吉田健一の作品一覧
「吉田健一」の「赤い死の舞踏会 付・覚書(マルジナリア)」「甘酸っぱい味」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
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Posted by ブクログ
やっと吉田健一譯『ラフォルグ抄』(小澤書店、1977)の中古本を購入した。
さっそく、ワクワクしながらページをめくる。
ありました、ありました、探していたラフォルグの「伝説的な道徳劇」(「伝説寓話」「モラリテ・レジャンデール」などとも表記される)が。
< (略)
――私の兄さんのヨリツクよ、私はお前の頭蓋骨を家に持つて帰る。私はこれを部屋の棚に、オフェリヤの手袋と私の最初の乳歯との間に飾つて置くことにしよう。あゝ、これだけの材料があれば、私はこの冬どんなに仕事をすることだろう。私には無限に書きたいことがあるのだ。
日が暮れていく。そろそろ行為に移らなければならない。ハムレットは夜になった街道の平凡な景色を余り気に掛けないで、もと来た道を城の方に戻る。彼は先ずヨリツクの頭蓋骨といふ貴重な記念品を置きに塔に登つて、暫く窓際に肘を突き、黄金色の満月が凪いでいる海に映つて、そこに天鷲絨風の黒と溶けた金の、その意味もなく美しい柱を屈折させてゐるのを眺めてゐる。
悲しげな水に映る月の光、……聖徒であつて堕獄の罪を犯したオフェリヤはそのやうにして一晩中漂つてゐたのだ。……
――併し私は自殺することは出来ない。私はまだ生きてゐたいのだ。オフェリヤよ、オフェリヤよ、許してくれ。そんなに泣くのぢやない、頼む。
ハムレットは窓を離れて、憑かれたやうに暗闇の中を歩き廻る。
(略)>
この散文の部分は、ガストン・バシュラールが『水と夢』(小浜俊郎・桜木泰行共訳、国文社、1969)の中で引用しているので、私は知ることができた。「天鷲絨」の読み方は、「てんがじゅう」または「ビロード」で、この言葉は、ポルトガル語の「veludo」に由来し、白鳥の織物を意味するとのこと。それはさて措き、『水と夢』では次のように記されている。
<彼はしばらく窓際に肘をつき、黄金色の満月が、凪いでいる海に映つて、そこに天鷲絨様の黒と溶けた金の、その意味もなく美しい柱を屈折させているのを眺めている。
悲しげな水に映る月の光、……聖徒であつて堕地獄の罪を犯したオフェリヤはそのようにして一晩中漂つていたのだ。……>
何度読んでも、詩情あふれる素晴らしい情景である。
参考に、マリ・ジャンヌ・デュリー夫人の『月とピエロの詩人 ジュール・ラフォルグ』(清水弘文堂、1974)の訳者・宮内侑子氏は、次のように訳している。
< (略)
――ぼくの兄弟ヨーリック、お前の頭蓋骨を家へ持っていこう、ぼくの奉納物の飾り棚の上の、オフェリアの手袋とぼくの乳歯の間のよい場所をそのために空けてやろう。ああ!この冬はこれらの物といっしょに仕事をすることになるんだな!僕は棚の上に無限なものを持つ。
日が落ちた!ああ!行動せねばならぬ!ハムレットは本街道の夜の日常性に大して侵されることもなくお城への道をもどる。まず自分の塔にのぼり、その頭蓋骨、その強力な置物を置く。一刻、窓に肘をついて、美しい金色の満月をみつめる、おだやかな海に姿をうつし、そこで黒ビロードと金の液体の折れ曲った魔法のそしてあてもない円柱をくねらせている満月を。
わびしい水の上のそれらの反映……聖なるそして地獄におちたオフェリアはこのように一晩中ただよっていたのだ……
――おお!でもぼくは自殺はできない。生きることをやめることは!オフェリア!オフェリア!許してくれ!そんなに泣くな!
(略)>
お終い
Posted by ブクログ
戦後の非常に苦しい日本の再成長への道、その中で、食そのものを楽しみ、人々に興味と日本が古来から持つ食の素晴らしさを集めた珠玉の食に関するエッセイ集。丁寧に取材し、食し、語られる文章がネットも、Social Mediaもない時代に、唯一の情報源だった人たちもいただろう。それを考えると、写真のない、文章のみで構成された、インスタと言えるだろう。これを想像し、その時代の人たちの生き様を感じる非常に貴重で、非常に意義深い。苦しかっただろう世代、乗り越えていく高揚感、新しいものを取り込む粋な人生を思い描き、必死に戦っていた強いアイデンティティ。
特に、ワインを葡萄酒とし、赤も白もロゼも、とにかくブルゴーニュとかそういう産地でしかない表記に、希少価値と非常にお高いワインに触れることで、食通としての地位を維持しようとする努力もまた涙ぐましい。ビールでなんとかやっていきたいという部分がなん度も出てくる。
お寿司については、もはや数百軒はあるであろう東京のお寿司屋さんだが、闇市と配給時代からくらべたら、なんと素敵な状態にあるのだろうか。お金を払えば食べられる。贅沢ですらある。
噛み締めるように、各地方の特産や郷土料理が出てくるので、お腹が空いてしまう。うなぎ、すっぽん、などなど実際に食べている姿もとても想像がつく。今でこそ、新幹線でも、東京にいればほぼ全て手に入るであろうことも、当時は本当に貴重でこの食レポをもって、想像して楽しんでいた人たちが多かったことだろう。改めて、食べることという本質的な部分に触れるとともに、豊かになった現在もまた、数十年前にはそうではなかったという事実にハッとさせられる作品である。
わさび、すだち、塩昆布などの食材自体にも目を向けて、そのおいしさを力説してくれるのだが、ハム、ベーコンなるものがある、ということもあって、なんとも言えないうまさを感じたのだろう。今でこそ当たり前の食材たちもまた、海外から入ってきて、日本で成長し、発展し、ここまできたということでもある。日本の食卓に、お米があまり上がらなくなってきたというふうに聞いた、という部分もまた、パンが一気に入ってきた証拠でもある。今でこそ、小麦の弊害を言われ始めているのだけれども、その当時は小麦の中毒性に一気にやられたひとが多くいたことを物語る。アメリカでは、すでにグルテンフリーと言われて久しい、こうした中毒性の高い、胃に負担をかける食事を控える文化圏が一定のレベルで存在していることになる。日本の食事も発展していっているが、世界の食もまた次の世代に入っていく。