あらすじ
人が人を食うという妄想にとりつかれた「狂人日記」の「おれ」、貧しい日雇い農民でどんなに馬鹿にされても「精神的勝利法」によって意気軒昂たる阿Q。表題二作とも辛亥革命前後の時代を背景に、妄想者の意識・行動をたどりながら、中国社会の欺瞞性を鋭くえぐり出す。魯迅最初の作品集『吶喊』の全訳。
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阿Q正伝と狂人日記だけ
高校の授業の文学史って全然作品の中身に触れないけど、実際に読んで解説される授業があったとしたら、もっと多くの人が文学に興味持つようになるんだろうな
時代背景知ってると近代文学がもっともっと面白くなる、でも時代背景知ってないと面白くないかも
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学生時代教科書に載ってたいくつかの短編以外も急に気になって、初めて自分から魯迅の一冊を読んだ。
魯迅先生は僕の最も尊敬している人間の1人で、10年前仕事で仙台に行った時も、魯迅がかつて留学した時使っていた教室を見学したり、当時使用していたノート(確か)や成績簿の展示を見たりしたくらい。勉強が嫌いだったので基本的に教科書に載っている文章こそ嫌いになりがちだが、こころから感心していたのは魯迅の文章くらいだった。特に「故郷」は、今回読み返してもほとんど一文も忘れていなくて当時は確か全編暗記してたような気がする。
やはり魯迅先生は偉大な作家だけではなく、筆を武器にして戦う戦士だなぁと改めて感じた。少しずつ他の作品集も読んでいこうと決めた。
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この歳になるまで魯迅を読まずに来てしまったのですが、勿体ぶらずにさっさと読んでおくべきだった。こういう世界であったか、まさに近代文学。著名な表題作のほか、「故郷」のラスト1行が心を打ちました。
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魯迅はJ.ジョイスのダブリナーズを読んでいたのだろうか?ダブリナーズが世に出たのは1915年。一方でこの本に収められた短編のうち最初となる「狂人日記」発表は1918年。
ダブリナーズは短編15編から成り、幼年、思春期、成人、老年といったあらゆる階層のダブリン人を題材とし、人間の欲望や宗教観など、目に見えない人それぞれの精神的な内面について、ダブリン人の日常から切り取り抽象化することで普遍性を描き出そうと試みている。
ジョイスがダブリン人に執着したのは、その底流にダブリン人共通の「パラリシス=知的麻痺」から発散される「腐敗の特殊な臭い」を見出したからだという。
だがジョイスはダブリン人から湧き上がるような鬱々さだけを描きたかったのではない。彼が「エピファニー」と言うところの「言葉や所作が俗悪であっても、その中から突然姿を見せる精神的顕示」に注目し、「美の最高の特質を見出すのは、まさにこのエピファニーにある」と述べている。
一方で、魯迅のこの短編集の多くは、辛亥革命前後の中国民衆の日常的風景が題材にされ、纏足、辮髪、科挙といった旧弊の悪習をはじめとして、民衆の迷信、我欲、現状への盲従などの否定的要素がこれでもかと書かれている。
序文で魯迅は、中国人民の文化的覚醒の必要性を痛切に感じ、この作品集を出したというが、あまりに文化的に停滞した人民の姿(つまり目をそむけたい人間の陰の部分)が次々と出てくるため、「故郷」を読みたくてこの本を手にした人の多くを戸惑わせ、魯迅不信に陥らせるのではと心配さえしてしまう。
中国の精神上の進歩を目指すという序文での強い意志と、民衆のありのままの、ある意味下卑た面の描写と、どちらが魯迅の“本心”かを図りかねていたが、「屈折に満ちた文学」という文字をある時目にして、腑に落ちた。
きれい事や説教じみた、文学的に“整った”作品なら、作家自身はそれで満足なんだろうけど、そんな“お高い”作品が、清濁相持つすべての人心の進歩をもたらすなんて簡単にいくと思えない。そう考えると魯迅の一連の作品は、まるで一見泥だらけの中国人の精神の中に手を突っ込み、そこに埋もれて見えない光源を取り出そうとしているように思える。泥を探って光を掘り出すには、自らが泥にまみれる覚悟がないとできない。魯迅の泥臭いとも思える作品群は、見た目からも魯迅の心情面からも、屈折という言葉が言い得ている。
しかしいくら魯迅が光を抽出しても、読む側が光を光と感じられるだけの“心の鏡”を磨くこと、つまり、真実に対して謙虚で、受け入れるだけの豊かな態度がなければ、見えてこないだろう。出版後90年近くを経たこの作品から、今の私たちは光を感知するだけの心の鏡を持ちえているのだろうか?
