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私たちが暮らす経済社会――経済的な関係が深く染みこんだ社会とどうつき合うべきか。その仕組みを知り、そこで起こる問題解決のために必要なこととは。データの重要性と限界、理論の功罪、因果推論の効果と弱点から、人間心理を扱う難しさ、歴史に学ぶ意義と注意点、政治との距離感まで、経済社会について学ぶためのヒントに満ちた一冊。溢れる情報に「健全な懐疑の目」で接し、社会を少しでも良くしたい全ての人々へ。
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Posted by ブクログ
経済学や社会学を学ぶときの心構えのようなことが書かれています。 経済社会は人間があって成立しているのだから、人間にたいする深い理解がないといけないのかな、と思いました。 経済学だけでなくて、歴史や文学、地理、法律など人文学を広く学んだほうがいいのだろうと思いました。
昔のマルクス経済学には「方法論」の書籍が沢山あった。 「近代」経済学には方法論を論じた書籍がなかった(少なくとも私は見たことがない)。 経済学の基礎的内容を1年ぐらい学習した後に本書を読むことを通読すめことをおすすめする。 経済学の方法論とは無縁の人にとっても、「終身雇用」や「江戸時代の商家の人事制...続きを読む度」、「アインシュタインの社会主義支持」など、本書で触れられているトピックは面白い。
経済学者の立場を主軸としながら、社会全体を俯瞰的にとらえるうえでの態度・心構えを説いている書。比較、歴史、主観客観、そして思想やイデオロギーを超えることの重要性を説いていると理解してよいか。学問体系がますます細分化し、些末な問題群を扱う研究が多数ある中、社会科学の方法論や学問それ自体をも懐疑的に扱わ...続きを読むなければならない時期にあると思う。
社会科学への取組み方。自然科学とは違い、本当の客観性を得るためのプロセスはかなり補足概ねそのようなものはないが、そこでできないのではなく、実行していき、世の中に何をできるのかその実効性を問い続けることが重要。
国民経済計算システムが精緻化すると軌を一にしてマクロ経済学が発展した。 フィールドリサーチは、計量経済学的方法に比べて形が作りにくく、手間と時間がかかる。 指南書『聞きとりの作法』『フィールドワークー書を持って街に出よう』 『経済学者、未来を語るー新「わが孫たちの経済的可能性』 リカード的悪癖=物...続きを読む事を単純化して仮定を積み重ねて考える。資本や労働がすぐに転換調整できることが前提=実際は規模の経済が働くか否に依存しているほうが自然。 「ヘクシャー=オリーンの定理」自由貿易の擁護論 イギリスの自由貿易はイギリスの利益になったから提唱された。世界経済のためではない。 アメリカは保護主義の砦と言われた。関税率は4~50%。関税が連邦政府の主たる収入。 世界大戦は、重要産業の自給体制が進んだ。 国富論は、外貨をため込むことを是とした重商主義を批判している。貿易を通じて生産と消費を拡大することが富の創造につながる。 日本資本主義論争=理論闘争は実りがある議論にならない。 レオンチェフパラドックス=ヘクシャーオーリンの定理通りにならない問題。 プロスペクト理論=毛沢東が朝鮮戦争に参加した理由。 差別と区別の違いは観察者による任意。過去のデータに従って判断することは、差別になるか正当か。保険で男女の差があることは正当、離職率が過去女性のほうが高いことを採用の参考にすることは正当か差別か。 教育の収益率は約7%ほどと報告されている。 「統計的因果推論」因果関係を抽出する方法。 シンプソンのパラドックス=新薬についての男女別と合計の結果が違うパラドックス。母集団の数が違うとそのような結果もありうる。『入門統計的因果推論』 適応的期待=今期の期待は、前期の期待とそれの実現度合いを足し合わせたもの。 ポリネシアの島々の発展度合い、ハイチとドミニカ共和国の発展の歴史は、経済の実験になっている。 月と雲の時代=月は解析性がある。雲にはない。両方が研究の調和に必要。雲の分野は科学の政治家が起きやすい。 競争は発見のための装置。競争によって最も優れた方法が発見される。発見のための手続き。
