作品一覧

  • 阿弥陀堂だより

    阿弥陀堂だより

    小説・文芸

    4.1
    1巻550円 (税込)
    ようやく新人賞はもらったものの、執筆に行き詰まっている作家の孝夫は、医者である妻・美智子が心の病を得たのを機に、故郷の信州へ戻ることにした。山里の美しい村でふたりが出会ったのは、村人の霊を祀る「阿弥陀堂」に暮らすおうめ婆さん、そして難病とたたかっている明るい娘・小百合ちゃん。静かな時間と豊かな自然のなかで、ゆっくりと自分を回復してゆく二人が見つけたものとは……。極上の日本語で語られる、大人のためのおとぎ話。2002年秋、映画化原作!
  • 山行記

    山行記

    小説・文芸

    4.0
    1巻733円 (税込)
    「晴れた日の午前の針葉樹林の香りが、それまでに服用したあまたの精神安定剤よりもはるかに深く心身をリラックスさせてくれる作用があるのを知った」(本文より) 芥川賞受賞の翌年に心身を病んだ作家兼医師は、五十歳で山歩きをはじめた。 樹木の香りに精神が安定し、歩くことでからだ本来の働きに目覚めた作家は、蓼科山、浅間山から、ついには槍ヶ岳、白峰三山といった南北アルプスの高峰を若者にまじり踏破する。 人生を重ねた者が己のからだとこころで書いた異色の紀行文集。
  • 陽子の一日

    陽子の一日

    小説・文芸

    4.0
    1巻641円 (税込)
    ある女医の澄明な物語 還暦を迎えた女医・陽子のもとに届いた元同僚・黒田の「病歴要約」。ある春の一日に起きた出来事に人生の機微が滲む傑作小説。
  • ダイヤモンドダスト

    ダイヤモンドダスト

    小説・文芸

    3.9
    1巻509円 (税込)
    火の山を望む高原の病院。そこで看護士の和夫は、様々な過去を背負う人々の死に立ち会ってゆく。病癒えず逝く者と見送る者、双方がほほえみの陰に最期の思いの丈を交わすとき、時間は結晶し、キラキラと輝き出す……。絶賛された第100回芥川賞受賞作「ダイヤモンドダスト」の他、理想の医療に挫折し、タイ・カンボジア難民キャンプ地での特異な体験に活路をもとめる医師と末期癌の患者として彼の前に現れたかつての恋人との日々を描いた「冬への順応」など短篇四本を収録する。
  • 医学生

    医学生

    小説・文芸

    3.8
    1巻680円 (税込)
    男女医学生たちが解剖や外来実習や恋や妊娠にあたふたしつつ生き方を探る。そして彼らの十五年後。人生の実感を軽やかに綴った長篇 ※この電子書籍は1998年7月に文藝春秋より刊行された文庫版を底本としています。
  • 薬石としての本たち

    薬石としての本たち

    小説・文芸

    3.8
    1巻1,324円 (税込)
    短篇小説を思わせる、本をめぐる深いエッセイ。 書き下ろしエッセイ集。本についてのエッセイだが、著者の人生のさまざまな場所や時間をめぐって紡がれ、短篇小説集を読む味わい。
  • 猫に教わる

    猫に教わる

    小説・文芸

    3.7
    1巻1,500円 (税込)
    からだを手入れし、歩く。ごくふつうの生活を、大切に生きる 猫の母子から教わったこと。山菜を採り、うどんを作る春の行事。同窓会嫌いの弁。本を棄てる話。滋味ふかい最新エッセイ集。
  • 小屋を燃す

    小屋を燃す

    小説・文芸

    3.3
    1巻719円 (税込)
    文学と医業という二足の草鞋を綱渡りのように穿いて四十余年。 総合病院を定年退職し、今は非常勤医師として働く著者が、近年の己を題材に編み上げた四篇。 「畔を歩く」:定年退職を機に、うつ病を発症してから負担の軽い健康診断担当になり、 時に肩身が狭い思いもしながらも、しかし生き延びるためには文筆を止める訳にはいかなかった日々を回想する。 おさまらぬ気持ちを、畔をしっかりと歩いて宥める。 「小屋を造る」:同年配の地元の男らと山から木を伐り出し、簡素な小屋を建て、焼酎で乾杯する。 「四股を踏む」:定年間際の診療で、超高齢の女性患者から、処女懐胎の体験談を聞く。 「小屋を燃す」:六年前に小屋を建てたのと同じメンバーで、老朽化した小屋を壊す。 といっても、二人の男は先に逝ってしまっていた。 解体跡で飲み食いを始めると、死んでいるはずの者たちが次々と現れる。 ※この電子書籍は2018年3月に文藝春秋より刊行された単行本の文庫版を底本としています。

ユーザーレビュー

  • ダイヤモンドダスト

    Posted by ブクログ

    様々な死を前にして、心が奪われる作品だった。40年前の作品でも色褪せない名作だと思う。
    読み始めのきっかけは、約25年前に通った予備校教師のミシマ先生が、浪人生の切ない恋の小説だと紹介していたのを思い出し、読んでみたくなったから。読んでよかった。
    情景描写が主で、多くを語らない、心理描写が少ない作品が、死をこんなにも素敵に、切なくあらわしていることに感激した。
    全ての話に心が切なくなったが、自分なら限りなく不幸を感じるであろう状況でも、読みながら不思議と絶望を感じなかった。その理由は、死を静かに受け入れる作者の想いが、作品から滲み出て伝わったからなのだろうか。

