あらすじ
東京オリンピックを翌年にひかえた1963年、東京の下町・入谷で起きた幼児誘拐、吉展ちゃん事件は、警察の失態による犯人取逃がしと被害者の死亡によって世間の注目を集めた。迷宮入りと思われながらも、刑事たちの執念により結着を見た。犯人を凶行に走らせた背景とは? 貧困と高度成長が交錯する都会の片隅に生きた人間の姿を描いたノンフィクションの最高傑作。
...続きを読む感情タグBEST3
Posted by ブクログ
一般に「吉展(よしのぶ)ちゃん誘拐殺人事件」と呼ばれる、1963(昭和38)年に起こった営利誘拐事件を題材にしたノンフィクション小説。
事件の経緯は以下の通りである。
19630331: 東京の下町入谷で4歳の吉展ちゃん誘拐される
19630407: 犯人から被害者宅へ7回目の電話。身代金の受渡指示→犯人は逮捕されないまま、身代金だけ奪われる
その後、犯人の小原保は捜査線上に浮かび、警察は2回に渡り小原保を別件逮捕し取り調べるが、いずれも証拠不十分で逮捕に至らず。
19650513: 背水の陣での警察による3回目の取り調べ。事件から2年経過している
19650704: 犯人自白、逮捕。翌日に供述通り吉展ちゃんの遺体発見
19651020: 第1回公判
19660317: 地裁にて死刑判決
19661129: 高裁にて控訴棄却判決。死刑確定
197112 : 死刑執行
筆者の本田靖春は、もともとは新聞記者。1955年に読売新聞に入社するが、1971年に退社し、以降、フリーのライターとなる。
本作品は、1977年に発表されている。事件解決から12年後、死刑執行から6年後のことであった。
この「誘拐」という作品は、日本のノンフィクション作品の中でも「傑作」と謳われているものであり、また、本田靖春は、ノンフィクション作家として誉れ高い人物である。実際、私にとって本作品は、ほとんど一気読みの面白さだった。
印象に残ったことは2つ。
一つは取材、事実確認が行き届いていることだ。作品が書かれた経緯は知らないが、かなり長い時間が経過してしまっている事件を、徹底的に調べている。裁判資料等の書類資料はもちろん、おそらく、関係者へのインタビューを相当に重ねたはずだ。
二つ目は、それを小説として書く、作家としての腕前だ。小説の形式としては、「インタビューでこのような話を聞いた」あるいは「インタビューでX氏はこのように語った」という形式ではなく(そのような書き方をしている部分もあるが)、物語・小説を書くような形式で書いている。例えば、作品は下記のように始まる。
【引用】
公園の南のはずれに、このところようやく成木の風格をそなえて来た公孫樹(いちょう)があり、根元を囲んで円型にベンチが配列されている。その中の南向きの一脚が、いつの間にか、里方虎吉の指定席みたいになった。
【引用】
事実を徹底的に調べたうえで、小説形式でそれを作品にする。事実調査の徹底度と、作家としての腕前がなければ成り立たない形式で作品は書かれており、それが、作品に迫力を与えている。
Posted by ブクログ
昭和に起こった誘拐事件のノンフィクション。
有名な事件だが、一般的に紹介されにくい警察の度重なる不手際や犯人の生い立ちがくわしく書かれている。
と書くと、あたかも犯人に同情的で警察に批判的なように聞こえるかもしれないが、そうではない。たしかに犯人の生い立ちは凄絶で、警察はずっと失敗している。ほとんど人災といってもいいレベル(結果からみてみれば、誘拐直後に被害者は殺されているので最善を尽くしたとて助かりはしなかったが)。
しかし、犯人への同情の念を覚えそうになると、すっとはしごをはずす。ミスばかりの警察に対しても、怒りを覚えそうになるところで、読み手を見透かしたかのように抑制させる、相互にバランスの取れた文章になっている。