まるで阿Qのように他人の尻馬に乗って騒ぎを起こし、そして隣国を罵り否定して満足し、そんな愚かな方法でしか自分の優位性を見出しえない現代人(もちろん中国人の話だけではない!)は今一度、魯迅を精読すべき。そいつらのやっていることの空虚さは、すでに魯迅によって明らかにされている。(2012/10/22)
※以下を参考にしました。
「ダブリン市民」(安藤一郎訳)新潮文庫解説
「新・魯迅のすすめ」(NHK人間講座) 藤井省三著
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・狂人日記…よくこれほど狂人心理を精緻に洞察し入り込めるなあ。「孔乙己」なんか憎めないし勿体ない哀れな人間。こんな人、いる。序章で書かれている寂寞感をまさに感じる作品。「明日」は号泣した。読み終わった時の息苦しさ、本当に現実に宝児が死んでしまった悲しみで打ちひしがれる母親の姿、そこにいる登場人物すべてが自分の世界にぽっと立ち現れ、人物に憑依してしばらく呆然としたり、哀しくて絶叫してしまった。あまりにリアルな描写で呼吸が苦しくなる作品だった。題名は「明日」だ。たとえどんな残酷な現実があろうとも容赦な「く暗夜だけが明日になり変わろうとして静寂の中を疾走し続けるばかり」なのである。
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順序からいうと「狂人日記」が先で「阿Q正伝」が後だ。自序を除いて14篇の短篇集である。
中国社会に蔓延している病根は「馬々虎々」(マーマーフーフー)、一言で言うなら「いい加減」「どうでも良い」といった態度のことだそうだ。魯迅はこれに日本留学中に気が付き、それまでの医学を止め文学に転向し、「馬々虎々」と戦い続けた。
「狂人日記」は中国の封建社会においては、支配者が儒教を利用して人間の肉をも食らうことさえも礼賛するという「礼教食人」という欺瞞を暴露している。魯迅は支配者たちが儒教を単に人民を支配する道具として利用していたに過ぎないことを小説で明らかにした。
「阿Q正伝」は魯迅唯一の中篇小説であり、かつ代表作、しかも最高傑作といわれる。ユーモアに満ちた文体で、この作品が成功した原因の一つはこのユーモアによって調子づいた「従容不迫」(しょうようふはく)の文体にあるそうだ。主人公の阿Qはその文体にピッタリのチャランポランないい加減な男であり、この文体でなければ「馬々虎々」の極め付きのような阿Qを表現することができなかっただろうといわれる。
いい加減な阿Qは気分で革命軍につこうとしたり、でも入れてもらえなかったりで、結局は銃殺刑にされてしまう。それでも村人たちは、銃殺は首切りより面白くないなどと不満をいう。彼らもどうでも良い「馬々虎々」なのだ。
魯迅はこの短篇集全体を通してこの「馬々虎々」を告発したかったのだ。
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当時の中国を描いた作品なので、情勢が分かっていないと読みにくい部分も多々あった。巻末の索引と解説を見ながら読んだ。明るい話は少なく当時の社会の暗い部分をこれでもかと読まされる。それでもどこかしらユーモラスで面白い。
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⚫︎受け取ったメッセージ
無知は最大の罪
⚫︎あらすじ(本概要より転載)
中国の文学者・思想家である魯迅の長編小説。1921年、中国の新聞「晨報」に発表され、注目を集めた長編小説。辛亥革命の時代を生きる阿Qという日雇い労働の男が、ある事件をきっかけに土地を追われ、意味もわからぬまま革命に加担、処殺されるまでを描いた。自尊心が高く無知蒙昧な愚民として典型化された主人公を通して、当時の中国社会の病理を鋭く告発した作品として評価された。特にこの作品を気に入った毛沢東が談話でしばしば引き合いに出したため、魯迅の名声が高まったと言われる。
⚫︎感想
都合の良い方ばかりを信じる人間の習性、何も学ばない人間の行き着く先は、身の破滅。常に広い視野を持とうという姿勢を大事にしなければならない。興味がなかなかわかない、でも大切だと思うことにも、一通り知識は持っていたい。
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1900年代初頭の中国の社会情勢がよく読み取れるような本だった。
中国史には詳しくないが、それでもどのような背景でこの短編・中篇小説が書かれているか、背景が思い浮かぶ描写が所々に見られた。
