竹内好のレビュー一覧
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岩波文庫
魯迅 「 吶喊 」 解説 竹内好
愚民の精神を改造するには、医学でなく文芸だと宣言した「自序」に始まる短編集。苦労人 魯迅の雄叫びと皮肉といったところ
儒教道徳が人を生きづらくすることを人喰いに喩えた「 狂人日記 」〜ラストシーンは、仁義道徳をまだ知らない子供に将来を託したということか?
奴隷根性の世界を描いた代表作「 阿Q正伝 」〜ラストシーンは、自序の「具弱な国民は〜どんなに頑強であっても〜見せしめの材料と、その見物人になるだけだ」を意味?
政治的な意図を持つ啓蒙小説なので、対立は匂わせるだけで、抵抗を煽るレジタンス文学というより、寂寞を憂い、民心改造を強調している
「髪の話」の「すべてを忘れるのが幸福なんだ。自由とか平等とか、そんな言葉をおぼえさせると、一生苦しみの種だ」が奴隷根性だと思う
「故郷」思うに希望とは〜それは地上の道のようなものである。もともと地上に道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ
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おまえ(祖国フィリピン)は社会的な病に苦しんでいる。わたしはみずからの自尊心さえ犠牲にして、ベールに隠された(病に苦しむ)おまえの姿を明らかにしよう。わたしもおまえの子として、おまえの欠点と弱点のために苦しまなければならない。ホセ・リサールRizal『ノリ・メ・タンヘレ』1887
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阿Q。日雇い労働者。自尊心が強い。強者には媚びへつらい、弱者には威張り散らす。強者の理不尽には理屈をつけて自分を慰める「精神勝利法」。都合の悪いことはなかったことにする「忘却術」。ちっぽけな自尊心を癒している。無知と無自覚。中国民衆に蔓延した情けない道徳観(奴隷根性)を変えなければならない。魯迅『阿Q正伝』1922
女の天性には母性と娘性とがあるが、妻性はない。妻性は無理に作られたもので、母性と娘性との混合でしかない。魯迅『而已集 小雑感』
絶望は虚妄である。希望がそうであるように。魯迅『野草』1927
*魯迅Lu Xun(ルー・シュン)。日本へ留学(1902)。(現)東北大学医学部で藤野教授に医学を学ぶ。魯迅「中国人は日本人の誠実さ・真面目さを学ばなければならない」▼同胞が公開処刑されるのを好奇の目でみる中国民衆に衝撃を受ける。文学で民衆の精神を変えようとした。 -
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多分大多数の人と同じく、教科書で「故郷」を読んだだけで大人になってしまったのだが、名作をきちんと読みたいと思うようになり、読んでみた。やっぱり魯迅は竹内好、と昔買ってほったらかしていた岩波文庫を読む。
原題は『吶喊』。はじめの「自序」で、魯迅が文学を志し、この短編集を書くに至った理由が綴られている。父が闘病中、名医と言われていた漢方医にかかり、高価な薬(三年霜にあたった砂糖きび、つがいのコーロギなど、)を処方された挙句死んでしまい、「漢方医というものは意識するとしないとにかかわらず一種の騙りに過ぎない」と西洋医学を学ぼうとするが、仙台の医学専門学校に留学した時、ロシアのスパイの容疑で斬首される中国人と、その様子を見る野次馬の中国人のスライドを見せられ、「医学などは肝要ではない、と考えるようになった。愚弱な国民は、たとい体格がよく、どんなに頑強であっても、せいぜいくだらぬ見せしめの材料と、その見物人になるだけだ。病気したり死んだりする人間がたとい多かろうと、そんなことは不幸とまではいえぬのだ。むしろわれわれの最初に果すべき任務は、かれらの精神を改造することだ。」と考えるに至る。
その思いが一番よく表れているのが「阿Q正伝」である。この本の中で一番長い。最底辺に生きながら、自分の中で理屈をつけてプライド高く生きる愚かな男阿Q。その死に方は、魯迅の憤りを伝える。お前たちは阿Qと何の違いもないのだぞ、ここまで書けばわかるだろう、という。