事件の概要に関してはWikipediaでも読めば充分なのだが、それだけでは得られないものが多くあった。
Posted by ブクログ
昭和38年に発生した誘拐事件、吉展ちゃん事件を描いたノンフィクション。加害者の暗い過去など時代背景、高度成長期の影の部分がリアルな力作。
東京オリンピックの直前の台東区入谷で発生した4歳男児の誘拐事件。警察の不手際により身代金50万円は奪われ事件は迷宮入りの様相。だが伝説の刑事平塚八兵衛らの執念の捜査で事件は解決。男児は遺体で発見され、犯人は死刑となる。
犯人の小原保の生い立ち、親族の悲しい宿命に多くの頁が費やされているところが独特。
インターネットより前の時代、行方不明となった男児を心配する両親に、多くのイタズラ電話が来るところが現代と変わらず切なくなる。
警察の初動対応の不手際と隠蔽体質も現代とは変わっていないだろう。
事件の概要だけでなく時代の空気感をうまく出した、ノンフィクションの中でも傑作の部類であろう。
Posted by ブクログ
"私がまだ生まれる前、昭和38年に起こった誘拐事件。その真相に迫るノンフィクションの傑作。最後のページまで緊張感が続き、被害者、加害者、関係者、この事件に関わる全ての登場人物との距離感も絶妙。
著者の綿密な取材、苦労とともに、書き手の文書力がなければ本作品は成り立たない。
吉展さんのご冥福を祈り、本書をたたむ。"
Posted by ブクログ
事件ノンフィクションの古典。
時代と言ってしまうとそれまでだが、
戦後に起きたとても悲しい物語。(108)
[more]
(目次)
発端
展開
捜査
アリバイ
自供
遺書
Posted by ブクログ
1963年に起きた「事件」である
その次の年が「東京オリムピック」、
高度成長期に差しかかかり始めた時代の
「明」と「暗」を象徴している事柄である
あれから半世紀以上経とうとしているが
果たして、庶民の置かれている状況は
どうなっているだろう…
あの時代には存在しなかった
携帯電話が普及し、インターネットが普及し
果たして、庶民たちの生活は豊かになった
といえるだろうか…
あと数年後に開催されるらしい
東京でのオリムピック関係の
浮かれた報道を
目にするたびに、
耳にするたびに
この一冊を思い出してしまう
今、本田靖春さんが
もしご存命だとしたら
この優れたジャーナリストは
何を見据えているだろう
Posted by ブクログ
ものすごく、面白かったです。
文庫本368頁。
誘拐殺人の実話なので、面白え、っていうのも若干、申し訳ない気持ちがするのですが。
とにかく読み物としてオモシロカッタ。
頁をめくる手が止まりませんでした(電子書籍でしたけど)。
ノンフィクションです。
1963年に東京都で起きた「吉展ちゃん(よしのぶちゃん)誘拐殺人事件」の話です。
建築業者の家族のお子さんだった、よしのぶちゃん(4歳)が、公園に遊びに行ったまま帰らない。
やがて、身代金要求の電話が。
警察が出動する。
1963年、戦後18年。
ようやく、経済成長の恩恵が中産階級にも巡ってきた時代。
まだ「逆探知」も無く、捜査は不幸も重なってミスが続く。
身代金は奪われ、子供は帰ってこなかった。
警察の面子をかけた大捜査も空しく、幾人かの容疑者は浮かんだけれど、証拠は何も手に入らなかった。
ノンフィクションです。実際にあった誘拐事件です。
犯人は、小原保さんという、30歳前後の男性でした。
この本は、被害者の一家とその背景を描きます。東京でそれなりに一生懸命暮らす、中産階級の家族。
捜査にかかわった捜査員も描きます。警察の失敗も描きます。2016年の今からすると隔世の感がいろいろあります。