本書は今年の初めまでWeb中公新書に連載されていたものを加筆修正されたもの。ところどころ読んだ気がしたのはそのせい。全体で6章構成。 第1章 まずは控えめに方法論を 第2章 社会研究における理論の功罪 第3章 因果推論との向き合い方 第4章 曖昧な心理は理論化できるか 第5章 歴史は重要だ(His...続きを読むtory Matters)ということ 第6章 社会研究とリベラル・デモクラシー 第2章では牧野邦昭さんの『経済学者たちの日米開戦』でも援用されているプロスペクト理論について「興味深い分析」としつつも、理論の歴史的現実への適用には慎重であらねばならないと述べられている(p.80-83)。これは穏当な評価だと思うが、同じ第2章で大塚理論とグローバルヒストリーの方法を対比させながら、後者がややもすれば見逃しがちな国家」と「主体」の問題を大塚史学が鋭く問うている点を評価しているところ(p.67-69)などは流石である。この部分で「自由で健全な懐疑主義(healthy skepticism)」という本書の副題でも用いられれているキーワードが出て来ている点にも注意。 第3章の「統計的因果推論」の話が本書の中で一番わかりにくかったのは、自分自身が統計学などに疎いからにほかならない。勉強させていただこうと思う。最後に佐藤俊樹『社会科学と因果分析』(岩波書店、2019年)がウェーバーの方法と近年の「統計的因果推論」の方法の近似が指摘されていると紹介されていたので、その辺を取っ掛かりに。 逆に第4章はおなじみの歴史的事象にもふんだんに触れられており、わかりやすかった。米騒動の時の石橋湛山の分析や工業化における「ビッグプッシュ理論」、ジョンローのシステムや南海泡沫事件、ついでにフィッシャーの失敗など。 第5章は著者の本来の専門である労働経済学の観点から「日本的雇用」などの歴史的成立過程の事例を織り交ぜながら、わかりやすい話になっていた。経路依存性の話もハイチとドミニカの分岐の話は興味深かった。 第6章は全体のまとめにもなっているが、p.215〜230までのマーシャル、ハイエク、福沢諭吉(というか「競争」の訳語の話)とつないでいく展開は流石としか言いようがない。
本書の経済社会とは「経済的な関係が深くしみこんだ社会」のこと。宗教や伝統に代わって経済的な結びつきが社会の重心がシフトしているのが現代の特徴であり、それをどう見ていけばよいかが論じられている。 著者は著名な経済学者だが、本質論や演繹論のみで社会を切ることには懐疑的で、歴史からの学びや手間のかかるフ...続きを読むィールド・リサーチの意義を高く評価している。社会には、統計的処理だけでは解決できない問題も多いことを強調する。その一方で、理論なんて不要といった極論にも与しない。リベラル・デモクラシーの下で問題を「解決」するには、パッチワークを重ねることで何とか問題解決に当たるしかない、「『抜本的改革』という掛け声には注意が必要だ」という著者の思想に裏打ちされた方法論が展開されている。
経済社会を理解し、その諸問題をどのように解決すべきか。 この本では、その気構えや手法を教えてくれる。最近、経済政策的なマクロコントロールには限界があり、目的通りに社会や市場は動かせないという事、あるいは、その仕掛け人には予想通りの動きかも知れないが、社会の構成員にはその意図は分かりえない、という思...続きを読む考に至っている。それはつまり、人間が予想通りに動かない生き物であるという事や、そこに予測しきれない外部要因や連鎖反応があるという事だと理解する。 南海トラフの危険性があると報道されると、一部で食料の買いだめをしておこうと動く。日銀が利上げを決定すれば、それに伴う変化が予想される。株価や為替、景気も結局は、そうした影響力の大きな意思決定による「大衆の反応」が左右する。