「【寸評】 上総の国(千葉県中央部)で、孝標の娘は、十歳ぐらいから十三歳まで過ごしていました。上総は、父親の赴任先。そこは、都から遠く離れた所。物語に興味を持っている彼女は、姉や継母が物語の話をしているのを聞いて、ますます物語というものを読みたくて読みたくてたまらなくなるのです。「光源氏」というのは、『源氏物語』の主人公。『源氏物語』は、絢爛豪華で、あでやかな物語。この華やかで美しい世界に、少女だった彼女はどんどん惹かれていくのでした。 ところで、冒頭の所、なぜ「常陸の国」(茨城県)が「東海道の果て(終着点)」になるのでしょうか。それは、「東路の道の果てなる常陸帯のかごとばかりもあひ見てしがな」(東海道の終着点にあたる常陸の国。その常陸帯の「かこ」〈帯を留める金具〉ではないけれど、ほんのちょっとでもあなたに逢いたくてたまらない〈『古今和歌六帖』〉)という歌がもとになっているからなのです。 でも、ここでは地理的な位置がちょっと変。都(京都)から見て、「上総の国」(千葉県中央部)が、「常陸の国」(茨城県)よりも「奥」と書かれているのです。その理由としては、彼女が憧れていた『源氏物語』の浮舟という女性が成長した所が常陸なので、浮舟に自分を託して意識的に変えたのだ、といわれています。浮舟は彼女の理想像。心のなかのヒロインに近づきたい、という思いは何となくわかるような気がしますね(コラム「憧れのヒロイン」参照*)。 さてさて、この後、彼女は、憧れの物語を読むことができたのでしょうか。」
—『更級日記 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 (角川ソフィア文庫)』川村 裕子著
日記文学でいちばん好きかもしれない>『更級日記』
自分が好きな「旅行記」の要素もある。継母って悪いイメージがあるが、主人公に物語の楽しさを教えてくれた。
そして、読みたいと焦がれていた『源氏物語』フルセットをおばが思わせぶりにプレゼントする場面がいい。
源氏物語はNTRあり女児誘拐ありのハーレム系ラノベだし土佐日記はネカマ野郎の旅行記だし、更級日記は元田舎住み陰キャオタク少女の回想録だし鳥獣戯画は擬人化漫画だし枕草子はバリキャリのブログだし、当時の人々やたら記録が好きでTwitterのごとくなんでも書き残す
日本人1000年経っても変わらんな
菅原孝標女(すがわらのたかすえのむすめ)は更級日記の作者で、元祖オタク女子と言われています。「更級日記」の生々しさ、1000年以上前のものとは思えません。
更級日記の作者、インテリ小金持ちなだけじゃなく多分危機回避能力やあざとさがすごいあるんだと思う、あそこまで成長や現実生活をうまく回避できてるのは感動する
趣あるわけでもない顔が普通の受領と結婚とか、なぜクズイケメンを適性に回避できたんだ、オタクのプロすぎる、一生オタ活できるやん最適解か
平安~女性作家の時代順まとめ
小野小町(9世紀):和歌の神様・伝説の美女
紀貫之(10世紀初頭):土佐日記
藤原道綱母(10世紀後半):蜻蛉日記
紫式部・和泉式部・清少納言(11世紀初頭):源氏物語・和泉式部日記・枕草子
菅原孝標女(11世紀中期):更級日記
阿仏尼(13世紀):十六夜日記
「更級日記」に菅原孝標女が「源氏物語」の熱心なオタクだった事で、『腐女子』だとのポストがあったんだけれど、
別に「源氏物語」の男色系の話ばかりしてたのかなぁ。
「更級日記」も「源氏物語」もどっちも読んでないからわからないんだよな。
「この僧の夢は簡単にいうと、物語ばかりにうつつを抜かさないでちゃんと仏様を信じて勉強しなさい、という意味です。でも、彼女は、そんな夢は全く無視の不信心モード。ひたすら物語に熱中し、大きくなったら夕顔や浮舟のようになるんだと思って、ワクワクしています。浮舟は前にも出てきました(一段― ①のコラム参照*)。 夕顔は『源氏物語』の最初の方に出てくる女性です。この人も身分がそう高くありません。光源氏が乳母のお見舞いに行った時、偶然知り合った女性です。最後は六条の荒れ果てた「なにがしの院」で、怨霊にとりつかれて、はかなく亡くなってしまいます。あでやかな姫君ではなく、憂いを秘めた人生を送る浮舟と夕顔。きっと、彼女は、同じような境遇の女性に自分を当てはめてドラマチックな将来を夢見ていたのですね。」