そしてこの本は、福島県の田舎の出身である、加害者の背景も描きます。
犯人の男性は、子供の頃に片足を不自由にしました。それからはずっと、いわゆる障害者です。
田舎で仕事も無く、東京に出てくる。時計修理の技術は身につけている。
なんとか糊口をしのぐ。
閉鎖的な田舎から出てきました。
その田舎というのは、哀しさが裸足であかぎれを痛めているような寒村です。
顔見知りと偏見と中傷と無理解とが、現実に叩きつけられているような集団です。
その村の中でも、冷たい風が吹きたまってきたような家族の出です。
東京だけを見つめている、「レコードのA面だけの歴史」の中では、想像もつかないような風景です。
ほんの50年前まで、ほとんどはそういう場所だったんですね。いや、きっともっと最近...というか、今だってそうだし、都会の中にもそういう場所が多く、あるんですよね。
それを、見るか見ないか、というだけの話。それは1963年でも変わりません。
この本は、そこをまず見つめます。痛いです。
そして、犯人さんは、障害のある男性です。
都会の孤立なのか、疎外なのか。
アルコールと女性、つまり酒と売春に溺れていきます。浪費していきます。
徐々に身を持ち崩していきます。
義理の悪い借金が嵩んでいきます。
このあたりの、ぐずぐずな緩慢な崩壊の仕方が、ヒトのありさまとして、嫌ンなるくらい手ざわりが、ざらざらします。
そうならずにすんだ者が、そうなった者を上から目線で非難するのは、あまりにも尊大ですね。
そしてこの本は、その加害者と恋愛関係にあった、年上の水商売の女性も、くっきりと描きます。
恵まれない生い立ちから、女性が独りで身を立てるための水商売。
我慢の上に忍耐を重ねて、小さく構えながら生きてきた女性。
もう、犯罪ノンフィクションの鏡と言って良いのです。
独りひとりから、急速な消費の膨張、都会の孤立、疎外、東京都と地方の格差、消費と幸福の果て亡き競争社会...そういった「集団としてのニンゲンの物語」が、濃厚に匂い立ってきます。
結局は、深い計画性が無く、偶然に被害者を選んだような犯罪でした。
そうであるが故に、意外と初動の取りのがしが大きく、捜査は行き詰ります。
唯一残された、犯人の電話の声。
テレビとラジオの時代が始まっていた。音源を公開して情報を募る、という前代未聞の作戦。
そこから初めて捜査線に上がってくる、小原さん。
もう、この本の読者としては、小原さんが犯人だって、判ってる訳です。
なんだけど、小原さんは警察の取り調べに頑強に抵抗します。
状況証拠しかないわけです。
そして、アリバイを主張します。黙秘します。狂ったように叫びます。
ぎりぎりの線での、生きるための戦いが行われます。
結局、警察は一度、小原さんを解放します。
ただ、その過程で、小原さんは当たり前のように、知人家族からの信頼、絆を失います。社会的には転落します。
事件から2年。
警察はあからさまに行き詰ります。
誰もが、もう、迷宮入りかと思った。しかし。
「落としの八兵衛」などの異名を取る、戦前から戦後混乱期、そして60年代以降も異名を馳せた、平塚八兵衛刑事が登場します。
それまでの大量人員の組織的捜査を敢然と無視して、ほぼたったひとりで、ゼロから小原さんの容疑を捜査する平塚刑事。
この平塚刑事が、積み木を積み重ねるように、ひとつひとつアリバイを崩していく。新たなる状況証拠を掴んでいく。
そこには、何の神秘性もなくて、汗みどろの中で合理的に論理的に一つ一つ当たっていくだけの作業。それがとにかくスリリングな筆致。
そして、事件からおよそ三年。平塚刑事と小原さんの、最終対決が始まる...
最後の鍵は。
読者も、捜査員も、誰も推測できていなかった要素。
小原さんの中の、罪悪感...
