近代哲学への入門書は少ない。哲学史入門シリーズの第二巻である本書は、その評判に違わず手堅い入門の一冊となっている。一世代前であれば野田又夫氏の様々な仕事を通して近代哲学への道はさまざまに開かれていた。それは「世界の名著」シリーズが現役だった時代までのことである。研究の推移もあってか近代哲学に関してはどこから手を付けて良いのか分からない状況が続いているように思う。それぞれの研究書の精華と思われるような各思想家についての新書などをいくつか読んで全体像をつかむというのが大方の現状なのではないだろうか。そのような凸凹した感じを埋めてくれる近代哲学史の通史そのものはミネルヴァ書房の『新しく学ぶ西洋哲学史』の第三部の大橋容一郎氏の章に見いだされよう。それこそ『新しく学ぶ西洋哲学史』は中央公論新社の『哲学の歴史』シリーズすべてを一冊にまとめたような本であり、現在、最終的に研究の総体を示してくれるレファレンスとしてより深く哲学の世界に分け入ろうとする読者は『哲学の歴史』各巻を読むことになろう。
本書は第一巻の時もそうであったが齋藤哲也氏の軽妙な語りかけによって哲学史研究の面白さを取り出してくれる一冊である。参考文献の手薄さに関しては、そもそも対談者として選ばれた方々の仕事が窓になってくれることを前提としたうえでのことと受け止めて良いかと思うが、斎藤氏の問いかけが読者が実際に哲学者の本を手に取った際に感じるモヤモヤを取り上げて対談者にぶつけてくれていることに本書の特徴がある。最初の上野修氏との対談では、近代哲学は神もしくは絶対者の時代であったという指摘は読者の意表を突くものであろう。次の戸田剛史氏の回では、哲学史研究そのものの在り方を見直すべき研究動向を窺わせ、その射程はトマス・リードにまで及ぶ。次の御子柴義之氏のカントの回は、カント哲学を彩る哲学用語がこれまでになく有機的に提示される最良のカント入門である。そして大河内泰樹氏との回では、正反合で語られる弁証法理解はそもそも正しいのかといった様々な問いかけがされるが、特に本章はヘーゲル読解で回り道をしないためにも必読の章である。そして最後の山本貴光氏と吉川浩満氏との回では、哲学を学ぶってどんなことなの?という一歩引いた場所からの問いかけに、評者は哲学を学ぶには面白がり続けることが大事なのだと思い至った。
本書を通してもお分かりかと思うが、近代哲学は非常に個性の強い思想家たちが犇めき、決して時代の動向などで括ることのできないものである。本書はそのような混迷を極める思想史に取り組もうとする読者の背中を一押ししてくれる一冊といえる(ちなみに、通史的な案内として『年表で読む哲学・思想小事典』が頼りになる)。本書で指摘される根本的な問いかけは今まで受け止められてきた通説を覆すだけの力を持ったものばかりであるが、それで今までの研究すべてが否定されるべきものではないことも明らかであろう。むしろ、従来とは違った角度から光を当てることで豊かな思想劇を見出すことができるのではないか、それこそが本書の問いかけなのではないだろうか。哲学に興味あるすべての読者に薦めたい一冊であり、むしろ哲学書を読んで何言ってるか分からないと思った人にこそ手に取ってほしい一冊である。