上野修のレビュー一覧
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汎神論を徹底すると唯物論になってしまうというところがとても気になるスピノザであるが、「エチカ」はあまりにも難解というか、すごく読みにくいので、なかなか近づけなかった。
ということで、とりあえず、新書で手っ取り早くと思って、本書を読んだが、「エチカ」を中心に丁寧に説明しつつ、読者が抱くであろう疑問を先回りしつつ親切に解説してくれる、なかなかに分かりやすいスピノザ入門本であった。
基本的には、他の思想家との関係やさまざまな解釈はおいといて、スピノザのテクストに沿って議論は進むのであるが、それでもニーチェとの関連については触れてある。スピノザは、それほどまでにニーチェの「善悪の彼岸」や「道徳の系譜」を思い起こさずにはいられない哲学者なのであった。 -
Posted by ブクログ
著者の「スピノザの世界」が分かりやすかったので、勢いで、こちらのほうも読んでみた。「スピノザの世界」が「エチカ」を中心としているのに対し、本書はスピノザの生前にでた主著(?)「神学・政治論」を中心とした宗教・モラル・政治論。
「スピノザの世界」が、「エチカ」を時代や社会環境を超えて、そのテクスト自体から読み解いていく試みであったのに対して、本書は、当時の社会情勢や思想的なコンテクストを踏まえながら、「神学・政治論」を読み解いていく。といっても、著者の読みは、やはりスピノザのテクストの論理に忠実で、隠された意図、例えば、「本当はスピノザが主張したいのは無神論だが、それを直接的に言えないので、こういう主張の形をとったのだ」という読みを排除する。つまり、表題のとおり「無神論者がなぜ宗教を肯定できるのか」というパラドックスに正面から答えようとしているのだ。
著者によると、スピノザの聖書の読みは、いわばテクストとしての読みであり、また、聖書のロジックはそれ自体正しく、そしてそれは政治的な権力ともつながる、とのこと。これは、きわめて、フランス現代思想っぽい世界で、なかなかスリリングだ。
スピノザは、その倫理のみならず、権力論においても、ニーチェみたいなんだな、と思った。
面白い本だと思うが、100ページの本が、1000円もするというのは、少し高いのではないだろうか。なので、満足度は4点としておく。 -
Posted by ブクログ
約7年ぶり(!)に読んだ。
スピノザの主著『エチカ』の読解。
最初に本書を手にしたのは、スピノザの思想と、ミニマリストプログラム以降の生成文法の言語観・自然観との間に相通ずるものがありそうだと感じたのがきっかけだった。
抽象的な話が多く、骨の折れる読書となった。
著者の意図をきちんと読解できているかもあやしいが、本書で述べられているスピノザの思想を自分の言葉で粗削りに要約すると、次のようになる。
「神とは、数式や自然法則のようなものであり、世界は自動機械がものを作るように、必然的に生み出されていった(神が何かを意図して創造したのではない)。
世界に存在するすべての事物は、良いものも悪いものも、神(=自然法則)の必然の結果生じたもので、また、これらはすべて神の一部である。
それゆえ何かよくないことがあっても、“すべて必然”と考えれば、すべてのことを許すことができる。
そのように世界を認識できる人間は、自由で強い。
“すべて”の中には、当然、自分自身も含まれる。
自分自身が必然の存在であると認識することは、自分自身が神のあらわれ(=自然法則の一部)であり普遍的な存在であると理解することである。
自分自身が神の一部であるならば、つまり、人が神を愛すること=神が人を愛すること=神が神自身を愛すること、となる。
この栄光こそ、人が衝動的に欲している自由、幸福、至福である」
一般的なキリスト教からイメージされる神に比べると、スピノザの神は無機質だ。
当時の教団から「異端」として追放されたのも仕方なかったかもしれない。
でも数式のように無機質だからこそ、永遠不変なのだともいえる。
ニーチェや仏教の思想にも似たものを感じる。
実際ニーチェはスピノザを、自分の「先駆者」としてたたえていたそうだ(pp165-166)。
『エチカ』自体、幾何学の証明のように定義と公理からスタートして定理を導いていく、というふうに淡々と書かれているらしい。
が、果たしてその定義や公理や推論過程が妥当なものか、確信はもてない。
(いや、正直に言うと、直感として納得できていない。)
仮に推論過程が正しかったとしても、スピノザの導いた結論(定理)の数々は、一個の閉じた公理系の中でのみ正しい、としか言えないじゃないか!
……とも思ったが、宗教は科学じゃないし、幾何学の証明のような書き方に惑わされて科学哲学の枠で考えること自体が間違っているのかな。
うん、自分にそう言い聞かせて納得することにする。 -
Posted by ブクログ
スピノザ哲学の入門書。きわめてとっつきにくいスピノザの哲学に読者が親しめるような工夫が文章に感じられる。
著者は『エチカ』の解説を始めるにあたって、「実在」や「神」ではなく「真理」に注目している。古来哲学は真理を獲得するための方法を熱心に論じてきた。だがこうした方法論の企ては無限遡行に陥るほかない。ここで問いの方向を転換してみてはどうだろうか。つまり、私たちにすでに「与えられている真なる観念」が、真と言えるための規準をもたらしてくれるからこそ、私たちは真理を獲得するための方法を手にしているのではないのかと。
著者はこうした議論を、スピノザの「外的標識」と「内的標識」によって裏づけている。観念と対象との一致という「外的標識」だけでは、観念が真であることを正当化するのに十分ではない。むしろ、当の観念を正当化するための規準が明らかであるからこそ、私たちは事実の何を調べればそれが正当化できるのかが理解できるのである。これがスピノザの言う「内的標識」だと著者は説明している。
スピノザによれば、あるものの観念は、それをもたらす近接原因によって定義される。「内的標識」とは、原因の観念と結果の観念との間に存する必然性にほかならない。そこで、こうした観念の必然的な連鎖の全体を覆っている巨大な思考を考えることができる。こうした巨大な思考がスピノザの「自然あるいは神」にほかならない。それは、自分で自分がこのようなものであるということの説明になっているようなものとして記述されなければならない。スピノザの『エチカ』はこうした説明の体系になっている。
ところで、『エチカ』は文字通り「倫理学」であるにも関わらず、「……すべし」という定言命法は見られない。「神あるいは自然」によって人間の感情と行動が理解されるならば、ことさら悔い改めや憐憫は必要はないのである。このことを実地に教えるのが『エチカ』なのだと著者は述べている。 -
Posted by ブクログ
難しいいいいい('A`)
結構間を空けながら読んでしまったのがそもそも悪かったのですが、ただぼーっと読んでいると全然内容が頭に入ってこなかった……やはりこの手の本はなかなか読み慣れないとあらためて自覚させられた次第。いつかリベンジしたい。
こんな自分が言うのも説得力がないですが、一つの章のページ数はそれほど多くなく、章毎に読んでいくとすればそれほど苦にはならないと思います。ただ内容はやはり難しく、意識的に「読書」をしなければ内容を読み飛ばしてしまいます。そう、自分のようn(ry
後半に書かれた自由意志の否定、物事(人)の許し方、永遠の相のもとの観念について、自分は特に興味深かったです。
いつか自分も、正しく自己肯定してやれる時が来たら良いのですががが。