しかし、言い換えると、実際には意思決定の内容ではなく、その波及を二次的に予想して動くのだ。ケインズの美人投票にも近い現象であるし、他者の価値観・動きを予測して自らも判断・予測するという波及効果、乗数理論が働くのだと思う。 著者は「プロスペクト理論」を引く。ここ半世紀の心理学の大きな成果といわれる「プロスペクト理論」は、人間の思考というものが持つ体系的なバイアス(偏り)を明らかにしたのだが、われわれは人や物事を判断するとき、自分の先入観に適合するか否かで評価することが多い。都合のよい例を取り出して、「前がこうだったから、今度もこうなる」と考えてしまうバイアスだ。 また、哲学者のヒュームによる、人間の知識を絶対的知識(knowledge)と蓋然的知識(probability)に分けるという考え方にも触れる。前者は、絶対確実な普遍妥当的知識を指すが、後者の蓋然的知識は経験に依存する。「生贄を捧げたら雨が降った」という因果の誤謬が蓋然的知識として刷り込まれる。これがSNSで、我も我もと経験を共有し合う事で拡散し、検証が無いままで、経験的に解釈してしまう。 更に、ケインズは「経済学者や政治哲学者の思想は、それらが正しい場合も誤っている場合も、通常考えられている以上に強力である。実際、世界を支配しているのはまずこれ以外のものではない。誰の知的影響も受けていないと信じている実務家でさえ、誰かしら過去の経済学者の奴隷であるのが通例である。(中略)役人や政治家、あるいは扇動家でさえも、彼らが眼前の出来事に適用する思想はおそらく最新のものではないだろう。早晩、良くも悪くも危険になるのは、既得権益ではなく、思想である」と述べる。このケインズの言葉は、新しい考えが理解されて浸透するのには、新しい情報や考え方を、それまで自分が持っていた観念の体系にうまく折り合いをつけるのに時間がかかるということを語っている。ここにはヒューム哲学に傾倒したケインズの世界観がはっきりと読み取れると著者は言う。 この辺の流れは面白いなと思う。結局、科学主義にたって思考をするとしても、我々が行うのは論文を読み込むだけで、自分自身で実験結果を見守るものではない。それすらも結局、自らの観念体系に折り合いをつけているに過ぎないのだ。生贄を捧げて雨が降る事が間違いだという声を、それっぽい権威や多数派によって棄却している。その権威の最たるものが、学校教育や家庭教育という事だと私は思う。 ー 「偽薬」の効能の問題は、経済政策の有効性の問題と類似した面があるといえる。金融を極端に緩和しても、利子率をゼロレベルに低下させても、将来収益に対する悲観的な見方が市場を支配している限り、企業の投資活動は活発にならないだろう。「この政策は効かない」と人々が思い込んでいるために起こる、「プラセボ効果」と反対の「ノセボ効果」によるものだ、という論もあながち荒唐無稽とは言えまい。一般に、薬剤を投与されているという心理効果によるバイアスを避けるために、患者にも医師にも薬や治療法の性質を不明(blind)にして、その薬を評価することも行われている。 ー 「科学への信頼の厚い現代では、もはやそのようなこと(科学的な主張に対する投獄や処刑)は起こりえない」という楽観的な意見も出るかもしれない。しかしそうした意見は、科学が最終的に物事の真と偽、当否を確実かつ明晰に示せるという「信仰」に過ぎないといえる。したがって科学とイデオロギーが結びつくことの恐ろしさを知らない態度と批判されても仕方があるまい。科学はあくまでも、仮説とその検証を経て成り立つ知の体系なのだ。科学への信頼や敬意は必要だとしても、科学の世界においても「絶対」はない。
良書だと思うが、哲学的な内容であまり面白くなかった。この先生の本はそういうものだと分かっていたのだが、やはりそれほど楽しめなかったというのが正直な感想。
ムズい。 第5章のQWERTY配列のデファクト確立の文脈で語られるベータマックスの逸話、眉唾だと思う。
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