###
もう、むちゃくちゃにオモシロイ。
横山秀夫の最上級の警察ミステリーを読んでいるような。
ドストエフスキーを読んでいるような。
火曜サスペンスとプロジェクトXをステレオで浴びているような。
もちろん、ひどいことをした訳です。犯人さんは。
なんだけど、本が大詰めを迎えると、どこかで犯人に同情的になってしまうんです。
というか、筆者がなっているんですね。
犯人を責めるのは簡単なことです。
小さな子供がいる親の身になったら、あらゆる理屈と言葉を超えて、許されざることです。
そして、そのことを、恐らく被害者の次に、肉体的に感じていたのが、加害者でした。
身代金は50万円でした。
1963年当時の価値は、ぴんとは来ませんが、今のお金に換算すると、「誘拐と言う事業の報酬」としては、決して高額ではないんですね。
犯人さんの、不義理な借金を返して、なんとか生活を再建するに足る。そんな金額でした。
ラスト、犯人の顛末。
裁判、服役。そして、最期。
ラスト、犯人の墓の前に、平塚刑事が佇みます。
想像力の画面に、叩き込んで刻まれるようなページでした。
###
本田靖春さんは、過去に、美空ひばりさんについてのノンフィクションを読んだことがあって。
そのときも、ただならない筆力を感じたんです。
ただ、今回はほんとに、打ちのめされました。スバラシイ。
新聞記者出身らしい、ハードボイルドでザックリバックリした読み易い文章。
そこに、それだけではない、実に豊穣な「見てきたような語り口」。ほとんど、小説やんか!という力量。
ただ、底流には、この物語の中の、平塚刑事のように。
感性とか感傷なんていう、甘ちゃんな触覚を拒絶する、コンクリートを打ち固めるような確信に満ちた背骨を感じます。
ただただ、1つの犯罪にかかわった人たちを見つめるだけなんです。
それがとにかく、ドキドキにスリリング。
その先に、恐らくは何年経っても古びない、「世の中の風景」みたいなものが見えてきます。
傑作でした。
####
犯人が衝動的に誘拐殺人をしてしまいます。
お金に困ったからです。
犯罪のプロでも無い犯人は、なぜ誘拐殺人を思いついたのか。
それは、たまたま見た、黒澤明の映画「天国と地獄」の予告編がヒントだったそうです。
アメリカの警察ミステリーを翻案した、誘拐犯罪映画。
三船敏郎さんが、金持ちの被害者。
仲代達矢さんが、執念の捜査官。
若き山崎努さんが、貧しき犯罪者。
密室で進む映画の前半は特に、間違いなく日本映画史上、いや、世界の映画史上に燦然と輝く奇跡のような大傑作です。
映画に罪はないんですが...
そして2016年現在。その役割って、テレビだったり、漫画だったり、ネットニュースだったりするんでしょうねえ。
Posted by ブクログ
怖い…。犯人が(いつ見つかるか…いつ見つかるか…)と戦々恐々としながら2年半の逃走を続ける様が『罪と罰』を読んでいたときのドキドキ感に似ている。事件が解決してもすっきりするものが何もない読後感…。この本をもとにした番組が放送されたあとの被害者の両親のコメントに、少し救われた気がしました。
戦後高度成長期の時代だからずいぶん昔の事件だけど、「容疑者の人権」とか「死刑制度の乱用は許されない」とか、当時は今よりずっと市民の意識が冷静だったのね、という感じがしました。
Posted by ブクログ
素晴らしいノンフィクションの傑作。吉展ちゃん誘拐事件。東北出身の犯人の哀しい人生。容疑者として追い詰めながらも捕まえられない警察。その失態も不可解。警察、被害者の両親、特に犯人の人生を浮き彫りにした構成は読み応えがある。
Posted by ブクログ
重厚なノンフィクション。とても読み応えがあった。どうも文章が古臭えなと思ったら46年も前に書かれた本だった。多角的な視点で事件を捉えてて、回りくどいなと思う事もあったけどそのおかげで色々時間がくっきり見えた。うまい。
Posted by ブクログ
ノンフィクションを初めてしっかり読んだ気がする。今まであまり触れてこなかったジャンル。
誰か一点の視点では見えてこない事実。
