井上靖のレビュー一覧
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シルクロードの分岐点であり、重要なオアシス都市である敦煌。
その敦煌にある莫高窟で20世紀に大量の書物が発掘され、文化人類学上の大発見になるのだが、書物がなぜ莫高窟に保存されていたかは不明。この謎を、史実と創造で描いた歴史作品が本書である。
敦煌と莫高窟に旅行したので読書感想ではないけどメモ
莫高窟は1000年に渡り岩をくり抜き、中に壁画や仏像を構築しているのだが、1000年という長い歳月がかかっている為、窟によって文様などの様式が異なる。政治の強さにもよりチベット式、インド式など様々変わるのだが、これを長きに渡り掘り続ける事ができる財力を持った土地が敦煌であり、シルクロードのもたらした富の大きさを感じた -
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ネタバレ本書によって、2つのことを知った。『殯』と『十一面観音』。
『殯』。本書では、事故で亡くなった娘の死体があがらず、鬼籍に入るまでの期間を指している。あたかも、東日本震災で、死体があがらず行方不明のままになっている状態に似ているといってよいのでしょうか?死んだことを認めることができない状態でしょうか?
事故から7年、事故現場を避け、湖を避けてきたが、琵琶湖を訪ねることとなり、湖畔の秘仏・十一面観音巡りを始めてゆく。
渡岸寺、石道寺、福林寺、赤後寺(人間の苦しみを自分の体一つで引き受けて下さっていたので、あの仏さまはあのような姿になってしまったんだ)、盛安寺、宗正寺と。順番にWebサイトでお寺と十一面観音様を見ながら、巡礼の旅に出たような気分になる。 (下巻へ)
印象的なフレーズは:
★年歳をとると、女もできないし、仕事にも夢がなくなる。寿命も大部分費い果たして先が見えてくる。こうなった時、人間はロマンティックになる。贅沢なことをしたくなる。
★人間の誠意と努力で、運命というものの持つ意味を変える。ちゃんと運命というものに対する人間の働きかけ方をお話になっている
★挽歌というものが、”もがり”の期間に詠まれた追悼歌である
★人間というものは、幸福になるために生まれて来たんではないだろう。不幸になっていいということはないが、幸福というものの予約はない
★そりゃ、君が幸福だからだよ。人間という者は、不幸にぶつかると、いろいろなことを考える。観音様にも、そういう時に出会うんだろうね。 -
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短編集。
井上靖に対しては、同じようなテイストの小説を多産する流行作家のようなイメージを持っているが、氏の「西域もの」はその限りではない。
明らかに他の量産作品群と「西域もの」との間には、クオリティの差が存在している。このテーマに対する著者の没入度の深さが、おそらく異なる。
本編を離れた話だが、山本健吉が解説で次のように書いている。
「人間の行為の意義、無意義を分つものは、人間の意志を超えている。人間の歴史は、結局人間行為の無数の捨石の上に築かれているのだから」。
井上靖の「西域もの」の解説として、これ以上のものはないのではないかと思える。 -
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『しろばんば』『敦煌』『額田女王』『孔子』。
これまでに読んできた井上靖作品は、これが全て。
後白河を取り上げたものがあったのか、と驚きもあって手にした。
ちょうど先日、アンソロジーで『梁塵秘抄』に触れたばかりだったことだし。
源平争乱のあの時代、白河、後鳥羽、崇徳、後白河あたりの天皇家の確執に、摂関家、武家の覇権争いが重なる。
その構図の複雑さに、どうしてもこの時代を扱ったものを避けて通りたくなる。
だから、四つの章の語り手が、平信範、建礼門院中納言(健御前)、吉田経房、九条兼実と移り変わっていくこの小説はの結構は、表現効果の見事さはわかっても、少しつらい。
近づいて来る者たちに心を許さず、自分に離反する時期が来たら切り捨てる。
こうして一人生き延びたのが後白河という帝王だった、というのが、この作品での後白河像だ。
乱世の中、語ることと書き残すことで身を支えてきた貴族社会の人々の無力感を思ってしまった。 -
