本書はレイモンドチャンドラーによる長編小説の二作目である。『大いなる眠り』を書き上げ、一定の地位を築き上げた著者による次回作ということで、野心的であった処女作以上に気合が入っていたであろうチャンドラーは、敬愛するダシールハメットに再度頼りつつも、その影響下から脱却しようと試行錯誤していたであろう点が随所で伺える。
まずフィリップマーロウの性格だ。前作において皮肉を交えつつも一定の静けさを保っていた彼は今作では本当によく喋る。しかもその発言の隅々にまで皮肉を張り巡らせている。必要以上に相手を煽り小馬鹿にするような発言が目立ち、口を開けば捻くれた言葉を吐くような次第でその本意がいまいちつかめない。翻訳の問題もあるのであろうが、その国の事情に通じていなければ理解し得ないであろう言い回しを次から次へと並べ立て、明らかに場違いな状況で鼻につくような皮肉を吐き出し続けるので、彼を尊敬し同情したいと思う読者の神経を逆撫でし続ける。しかし彼はその分今回前作に増して大いに殴られ、その身をかき乱されるので少し胸がスカッとしたりもする。
また話の展開もより複雑になり、読み手のミスリードを誘うような叙述トリックや曖昧な描写が散見されるようになっている。かわるがわる登場する人物達の中に真実を言っている者達も多いが、多くを知らされていなかったり、そもそも事実を誤認していることも多く、真実に辿り着きそうになった瞬間更なる矛盾が浮上し読み手を困惑の渦の中にゆっくりと飲み込んでいくような構造になっている。発言の一つ一つを思い出して反芻していってもいまいち事件の全貌が掴めない。残り30ページほどになるまで読者は混乱と生殺しの二重苦に苛まれながらこの迷宮を探索し続けるのである。
この小説を楽しむのであれば一定の忍耐力が必要だ。しかし、サム・ペキンパーの『ガルシアの首』の前半1時間くらいの生ぬるいメロドラマに耐えられるほどの我慢強ささえ持ち合わせていれば問題ない。それだけで感情を揺さぶられる究極の読書体験をすることができる。これは賭けてもいい。
しかしチャンドラーという男の演出は見事なものだ。私は読み始めた時からしばらくの間、ずっとこの小説は推理小説だと思っていた。しかし大間違いだった。この小説は恋愛小説だったのである。
銀行強盗をやらかす男、人を素手で殺す男、大柄で、凶暴で、残忍で恐ろしく、繊細さとはかけ離れた所にある男、360ページのうち1割にも満たない程に作中に登場しない男、こんな同情の余地もない男に激しく胸を突き動かされ、涙を流すことになるとは思わなかった。うだつのあがらない雲のように曇り不透明な本書の筋の裏では、大鹿マロイという巨人の血が澱みなく流れ続けていたのである。
この作品も王道を行く推理小説ファンからは理解され得ないのかもしれない。しかし推理小説であるという先入観を捨てて本書に挑んでほしい。険しく高く先行きの見えないこの山を登り切った後の感動を、是非味わってほしいものだ。