—『更級日記 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 (角川ソフィア文庫)』川村 裕子著
「【訳文】 物語のことを昼は一日中思い続け、夜も目がさめている限りは、そのことだけに熱中していると、ある時、次のような夢を見ました。──「最近、皇太后宮様( 子)の姫君でいらっしゃる一品の宮様(禎子)のご用のために、六角堂に水を引いて、遣り水を造っています」と言う人がいるので、「それはいったいどういうわけですか」と聞いたら、「天照大神をお祈り申し上げなさい」と答えました──こんな夢を見て、人に話すこともなく、何も考えずにそのままにしてしまったことは、実に情けないことです。 春がくるたびに、この一品の宮様(禎子)のお邸を眺めながら、このような歌を詠みました。「桜が咲くのを待ち、また散ったといっては嘆いている春。その春には、まるで自分の家のようにして、宮様の家の桜を眺めています」」
—『更級日記 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 (角川ソフィア文庫)』川村 裕子著
「ただ、だからといって百パーセントまじめに暮らすわけでもなく、そういうふうにもなりきれないのです。この最後の部分がポイント。今までのことを心の底から反省しているけれど、だからといって堅実な生活に徹することができない。夢をバッサリあきらめたからといって、なかなか新しい自分にガラッと生まれ変わることなんかできませんね。このように、自分の揺れる気持ちをもう一人の自分がジッとみつめているような所が日記文学の奥深さ。」
—『更級日記 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 (角川ソフィア文庫)』川村 裕子著
「【訳文】 昔から、何の役にも立たない物語や歌のことばかりに夢中にならず、夜も昼も一生懸命仏様のお勤めにはげんでいたら、本当にこんな夢のようにはかない人生を経験しなくてすんだでしょうに。 初瀬(長谷寺)で最初にお籠もりした時、「稲荷様から下さった験(効力のある)の杉ですよ」と言って投げ出されたのを夢に見て、長谷寺を出てからすぐにその足で、伏見稲荷の方にお参りしていたら、こんなつらい目に遭わなかったかもしれないのに……。」
—『更級日記 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 (角川ソフィア文庫)』川村 裕子著
「【コラム】 老人を棄てる説話──姨捨山伝説── * 1 * 2 姨捨山は、長野県更級郡(現在は千曲市)にある冠着山の別名です。古くから月の名所、姨捨山伝説で有名。姨捨山伝説はだいたい次のようなお話。 ──年老いた伯母と親子のように暮らしていた男がいました。男は結婚をしたのですが、妻がこの年老いた伯母をいやがって憎みます。妻は夫に伯母を深い山に棄てて来るよう、命令しました。夫は妻の言葉に従って伯母を山に一旦は棄てました。親代わりの伯母を棄てたことで男は家に戻ってからも嘆き続けます。ちょうどその時、月が明るく輝き、男は、その月の光に恥じて、伯母を連れ戻しに行ったのでした。── この時に男が詠んだ歌が、「我が心なぐさめかねつさらしなやをばすて山に照る月を見て」(自分の気持ちをなぐさめることなんかできやしない。たった今、伯母を棄てた更級の山。その山に明るく照っている月を目にすると……)です。このお話は『大和物語』、『今昔物語集』などにも入っています。労働力とならない年寄りを山に棄てる伝説。このようなお話を「棄老説話」といいます。社会的な弱者を葬る説話が、現代社会に投げかける意味は大きいと思います。 なお、「棄老説話」を題材にした小説としては、深沢七郎の名作『楢山節考』があります。健康な歯を恥じて自分の歯を打ち割るおりん、自分から山に棄てられようとする老婆おりんのけなげな姿が、淡々とした筆致のなかに奥深い哀しみをたたえて、描かれています。」
—『更級日記 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 (角川ソフィア文庫)』川村 裕子著