    0
    2026年07月09日
  • 医学生

    Posted by ブクログ

    10年前に読んだ作品。当時23歳。登場人物たちと同年代でとても刺激をもらった。
    私もこの人たちのように努力を重ねて何かを成し遂げたいって本気で思った。心にやる気を灯してくれる一冊。

    0
    2026年02月12日
  • 阿弥陀堂だより

    Posted by ブクログ

    行き詰まりを感じている作家、孝夫。その妻、美智子は医師。妻が心の病を得たことで、故郷の信州に戻ることにした二人。そこで出会う「阿弥陀堂」に暮らす、おうめ婆さん。難病とたたかっている、小百合ちゃん。

    4人の人物それぞれに、目の前に迫ってくるようでした。心に染み渡る文章そのものの魅力とあいまって、忘れがたい作品になりました。(感動する部分が多く、付箋多し!)私たちは、生きているというよりも、生かされているのだという、背筋が伸びるような、そんな気持ちになりました。

    作者は医師ですが、医療従事者でなければここまでの描写はできないだろうと感じました。真っ直ぐに医療と向き合っている、嘘偽りなく生きているからこそ、書ける文章であるということです。と同時に、心理描写が通り一遍でないことを合わせて考えると、作者は患者の心にも寄り添っている医師であること、想像されました。

    文庫本のため解説があり、映画化された小説ということが分かりました。映像化も、きっと素晴らしいと思います。でも私は、先に活字で読み、心の中で登場人物と出逢い、深く感動できたことが、最高に嬉しかったです。涙が出そうになりますが、あったかい気持ちになると共に、心洗われる作品です。

    0
    2025年02月03日
  • 阿弥陀堂だより

    Posted by ブクログ

    孝夫が育った街にある阿弥陀堂で生活するのは、身寄りのないおうめ婆さん。中学に上がるは春に家を出た父からの連絡を受けて自らも東京に出て行き、そこで将来の妻となる美智子と出会う。医師になった美智子は授かった子どもを胎児で失ったことをきっかけに、それまでの東京でのハードな仕事もたたってか、精神を崩してしまう。孝夫が移住した谷中村にっ戻り、そこでおうめ婆さんや村の診療所、そしておうめ婆さんの話を聞き取って「阿弥陀だより」を書く小百合ちゃんらと出会い、少しずつ彼女の気持ちも回復に向かっていく。

    立脚点―この小説を読んで、そんな言葉を思い出した。自分はどこに立っているのだろうか。都会での生活は、自分がどんどん肥大化して、どんどん足が地面から離れていってしまい、まるで浮遊しているかのような感覚に陥ってしまう。でもおうめ婆さんの生き方はそれとは対局だ。ずっと谷中村で暮らし、狭い世界しかしらないかもしれない。でも、地に足の着いた生き方をして、そこから実感のこもった考え方を持ち、そして小百合ちゃんがそれを聞き取り、「阿弥陀堂だより」として言葉にする。

    仕事で疲れた自分にとって、こんな生活が実際できるのかは置いておくにしても、ものすごく理想のものに感じられる。都会での生活は疲れた。人間関係は煩わしい。でも、この小説を通してこんな選択もあるんだと思えることこそが、精神の救いとなるのだ。

    0
    2024年06月09日
  • ダイヤモンドダスト

    Posted by ブクログ

    表題作のダイヤモンドダストについて。

    主人公の和夫と今この文章を書いてい僕とでは、「死」との距離感がずいぶん違っているよなと思う。僕にとって「死」はまだ遠い存在で、祖父母を除けば自分とごく近しい人の「死」というものを経験したことがない。母方の祖母は「死」というものを理解できていないような時に亡くなってしまったし、2人の祖父の死はあまりにあっけなく、見送りもあまりに静かで、この世で長年生きたとしても最期は結局こんなものかという虚しさだけが残った。「生」の一番端っこにある「死」が虚しいのだとしたら、いったい「生」に何の意味があるというのか。「死」そのものよりも、「死」の前に流れる「生」の時間がかえって虚しく感じられてしまう。

    和夫の「死」の経験値は僕と根本的に異なっている。幼い頃に母が死に、結婚して間もない妻が死に、そして看護師という仕事柄も多くの死と接してきただろうし、アメリカ人宣教師のマイクの死と向き合い、脳卒中で倒れながらも危機を脱してきた父の松吉も、最後は自ら作った水車が壊れると共に逝ってしまう。

    和夫は僕と、「死」の経験値があまりにも違う。にもかかわらず、僕は和夫を遠くには感じない。あえて一つ共通点を探るとしたら、悲しみとか苦しみとかそういう感情は抜きにして、「死」というものを心理的にそんなに遠くに感じていないところだろうか。和夫は「死」の経験から、僕は生きることの虚しさから。

    この物語で出てくる「死」はなにも人間に限ったことだけではない。松吉が運転士を務めていた田舎の小さな鉄道が廃線となる。皆で一緒に作った立派な水車も死を迎える。いろんな形の「死」がある。そしてすべてのものが「死」を迎える。どうしたって、人は死と向き合わざるを得ない。

    この物語では、「死」というものがセンセーショナルに描かれているわけではない。日常の中で、当たり前のように「死」が存在している。そしてそれぞれの「死」が、松吉の死に向き合うときにダイヤモンドダストによってあたりが輝くように、悲しみはあるが、否定的に描かれない。大きな日常の中に「生」と「死」が同居していて、それぞれの「生」や「死」が否定されることなく、確かな存在感をもっているから、だから読後に安心感のようなものを得られるのだと思う。

    0
    2024年05月04日

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