少し言葉が難しいところもあるが、注釈も書かれているので読み進めやすい本。
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じぶんの書物とその発露のことを吶喊!と言える覚悟よ〜
まあなんてことなく、寂しさから、とか、あることをなんとなく書きました、とか言ってるけどほんとうに心決めてないとできないことよね、かっこいい
文章もかっこいい、逃げてないかんじがある
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清朝末期の貧窮知識人(?)を描き出す短編
■孔乙己
官僚身分であることを示す官服(すでにボロボロになっている)を着てツケで呑む。そのうちツケも通らなくなり…
■風波
村の知識人
本を振りかざして三国志の人物批評をする
“趙七爺は隣村の茂源酒店の主人である。五里四方の内ではたった一人の図抜けた人物で兼ねてなかなかの学者先生である。彼は学問があるのでいささか遺老の臭気がある。
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岩波文庫
魯迅 「 吶喊 」 解説 竹内好
愚民の精神を改造するには、医学でなく文芸だと宣言した「自序」に始まる短編集。苦労人 魯迅の雄叫びと皮肉といったところ
儒教道徳が人を生きづらくすることを人喰いに喩えた「 狂人日記 」〜ラストシーンは、仁義道徳をまだ知らない子供に将来を託したということか?
奴隷根性の世界を描いた代表作「 阿Q正伝 」〜ラストシーンは、自序の「具弱な国民は〜どんなに頑強であっても〜見せしめの材料と、その見物人になるだけだ」を意味?
政治的な意図を持つ啓蒙小説なので、対立は匂わせるだけで、抵抗を煽るレジタンス文学というより、寂寞を憂い、民心改造を強調している
「髪の話」の「すべてを忘れるのが幸福なんだ。自由とか平等とか、そんな言葉をおぼえさせると、一生苦しみの種だ」が奴隷根性だと思う
「故郷」思うに希望とは〜それは地上の道のようなものである。もともと地上に道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ
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おまえ(祖国フィリピン)は社会的な病に苦しんでいる。わたしはみずからの自尊心さえ犠牲にして、ベールに隠された(病に苦しむ)おまえの姿を明らかにしよう。わたしもおまえの子として、おまえの欠点と弱点のために苦しまなければならない。ホセ・リサール『ノリ・メ・タンヘレ』1887
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強者には媚びへつらい、弱者には威張り散らす。強者の理不尽には理屈をつけて自分を慰める精神勝利法。ちっぽけな自尊心を癒している。無知と無自覚。中国民衆に蔓延した情けない道徳観(奴隷根性)を変えなければならない。魯迅『阿Q正伝』1922
女の天性には母性と娘性とがあるが、妻性はない。妻性は無理に作られたもので、母性と娘性との混合でしかない。魯迅『面己集 小雑感』
絶望は虚妄である。希望がそうであるように。魯迅『野草』1927
魯迅。日本へ留学(1902)。(現)東北大学医学部で藤野教授に医学を学ぶ。魯迅「中国人は日本人の誠実さ・真面目さを学ばなければならない」 ▼同胞が公開処刑されるのを好奇の目でみる中国民衆に衝撃を受ける。文学で民衆の精神を変えようとした。
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「故郷」は確か、高校の現代文の授業で読んだ覚えがある。非常に情景描写の美しい短編で、印象的である。特に好みなのは、「孔乙己」。酒場の描写で、映画「紅いコーリャン」のワンシーンを思い出した。それにしても、孔乙己はお人よし過ぎたのだ。
中国事情に疎すぎるため、巻末の注をパラパラとみていると、頁がなかなか進まなくて苦労した。背景知識もある程度ないと、本当の意味では楽しめないのかもしれない。
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多分大多数の人と同じく、教科書で「故郷」を読んだだけで大人になってしまったのだが、名作をきちんと読みたいと思うようになり、読んでみた。やっぱり魯迅は竹内好、と昔買ってほったらかしていた岩波文庫を読む。