しかし、本当に名作なのは「孔乙己」ではないかと思う。「故郷」もそうだが、ここには憐れみとやさしさがある。ユーモアは阿Qにもあるが。その他「薬」「小さな出来事」「端午の季節」なども良い。これを読むと、魯迅が作家として優れていることがよくわかる。
名作はやはり読む価値ありと思える一冊だった。 -
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わたしは阿Q正伝を読んでわたしもまた阿Qだと思ったが、阿Qは阿Q正伝を読んでも己を阿Qだと思うことはないのだろう。
装飾と情緒を削いでなおふくらみと余韻のある、魯迅の文章は好みだ。
訳が良かった、日本語として好きな文章だった。竹内好訳。肌触りがしっとりさらりとしていて、心地良い。
とても陰鬱な色調の話で始まって戦慄いたのだが、行きつ戻りつだんだんとほの明るい色調になった。
昼の明るさではなく月のささやかな光。最初のどうしようもないどん底の絶望を読まねば、この明るさをさほどに感じなかったと思う。
話の配置の良い短編集。
最初の狂人日記の食事がすげーまずそうなのに、最後の村芝居の食事はすげーうまそうなんだよね。空豆を煮ただけなのに! -
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・君主を説得する難しさは、相手の心を読み取った上で、こちらの意見をそれに適応させること、この1点につきるのである。
・昔の聖人である堯・舜・湯・武のとった方法を、現在の世の中でそのまま手本にするものが、新しい時代の新しい聖人に笑われることも、またたしかである。聖人とは昔にとらわれ一定不変の基準に固執する者ではない。聖人とは、現在を問題とし、その解決をはかる者をいうのである。
・「仁義」を行うものに名誉をあたえてはいけない。これに名誉を与えれば功績の妨げとなる。また、学問があるというだけで登用してはいけない。登用すれば方が乱れる。
・修正ができるように気を配って行えば、あまり失敗はしない。
・たびたび面接をしながら、しばらく登用しなければ奸臣たちはさっさと退散する。臣下に対しては、思わぬことを訪ねてみると、相手はごまかすことが出来なくなる。 -
Posted by ブクログ
標題の「阿Q正伝」は、阿Qと呼ばれる名前もはっきり分からない、行状もはっきり分からない、当時(1920年頃)の中国の最底辺で暮らす、家も無い、家族も無い、日雇労働者で稼いだ金は全て飲み代に使ってしまうような男が主人公。
皆から馬鹿にされ、しょっちゅう殴られているのだが、変なプライドがあり、例えば殴られた時でも「息子に殴られたようなものだ」とか「我こそ自分を軽蔑出来る第一任者なり」などと考え、自分を納得させて、殴った相手よりも意気揚々とその場を立ち去る。
しかし、自分よりも見すぼらしい者や女性のことは軽蔑している。
ある時、その町に革命軍がやってきた。その革命軍が町の有力者を怯ませたと聞いて、「革命軍に入るのも悪くないな」と考えるのだが、革命軍側についたのは、町の有力者で、阿Qは革命軍に入れて貰えるどころか、とっととその場を去れと言われる。
結局、無実の罪で、拘束され、それでも見せしめの処刑になる寸前までそのことに気づかず、悲しい最後を遂げる。
これは中国の当時の社会の闇なのか、その当時の世界の流れなのか、それとも負の連鎖で、今のこの日本でもこのようにいつまでも報われない底辺の人がいることに私が気付いていないのか……と哀しくやるせなくなる中篇だった。
他の作品は短編が多く、社会の底辺の悲哀を描いたものが多かった。魯迅は、自序に書いている通り、子供の頃は父親の病気のために、質屋とくすりやに通い詰める、貧しい暮しではあったらしいが、それでも少しは人を雇うような家で、当時の西洋学を学ぶ学校に行き、日本にも留学している。「故郷」という作品では、子供のころ仲良くした使用人の息子と二十年ぶりくらいに出会い、「旦那様」と呼ばれ、彼の暮らしが大変で有ることに距離感を感じてしまう寂しさが書かれていた。
貧しさの経験があり、底辺の人を描きながら、ある程度偉く有名になってしまった自分に矛盾を感じていたのかもしれない。