最初は家族の視点の次が、お前誰やねん、ってなってしばらく頭が追いつかなかったのだが、犯人か、この人、となってからは切り替えられるようになった。
ページのボリューム的には犯人に寄りそってるような(同情をかうような)書き方だな、と途中までは思ったのだが、最後警察のターンで一気に様相が変わってゆく。
最後の短歌と地の文の交互のたたみかけがよかった
2023.10.7
168
Posted by ブクログ
吉展ちゃん事件については、元東京新聞記者により比較的最近に出版された「誘拐捜査」を先に読んでいた。この作品のほうが同テーマを扱ったものとしては先行かつ有名。両作品のアウトラインは当たり前だが似通っている。こちらの方が、犯人である小原保に関する叙述が、生い立ちや自白後の顛末など多い印象。逆に捜査陣の内幕は、当時の担当記者が書いた「誘拐捜査」により詳しい。
東京で自分のだらしなさ故に借金を作ってしまった小原。決してベラボウな金額ではないが首が回らなくなる。金策のため郷里へ帰るが、会わせる顔もなくて4日間をこそこそと野宿して過ごす。「悪い血」が淀む故郷には頼れる人もないことが改めて身に沁みたろう。そして本来は交わるはずのない小原の人生と、村越家の人生とが、不幸な形で交わることになる。
事件後、村越家に向けられた善意(捜査協力、手紙など)は、今の時代にはそんな素朴な発露は失われつつある。しかし、悪意(中傷、いたずら電話)のほうは相変わらずある。ただしwebなんかなくても、匿名性の陰に隠れた卑劣な中傷は立派にあることにも注意。
Posted by ブクログ
かつて、吉展ちゃん誘拐殺人事件という事件があったことを知っている。
しかしながら、それがどのような事件かについてはほとんどを知らない。
この本を読んで、どんな感想を言えばいいのか、適当な言葉が思いつかない。
ただ、読んだことのない人には読んで欲しいと言いたい。
Posted by ブクログ
あまりノンフィクションを進んで読んできていないのですが、本書と同事件をベースとした『罪の轍』(奥田英朗)を読みまして本書に興味を持ちました。
読み始める前にWikipediaで「吉展ちゃん誘拐事件」についてざっと目を通したうえで読みました。
ノンフィクションというともう少し進めにくいかと思っていましたが、作者が記者であるためか最初から最後まで緊張感が途切れることのない胸が苦しくなるノンフィクションでした。
Posted by ブクログ
実際の事件について何も知らない状態で、ノンフィクションであることはわかった上で読んだ。
日頃ノンフィクションを読まないからか、読むのに苦労した。なかなか話が入ってこず、飛ばし飛ばし読んだところも。
Posted by ブクログ
苦労して読んだ。
ノンフィクションなのだから正しいのだと思うが、事実がただ小説風に書かれているだけのような印象。
かと言って淡々と進むわけではなく、盛り上がっているような雰囲気を見せる。が、見せるだけ。
この事件を解決するために、多くの人たちの努力があったのだなということはすごく伝わった。
Posted by ブクログ
よく調べあげられている。著者自身、捜査員とジャーナリストの役割の違いをよく理解し、同業者が捜査員の務めと混合している事を冷静に観察している。
が、しかし、この『誘拐』は、ノンフィクション上の傑作として評価されているのだが、刊行当時の1977年に、良い作品として評価されるならまだしも、21世紀の現代においても、そう評価されている事に疑問を持つ。
業界の常識、評価する人の評価基準は、おかしいのではなかろうかと。
簡単に、この『誘拐』の内容を紹介すると、東京オリンピック間近の1963年の吉展ちゃん誘拐事件を事件発生から犯人逮捕、刑執行までを、綿密な取材を元に再現されている。
何ら予備知識無く、いきなり、この本を与えられ、読まされると、この本はよくできたミステリー、探偵小説として読めてしまう。
人の記憶は、それ程ハッキリしたものでないと思う。
そういう資料から創作されると、事実を元にしているとは言え、それは一種のフィクションのような形にはならないか?