原題は『吶喊』。はじめの「自序」で、魯迅が文学を志し、この短編集を書くに至った理由が綴られている。父が闘病中、名医と言われていた漢方医にかかり、高価な薬(三年霜にあたった砂糖きび、つがいのコーロギなど、)を処方された挙句死んでしまい、「漢方医というものは意識するとしないとにかかわらず一種の騙りに過ぎない」と西洋医学を学ぼうとするが、仙台の医学専門学校に留学した時、ロシアのスパイの容疑で斬首される中国人と、その様子を見る野次馬の中国人のスライドを見せられ、「医学などは肝要ではない、と考えるようになった。愚弱な国民は、たとい体格がよく、どんなに頑強であっても、せいぜいくだらぬ見せしめの材料と、その見物人になるだけだ。病気したり死んだりする人間がたとい多かろうと、そんなことは不幸とまではいえぬのだ。むしろわれわれの最初に果すべき任務は、かれらの精神を改造することだ。」と考えるに至る。
その思いが一番よく表れているのが「阿Q正伝」である。この本の中で一番長い。最底辺に生きながら、自分の中で理屈をつけてプライド高く生きる愚かな男阿Q。その死に方は、魯迅の憤りを伝える。お前たちは阿Qと何の違いもないのだぞ、ここまで書けばわかるだろう、という。
しかし、本当に名作なのは「孔乙己」ではないかと思う。「故郷」もそうだが、ここには憐れみとやさしさがある。ユーモアは阿Qにもあるが。その他「薬」「小さな出来事」「端午の季節」なども良い。これを読むと、魯迅が作家として優れていることがよくわかる。
名作はやはり読む価値ありと思える一冊だった。
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国語の教科書で読んだ「故郷」が、妙に印象に残っていたので。
歪んだ倫理やおぞましい迷信を暴露した話は読んでいて背筋が寒くなった。我々の社会はこんな病根を抱えているのだよ、という魯迅の訴えを感じた。
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わたしは阿Q正伝を読んでわたしもまた阿Qだと思ったが、阿Qは阿Q正伝を読んでも己を阿Qだと思うことはないのだろう。
装飾と情緒を削いでなおふくらみと余韻のある、魯迅の文章は好みだ。
訳が良かった、日本語として好きな文章だった。竹内好訳。肌触りがしっとりさらりとしていて、心地良い。
とても陰鬱な色調の話で始まって戦慄いたのだが、行きつ戻りつだんだんとほの明るい色調になった。
昼の明るさではなく月のささやかな光。最初のどうしようもないどん底の絶望を読まねば、この明るさをさほどに感じなかったと思う。
話の配置の良い短編集。
最初の狂人日記の食事がすげーまずそうなのに、最後の村芝居の食事はすげーうまそうなんだよね。空豆を煮ただけなのに!
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今でも、中国では好きな有名人のトップ10には入っているそう(1位はジャッキー・チェン、毛沢東は4位だったか)
辮髪のもつアイデンティティはすごい刺激的。
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短編集。やはり阿Q正伝が心に留まる。
自分の中にも阿Qがいるのではないか?山月記の李徴のような。
「思うに希望とは、もともとあるものともいえぬし、ないものともいえない。それは地上の道のようなものである。もともと地上に道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ。」(99頁、故郷)
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標題の「阿Q正伝」は、阿Qと呼ばれる名前もはっきり分からない、行状もはっきり分からない、当時(1920年頃)の中国の最底辺で暮らす、家も無い、家族も無い、日雇労働者で稼いだ金は全て飲み代に使ってしまうような男が主人公。
皆から馬鹿にされ、しょっちゅう殴られているのだが、変なプライドがあり、例えば殴られた時でも「息子に殴られたようなものだ」とか「我こそ自分を軽蔑出来る第一任者なり」などと考え、自分を納得させて、殴った相手よりも意気揚々とその場を立ち去る。
しかし、自分よりも見すぼらしい者や女性のことは軽蔑している。