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『北国』『地中海』『運河』『季節』『遠征路』の五つの詩集と、その後に書かれた著者の詩を収録しています。
著者の詩は、そのほとんどが散文詩であり、宮崎健三の「解説」にも書かれているように、いくつかの詩は著者の小説作品のなかにかたちを変えて取り入れられています。著者も『北国』の「あとがき」で、「私にとっては、これらの文章は、詩というより、非常に便利調法な詩の保存器であり、多少面倒臭い操作を施した詩の覚書である」と述べています。興味深いのは、著者の小説作品の文章から、そのエッセンスを結晶化して詩が生まれたのではなく、逆に本書に収められているような凝縮されたことばから、リーダビリティの高い著者の小説が生まれたということです。著者の小説の文章は、つい何気なく読まされてしまう、といった感じで、ごく自然にその作品世界のなかに読者を招き入れるようなものに感じられるのですが、そうした著者の文章がもつ魅力の一端が、本書に収められた詩を通して垣間見ることができるように思います。
もうひとつ気づいたこととして、著者が西域やヨーロッパに足を運びそこでの感銘をつづった詩編に、ドメスティックな匂いが強く感じられることがあげられるように思います。著者の歴史小説に対しては、そこにえがかれているのはどこまでも近代人にすぎないという大岡昇平や呉智英らの批判があることはよく知られており、わたくしもそうした見かたにかなり同調していたのですが、むしろ現代日本人らしい大時代的な大陸へのロマン的なあこがれを臆面もなく語っているところに、現代日本という場に根ざした著者の作品世界の魅力を見るべきなのかもしれないという気もします。 -
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井上靖の作品で、中学生か高校生の時に読んだものは『額田女王』と『黒い蝶』。それ以来読んでいなかった。歴史的作品を多く書く、品の良い作家というイメージだった。先日、『しろばんば』を読み、イメージが少し変わり、親近感が増して、『しろばんば』の世界をもっと知りたくなって手に取った。
湯ヶ島での、おかのお婆さんとの暮らしについて書いているところが、やはり一番面白かった。エッセイなので、『しろばんば』のようにその世界に引き込まれることはなく、お婆さんの語り口も現代風で情感はないけれど、『しろばんば』の背景を色々と知ることができた。
「…わが儘いっぱいに振舞ってはいたが、家庭で育つのと異って、甘えというものはなかったと思う。おかのお婆さんの方も、盲愛と言っていい愛情を注いではいたが、血の繋がりから来るどろどろしたものはなかった筈である。祖母と孫の関係ではなく、世の男女の愛の形のようなものが、私とおかのお婆さんの間には置かれていたのではないかと思う。」
「私は今でも、おかのお婆さんの墓石の前に立つと、祖母の墓に詣でている気持ではなく、遠い昔の愛人の墓の前に立っている気持である。ずいぶん愛されたが、幾らかはこちらも苦労した、そんな感慨である。」(233頁)
青年期以降は、随分と、のりしろの多い生活を送っていたようだ。こののりしろこそ、後に数々の優れた作品を生み出した作家の源泉となったのだろう。 -
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二千五百年前、春秋末期の乱世に生きた孔子の人間像を描く歴史小説。
『論語』に収められた孔子の詞はどのような背景を持って生まれてきたのか。十四年にも亘る亡命・遊説の旅は、何を目的にしていたのか。
孔子と弟子たちが戦乱の中原を放浪する姿を、架空の弟子・蔫薑が語る形で、独自の解釈を与えてゆく。
孔子サマといえば論語、春秋時代の代表的な思想家ですが、実はあまり好きでなないのです。
たしかに理想は大事だけど、理想だけをふりかざしていては、戦乱の世の中を渡っていけないという思いが強くあり、その理想を他の人に押し付けるかのように思ってしまう・・・・・
「晏子」の晏嬰が斉君を補佐していたころ、孔子が訪れたとのことですが、晏嬰は孔子が説く理想を君主が実践できないことを理解していたので、孔子は斉での仕官をあきらめました。
本書は孔子の架空の弟子である・蔫薑が語る形で物語が進められており、孔子サマの生々しい部分は避けて通れますが、それだけにあっさりとしすぎているというか。
孔子サマについて本格的に知りたくなったら「論語」でも読みます。