猪木武徳のレビュー一覧
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さまざまな「価値」がぶつかり合う、現代の自由社会。その結果、様々の難題が私たちの前に立ちはだかっています。
人間にとって正義とは、幸福とは。
著者は、経済学の基本的な論理を解説しながら、問題の本質に迫る。
デモクラシーのもとにおける経済学の可能性と限界を問い直す試みがなされたものである。以下、内容。
序章 制度と政策をめぐる二つの視点
第Ⅰ部 自由と責任
第1章 税と国債 ― ギリシャ危機を通して見る
第2章 中央銀行の責任 ― なぜ「独立性」が重要なのか
第3章 インフレーションの不安 ― 貨幣は正確には操作できない
第Ⅱ部 平等と偶然
第4章 不確実性と投資 ― 「賭け -
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数年前に流行った政治哲学のように、問題に対して経済学なりの解答を出そうとしている本だと思う。もちろん理論と実践が異なることも指摘している。
内容は下記の通りだが、処方箋を出すと言うよりも考え方を紹介してる方が強く、簡単に説明することよりもその裏にある単純化の問題を指摘している。
第1部 自由と責任
・税と国債
・中央銀行の責任
・インフレーションの不安
第2部 平等と偶然
・不確実性と投資
・貧困と失業の罠
・なぜ所得格差が問題なのか
・知識は公共財か
・消費の外部性
第3部 中庸と幸福
・中間組織の役割
・分配の正義と交換の正義
・経済的厚生と幸福
・経済 -
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題名のとおり「経済学という分野に何ができるのか」そのような問いに対して、筆者なりの回答をだしている。かなり抽象度の高い話なため、一読では一体何を言っているのか、よくわからないところが多い。それはすべて読者の責だが、各章同士の連関は強くないので、関心がある章を引っ張って読むのもよし。第9章の「中間組織の役割」では、現代の経済学が個人と国家(政府)という二元的な対立図式で社会制度を考えているところが経済学の見落としであるいう。個人と国家の間には、消費者団体や労働組合、経営者団体などの「結社」が存在し、それが現在の経済システムを構築しているという。このように、個人と国家という図式は、社会制度を考える
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クルーグマンがアジアを全要素生産性から見て、アジアの成長は資本投資によるものではなく、停滞を象徴しているとしていた分析は、誤りであるとの指摘は筆者も同意する。著者による、この指摘は、鋭いと思うし、またノーベル経済学賞を採ったからといってすべての見解が正解ではないということにも通じる。
野口旭、竹森俊平、高橋洋一などによるとアジア通貨危機は、国際経済の通貨の安定(固定相場)、金融政策の自由、資本移動の自由の三つは、経済原則として、同時に実現できない。通貨の安定のための金融政策は、外貨安の場合、外貨を外国証券を購入する形で外貨準備高を引き上げるための政策に割り当てられ、金融政策の自由は拘 -
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経済社会を理解し、その諸問題をどのように解決すべきか。
この本では、その気構えや手法を教えてくれる。最近、経済政策的なマクロコントロールには限界があり、目的通りに社会や市場は動かせないという事、あるいは、その仕掛け人には予想通りの動きかも知れないが、社会の構成員にはその意図は分かりえない、という思考に至っている。それはつまり、人間が予想通りに動かない生き物であるという事や、そこに予測しきれない外部要因や連鎖反応があるという事だと理解する。
南海トラフの危険性があると報道されると、一部で食料の買いだめをしておこうと動く。日銀が利上げを決定すれば、それに伴う変化が予想される。株価や為替、景気も -
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18世紀以降のクラシック音楽の歴史的変遷を、同時代の社会思想や政治経済の視点から考察。音楽芸術という「創造の世界」が持つ、社会的意味を捉え直す。
西欧では18世紀末まで、音楽家は教会や貴族の注文に応じて作品を作っていた。その後、デモクラシーと市場経済が社会の基本制度となり、キリスト教の重みが失われ始めると、音楽も教会から劇場へと、その創作目的や演奏場所を移した。
教会から劇場へと移行する際、音楽が両者の間を彷徨っていた期間があった。このことを示すものに、ハイドンが晩年に作ったミサ曲がある。それらの曲から受ける感動は、宗教的なものなのか、劇場的なものなのか、戸惑いを覚えさせる。
音楽で起き