僕は、ノンフィクションとは、読者に、どこから事実で、どこから著者の想像力によるものか、明らかにすべきであると考える。
例えば、事実はこうである。私が取材した所、A刑事は、その時、『〇〇、しかじか。』と語った。
それに対して、私は、しかじかと考えた。
のような、取材した事実と著者の考えを区分けして読者に伝えるべきではなかろうか?
A刑事は、『カクカク。』と述べた。B刑事は、それに驚き、『〇〇』と応えた。
文章をこういう形にする事で失われるモノは、大きくならないであろうか?
人の脳は、物語という形式の方が頭によく入るという。
が、事実には事実の扱い方があるのではなかろうか。
もし、フィクションのような形式で書くなら、小説という形で、小説家が、この事件の背景にあるものを膨らませて、小説で書かれた方が、僕は、よかったと思う。
なので、この『誘拐』は、TVでよくやる再現ドラマの質の良いものとしてしか評価出来ない。
最後に、一市民として、犯人が自分の犯した罪の重さを考え、何度転生しても、償いができるようにと改心して、刑を受け入れたのは、良かったと思います。
Posted by ブクログ
事件の背景、前後、理由、全て気になるので、ノンフィクションはつい読んでしまう。
客観的で、時系列も分かりやすく、淡々としていて読みやすかった。
お金に困っての犯行だったが、その事件に至るまでの保の生い立ちや生き方、社会の中での立場にやるせなさを感じる。
当時、逆探知もなければ、身代金のナンバーも控えてなかったらしい。
警察の失態もあるけど犯人逮捕に時間がかかっているし、しかも子どもは亡くなるという結果。
迷宮入りしなかったのが救い。
最近も世の中を逆恨みするような事件とか増えてる気がする。
こんなことが起きない世の中にはならないのだろうか。
なんの罪もない子どもが巻き込まれるのは辛い。
Posted by ブクログ
刑事が入念な再捜査で得た情報を犯人にぶつけ、犯人が自白に至る経過は迫力があった。
情報がうまく上層部に上がらないのは、どこの組織でもあることだろうと感じた。
Posted by ブクログ
1963年に起こった吉展ちゃん事件について、ルポタージュ風に書かれたもの。
事件の流れだけでなく、犯人の生育環境とか捜査の内容まで生々しく書かれていて、読み応えはあった。
時代背景をうまく理解できないところがあって、ところどころ消化不良。
どちらかというと加害者側の視点で書かれていて、事件の悲惨さはそれほど濃く描かれていなかったので、物足りない人には物足りないかと。
Posted by ブクログ
日本のノンフィクションの歴史に刻まれる名作なんです。現代の目で見て物足りなくても、それは無いものねだりというものだ。神の視点で書かれた「小説仕立て」であるところとか。
Posted by ブクログ
私が生まれた年に起きた事件にも関わらずその名を何故か知っていた、当時、戦後最大の誘拐事件といわれた「吉展ちゃん事件」。今はもう知る人も少ないかもしれない、この事件の詳細をこの作品を読んで初めて知った。
逆探知、通話記録の提出、報道協定・・・今なら当然のように行われている捜査手法が当時は一般的でなく、この事件を契機に行われるようになったという戦後犯罪史上ターニングポイントにある事件でもある。
この作品は、オリンピック前年の1963年、一億総中流へと向かう行動経済成長期の日本で、時代に置き去りにされた、東北の寒村出身の不具の男が、このやるせない事件を起こすに至る経緯を、緻密な取材によって丁寧に描く。
一方、初動捜査で犯人を取り逃がした警察の失態、2度取り調べするも決め手がなく結局事件解決まで2年3か月を要した警察のあせり、迷宮入りかと思われた本件を決着に導いた現場刑事の執念が臨場感をもって描かれる。