ある時、その町に革命軍がやってきた。その革命軍が町の有力者を怯ませたと聞いて、「革命軍に入るのも悪くないな」と考えるのだが、革命軍側についたのは、町の有力者で、阿Qは革命軍に入れて貰えるどころか、とっととその場を去れと言われる。
結局、無実の罪で、拘束され、それでも見せしめの処刑になる寸前までそのことに気づかず、悲しい最後を遂げる。
これは中国の当時の社会の闇なのか、その当時の世界の流れなのか、それとも負の連鎖で、今のこの日本でもこのようにいつまでも報われない底辺の人がいることに私が気付いていないのか……と哀しくやるせなくなる中篇だった。
他の作品は短編が多く、社会の底辺の悲哀を描いたものが多かった。魯迅は、自序に書いている通り、子供の頃は父親の病気のために、質屋とくすりやに通い詰める、貧しい暮しではあったらしいが、それでも少しは人を雇うような家で、当時の西洋学を学ぶ学校に行き、日本にも留学している。「故郷」という作品では、子供のころ仲良くした使用人の息子と二十年ぶりくらいに出会い、「旦那様」と呼ばれ、彼の暮らしが大変で有ることに距離感を感じてしまう寂しさが書かれていた。
貧しさの経験があり、底辺の人を描きながら、ある程度偉く有名になってしまった自分に矛盾を感じていたのかもしれない。
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「それになんとまぬけな死刑囚ではないか。あんなに長いあいだ引き廻されながら、歌ひとつうたえないなんて。これでは歩き損じゃないか、というのだ。」
ちゃんと読んだことなかったけど面白いね。阿Qとそれを取り巻く人々を通じて旧弊な前近代が浮き彫りになる。その一方で、阿Qの死は近代化の波のなかで起こっていて、だから阿Qを殺したのは前近代と近代との相克だとも言える。
Posted by ブクログ
教科書で読んだときも寂しい風と、潮の厳しい香りが立ち昇るような話だったけど、いま読んでも虚しさは変わらず。
可笑しみを湛えた阿Q正伝はなおのこと憐れさが増した。阿Qという男が馬鹿で愛嬌がある分なおのこと……。
どの物語にも下の場所で生きる人たちのどうしようもない運命がざくっと切り取って並べられていて、読んだあとなんだか虚しい。これで奮起できる人間は偉い。
Posted by ブクログ
ほとんどの話が短編だった。
ほんと超短い。10ページくらいで終わるのとか。
短編だけど、ちゃんと内容はある。
岩波はやはり何か読みづらいと感じてしまう。
昔の中国の話で、背景がよくわからないので楽しめないというのもあった。
何か終始あまり読む気ないままサラッと読んでたから、レビューも超適当。
Posted by ブクログ
魯迅の短編集です。魯迅は短編集がほとんどで、唯一の中編小説がこの「阿Q正伝」だそうです。14作品おさめられています。短編はほんとに短くて、10数ページのものがほとんどでした。
内容は全体的に当時の時代背景や登場人物などある程度知らないと難しいです。何度も読み返しつつ、なんとか読んだという感じ。訳注ももちろんありますが、いちいち全部訳注を見るわけではないので;
少しこころに残った作品を紹介します。
「狂人日記」
題名の通り狂人からの視点を描いたもの。周囲が人食いとし、自分も食われる恐怖を感じ、さらに自らも人食いをおかしてきたと自覚し絶望する。ふと、映画の「The sixth sense」を思い浮かべました。
「阿Q正伝」
中国の最下層の人物「阿Q」の話。当時の中国社会を描いている。
「故郷」
魯迅が北京に引っ越すときのことが題材となっているようです。高校の国語の教科書にあったのを思い出しました。整った作品でこの中では読みやすいもののひとつでした。
「あひるの喜劇」
それまでとは雰囲気が変わって、読みやすかったです。
ロシアの方が日本から追放され北京に住んでいた時に魯迅とともに住んでいたらしく、その時のことが題材になっています。6ページくらいの非常に短いもの。どこかせつない。
最初に自序が書いてありますが、小説を読んだ後にも自序を読むといいかなぁと思います。
Posted by ブクログ
もっと劇的な凄味のある物語を期待していたのだが、肩すかしを喰らった感じ。辮髪は17世紀に満州族が中国へ侵入し、明朝を倒して清朝を樹てたとき 、この風俗を恭順の印として道士と僧侶を除く漢族の男子全部に強制したものであるという事実を初めて知った。
Posted by ブクログ
故郷なつかしいな~中学の教科書に載っていた以来。背景知識不足のためそこまで楽しめなかったけど、その時代の中国人を痛烈に批判していることはわかった。髪の話とか面白い。