社会調整機能としてその上部にポリツァイを、下部にコルポラツィオンという概念を考えたヘーゲル。この単語が既によく分からない、という所から読書を開始。現状の意味と異なる部分があるのでミスリードになりそうだが、ポリスとコーポレーションの事だ。ヘーゲルの「ポリツァイ」と「コルポラツィオン」は、彼の国家論における重要な概念だ。
ポリツァイは、「警察」という意味とは異なり、広範な社会政策や行政機構を指す。国家が市民の生活を管理し、公共の福祉を促進するための制度の事。コルポラツィオンは、職業別の自発的な結社や団体の事。市民社会の中で、個人の利益を調整し、共同体の利益を促進すべく、個人と国家の間で社会の安定を図る役割がある。ヘーゲルは、これらの概念を通じて、国家がどのようにして市民の自由と福祉を実現するかを論じた。
国家が国民の健康に関与する、現代の生活保護のように、就労が難しい人や脱落者に対してどのようにかかわるかを論じたという点で今日の社会制度にも繋がる概念だ。この点はヘーゲルから遡り、フーコーについても言及されるが、ワクチン接種などの体制や感染症の統計的把握などの今日的な仕組みが成立したのもこの時代であった。ヘーゲルの生きたプロイセンでは、直接種痘を強制するのではなくて、種痘を受けた証明書により、子どもの登校許可を出すような措置をとっていた。まるで、ワクチンパスポートみたいだ。
― ガレー船というのは、これもフーコーが「狂気の歴史」で扱った題材ですので、フーコーとの関連という点でも興味深い発言ですが、犯罪者や精神障害者を閉じ込め、彼らを酷使して船を漕がせるということが、一九世紀まで一種の刑罰として行われていました。船という閉ざされた空間を利用して、そうした人々を管理し役立てようとするのがガレー船だったわけで、ポリツァイの支配によって社会全体、国家全体がそういうものになってしまう危険性をヘーゲルは指摘していたのです。
― ここまで見てきたようにヘーゲルの国内体制論は、コンフリクトを組み込んだ一体性を特徴としています。ヘーゲルの国家論はしばしば一体性の側面が過度に強調され、全体主義的なもの、異論を許さないもの、民主主義を否定するものと受け取られてきました。しかし、それは普遍と個別を一体のものとして考えるヘーゲルの国家の概念に真っ向から反する理解です。普遍が個別を抑圧するところに、この一体性は成立しません。個別の主張が存在するところには、必ず他の個別との、ひいては普遍とのコンフリクトが存在します。したがって、正しい国制は、このコンフリクトを内包するものでなければならないのです。ヘーゲルは民主主義という言葉は好みませんでした。それは、この言葉が今とは異なり、多数者による支配を意味するものであったからです。しかし、今日の意味からするならば、ヘーゲルはコンフリクトの可能性を組み込んだ、市民の意思が反映される民主的な国制を構想していたということができるでしょう。
ヘーゲルの思想は、今日の社会制度にも繋がる重要な概念を含み、示唆深い内容だった。