高度経済成長期の犯罪、特に、社会のひずみの中で追い込まれていった多くの犯罪を見るにつけ、時代のせいとは言いたくないが、加害者のその境遇が少し違う方向へ転んでいたなら、こんな痛ましい事件は起こらなかったかもしれないのに・・・という犯罪がある。
貧困、生い立ちの問題、根強い差別、村社会からの排斥など、現在は想像もつかないほど過酷な環境が犯罪への道筋を作ったのか。
こうした時代の隙間に零れ落ちた人間たちを、国は掬いとることが出来なかったのか。
最終章で、小原受刑者が教誨師の勧めで始めた短歌の作品の数々を目にするにつけ、彼がもっと違う環境で生育していたなら、吉展ちゃんも死なずに済んだのかもしれないと思わずにはいられない。
死刑執行の日、自分を逮捕した刑事へ向けて、看守にことづけた一言が哀しい。
「真人間になって死んでいきます」
Posted by ブクログ
幼児誘拐事件の犯人、被害者家族、刑事を均等に描くノンフィクション。
「犯罪者というのは、社会的に追いつめられてしまった弱者の代名詞なのではないか」――という一文に、ほんの少し前なら共感したかもしれない。でも『殺人犯はそこにいる』を読んでまもない今は、そう思えない。
理不尽なことに塗りこめられてしまうことはある。でもどんなときも、自分を追い詰めるのは、自分自身なんじゃないかと思う。弱いとか強いとかそんな形容詞で決めるのは違うと思う。自分にどんな選択をさせるかは自分自身なんだってことを知っているかどうか、ただそれだけなんじゃないのかな。
それを知ることができないのが社会的に追い詰められた弱者、なのかもしれないけど。
この本は、『殺人犯はそこにいる』と背中合わせに読みたい。心の目盛りを整えながら。
Posted by ブクログ
事件の名称だけは知っていただけで読んだため、被害者の結末も犯人も分からない状態であり、まっさらの状態で読むと確かに犯人が犯人たりうるかは特定できない。疑わしきは罰せずであれば見逃してしまったのも仕方がないと思える。ただ、どう考えてみても初動捜査が悪い。本文中にもあるが、ここで番号でも控えていれば犯人逮捕までそこまで多くの歳月が掛かることも、証拠不十分で流されることもきっとなかっただろう。また、ノンフィクションとして優れていたのは、こうした警察の混乱と同時にいわゆる「世間」の反応を具に描いている点である。善意が負担となり、傍観者の立場から非難を行い、悪意で被害者家族を蹂躙し、厚意が他者から恨まれる、日本中の注目を浴びる一方で、こうした人間性が発露していた事実にこそ怖さを感じたのだった。
Posted by ブクログ
東京オリンピックを翌年にひかえた1963年、東京の下町・入谷で起きた幼児誘拐、吉展ちゃん事件は、警察の失態による犯人取逃がしと被害者の死亡によって世間の注目を集めた。迷宮入りと思われながらも、刑事たちの執念により結着を見た。犯人を凶行に走らせた背景とは?貧困と高度成長が交錯する都会の片隅に生きた人間の姿を描いたノンフィクションの最高傑作。文藝春秋読者賞、講談社出版文化賞受賞。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
本田/靖春
1933年、朝鮮に生まれる。55年、早稲田大学政経学部新聞学科卒業後、読売新聞社に入社、社会部記者、ニューヨーク特派員などを経て、71年退社。64年には、売血の実態を告発し、現在の100%献血制度のきっかけとなった「黄色い血」キャンペーンを展開する。77年、『誘拐』で文藝春秋読者賞、講談社出版文化賞受賞、84年、『不当逮捕』で講談社ノンフィクション賞受賞。2004年死去(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)