姉は『十代のころからテレビドラマと映画の出演依頼が途切れなかった』と、スターダムにのし上がっていく中に、これも『順番』というように考えてしまう元菜。
しかし、当然のことながら『リカちゃん人形』と『女優』が同じであるはずがありません。姉・陽菜は『天性の演技力』を武器に『人気女優としての地位』を獲得していきます。その一方で、元菜は自身の中に何もないことに気づきます。
『いつも姉のあとを追っていただけで、ほかに自分の将来というものが想像できなかった』
そんな先に、『しだいに本当のことがわかっていた』という元菜。これはまさしく人生の厳しさを思わせる瞬間だと思います。兄弟姉妹のいる方は認識されていらっしゃることだと思いますが、兄弟姉妹と言っても与えられた『才能』は当然にそれぞれ異なります。その一方があることに抜きん出た『才能』を見せることはよくあることとも言えます。この作品では、『順番』という考え方をあまりに当たり前に身につけていたが故に厳しい現実が元菜に突きつけられることになります。
『わたしは姉と自分が表と裏に重なっているように感じていた』
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『姉とわたしは表と裏に重なっているのではなく、かかとでつながっているだけの光と影なのだ』
そう、それこそが『才能というものは、オモチャや文房具、洋服のように順番に与えられるわけではない』という厳しい現実でした。そんな元菜が戸惑いを覚えている間にも『チャンスをつかむ才能』によって『真夏の太陽のように眩しさを増』す姉の一方で、『影になったわたしは黒みを濃くしていった』という元菜。そんな元菜は『二十歳になったころには、姉の影であることがすっかり板についていた』という先に、姉の『付き人』としての人生を生きていきます。
しかし、そんな元菜は『我慢しているつもりも犠牲になっているつもりもない』という思いの中にいます。そうです。物語は、不幸のどん底にいる元菜を描くわけではないのです。それこそが、元菜のこんな思いです。
『姉がいつも陽の当たる場所に立っていてくれるから、わたしは姉の足元に影として存在していられた。姉がいなければ、わたしはあっという間に消えてなくなってしまう』。
そんな風に今の人生を後ろ向きどころか姉と運命共同体のようにも考え、極めて前向きに生きていく元菜。物語は、そんな元菜の前に現れた一人の存在によって大きく揺れ動かされ始めます。それこそが、『宣伝用のスチール写真の撮影をしたカメラマン』の生駒春也でした。
『わたしは恋をしたのだろうか。こんなに我が身のことがわからなくなるのが、恋のはじまりなのだろうか』。
物語はやがて、そんな元菜の思いを知ることになった陽菜を加えて、生駒との間で”究極の三角関係”を形作る中に大きく動き出していきます。
『わたしはお姉ちゃんの一部なの。お姉ちゃんから離れてひとりの人間としては存在できない。お姉ちゃんのなかでしか生きられない』
『順番』ではなく、『かかとでつながっているだけの光と影』、と姉と自分の関係性を認識してきた主人公の元菜。その一方で、『恋』の感情に突き動かされていく元菜。物語は、予想外の展開を見せます。そして、描かれていくまさかの結末、予想だにできないまさかの結末には、『順番』でもなく、『かかとでつながっているだけの光と影』でもない、元菜が行き着いたもう一つの姉妹のあり方を予感させる清々しい物語が描かれていました。
『だってお姉ちゃんに女優の仕事がなくなると、わたしは消えてしまう』
姉妹の関係を『かかとでつながっているだけの光と影』と思う中に『女優』である姉の『付き人』としての人生を生きてきた妹の元菜。この作品にはそんな元菜の人生が一人の男性との出会いを起点に突き動かされていく様が描かれていました。『女優』という仕事の舞台裏を描く”お仕事小説”の側面も見せるこの作品。姉妹の関係性というものを考えてもしまうこの作品。
芸能界の光と闇を描きながら、それでいて光が当たるのはあくまで『影』の存在として生きてきた元菜であるという、非常に興味深い視点で描かれた傑作だと思いました。