びわ湖浜大津行の電車に乗った。ここは線路や周りの木々・建物とキョリが近く、駅に近づくと路面電車になった。天気は曇りだったが、琵琶湖の広大な景色は見ていて吸い込まれそうになる魅力にみちていた。
今朝、「還れぬ家」を読み終えた。佐伯一麦が2008〜11年頃のことを中心に描いた話。そこには東日本大震災のことも綴られている。メインテーマは佐伯の生家に住む父母、父の認知症のことが多くを占めている。文体は硬くなく、父の病状を記すことに注力された平易な文章・描写のされ方で書かれている。要介護認定や介護保険サービスのことなどの記述に詳しい。地域包括支援センター、ケアマネージャーなど、我々の見ている地平から余りにも近く日常が書かれる。
父の物忘れは容赦なく、酷く感じられる。妻の姿が見えないと、妻を探すために叫び、辺りを徘徊する。問題行動は、妻への愛に裏打ちされているように見える。シニカル的に、どうしようもなく悲しいことであるが、人生の最期がそうやって終るのは人間として......うん、一口に言えないが、何か悪くないことのように思える。そして「還れぬ家」という父の最期のまわりを円環とした物語世界が、八十の章を機に、現実の東日本大震災の勃発により、亀裂の走った、形の変容したものとなる。佐伯が執筆する空間において"それ"が起きてしまう。八十、八十一、八十二に渡り、小説の中の現実に、どうしようもなく破壊された現実がなだれ込んでくる。
佐伯は、2011年3月15日の日記をそのまま表し、自身の戸惑いをありのままに小説に記すことで、なだれをなだれのままに書き留める。この手法がメタフィクションでなく、ぎりぎりのところで小説として踏みとどまっているのは、彼が自身の経験を書く作家として屹立しているからだろう。小説と現実の境がそれほどはっきりとされていない、〈インザワールド、この世の底が抜けてしまっている〉(「川端再読----序にかえて」9頁)状態だからかもしれない。引用中の言葉は『麦主義者の小説論』という本の中で、佐伯が震災を経たのちに会得した概念である、と川端康成の小説を通じて書いている部分である。私は佐伯が渦中の人として小説をそれでも書き継ごうとする姿勢から、そんなことを思ったりした。佐伯の書く〈家族〉、特に生家と元妻・子に対する眼差しには哀しみが付きまとっている。内省的な題であったはずの「還れぬ家」は震災の中で、外部から壊されて、そうされた物に変化している。外からの力が日常と家を物理的に壊したとき、それまで内省的なものとして「還れ」なかったはずの家に、ばらばらになった家族が集まる場面が現れようとする。父の葬式に、長兄、姉がきて、一堂に会した震災の数年前の一瞬が、書かれて小説の中に取り戻されるべき現実として光を放つ。日常は、〈変わりなく反復されているようでいて、実はすっかり同じことの繰り返しはない、人の経験に対するいとおしさの念が呼び起こされる。前の体験と後の体験とが、共に余韻となって反響し合っているような。〉(「反響の余韻」132頁より)といったように......。