竹内好のレビュー一覧
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学生時代教科書に載ってたいくつかの短編以外も急に気になって、初めて自分から魯迅の一冊を読んだ。
魯迅先生は僕の最も尊敬している人間の1人で、10年前仕事で仙台に行った時も、魯迅がかつて留学した時使っていた教室を見学したり、当時使用していたノート(確か)や成績簿の展示を見たりしたくらい。勉強が嫌いだったので基本的に教科書に載っている文章こそ嫌いになりがちだが、こころから感心していたのは魯迅の文章くらいだった。特に「故郷」は、今回読み返してもほとんど一文も忘れていなくて当時は確か全編暗記してたような気がする。
やはり魯迅先生は偉大な作家だけではなく、筆を武器にして戦う戦士だなぁと改めて感じた。少しずつ他の作品集も読んでいこうと決めた。 -
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いわゆる、武経七書を1つの文庫にまとめたもの。
孫子、呉子は、全訳、それ以外の、尉繚子、六韜、三略、司馬法、李衛公問対は、抄訳。それと、1972年に山東省銀雀山漢墓から発見された孫臏兵法(抄訳)が付記されています。
冒頭に置かれた解題が書全体を解説し、それぞれの書には、日本語訳、原文と、原文に対しての読み下し文がついています。
武経七書を日本語訳で通読するという意味(若干の解説はあります)ではおすすめ、1つの文庫にまとめられていてコンパクトです。読み直される方にも可。それぞれの内容、時代背景(史記との関連)等を含めて深く理解されたい方は、それぞれの単独の解説書を当たられたらよろしいかとおもいます。
解題には以下が述べられています。
「これらの兵書に共通しているのは、単なる戦争技術の書ではないことである。
”武”を説いているが、その底に流れるものは、思想であり、人間の分析である。」
これらの兵書が千年の時を超えて現代に残った理由であり、結論かと思います。
孫呉で、有名な格言(ことば)は以下。
孫子
兵は国の大事なり
兵は詭道なり
兵は拙速を聞く
百戦百勝は善の善なるものにあらず
彼を知り己を知れば百戦危うからず
勝ち易きに勝つ
まず勝ちて後に戦う
風林火山
始めは処女のごとく終わりは脱兎のごとし
呉子
まず和してしかる後に大事をなす
戦いて勝つは易く守りて勝つは難し
及ぶ者なきを憂う
人をして戦いを軽しとせしむ、
死を必ずすればすなわち生き、生を幸すればすなわち死す
目次は、以下の通りです。
解題
孫子
1 始計
2 作戦
3 謀攻
4 軍形
5 兵勢
6 虚実
7 軍争
8 九変
9 行軍
10 地形
11 九地
12 火攻
13 用間
呉子
1 図国
2 料敵
3 治兵
4 論将
5 応変
6 励士
尉繚子
1 天官
2 兵談
3 制談
4 戦威
5 攻権
6 守権
7 十二陵
8 武議
六韜
三略
司馬法
李衛公問対
「付」孫臏兵法 -
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魯迅はJ.ジョイスのダブリナーズを読んでいたのだろうか?ダブリナーズが世に出たのは1915年。一方でこの本に収められた短編のうち最初となる「狂人日記」発表は1918年。
ダブリナーズは短編15編から成り、幼年、思春期、成人、老年といったあらゆる階層のダブリン人を題材とし、人間の欲望や宗教観など、目に見えない人それぞれの精神的な内面について、ダブリン人の日常から切り取り抽象化することで普遍性を描き出そうと試みている。
ジョイスがダブリン人に執着したのは、その底流にダブリン人共通の「パラリシス=知的麻痺」から発散される「腐敗の特殊な臭い」を見出したからだという。
だがジョイスはダブリン人から湧き上がるような鬱々さだけを描きたかったのではない。彼が「エピファニー」と言うところの「言葉や所作が俗悪であっても、その中から突然姿を見せる精神的顕示」に注目し、「美の最高の特質を見出すのは、まさにこのエピファニーにある」と述べている。
一方で、魯迅のこの短編集の多くは、辛亥革命前後の中国民衆の日常的風景が題材にされ、纏足、辮髪、科挙といった旧弊の悪習をはじめとして、民衆の迷信、我欲、現状への盲従などの否定的要素がこれでもかと書かれている。
序文で魯迅は、中国人民の文化的覚醒の必要性を痛切に感じ、この作品集を出したというが、あまりに文化的に停滞した人民の姿(つまり目をそむけたい人間の陰の部分)が次々と出てくるため、「故郷」を読みたくてこの本を手にした人の多くを戸惑わせ、魯迅不信に陥らせるのではと心配さえしてしまう。
中国の精神上の進歩を目指すという序文での強い意志と、民衆のありのままの、ある意味下卑た面の描写と、どちらが魯迅の“本心”かを図りかねていたが、「屈折に満ちた文学」という文字をある時目にして、腑に落ちた。
きれい事や説教じみた、文学的に“整った”作品なら、作家自身はそれで満足なんだろうけど、そんな“お高い”作品が、清濁相持つすべての人心の進歩をもたらすなんて簡単にいくと思えない。そう考えると魯迅の一連の作品は、まるで一見泥だらけの中国人の精神の中に手を突っ込み、そこに埋もれて見えない光源を取り出そうとしているように思える。泥を探って光を掘り出すには、自らが泥にまみれる覚悟がないとできない。魯迅の泥臭いとも思える作品群は、見た目からも魯迅の心情面からも、屈折という言葉が言い得ている。
しかしいくら魯迅が光を抽出しても、読む側が光を光と感じられるだけの“心の鏡”を磨くこと、つまり、真実に対して謙虚で、受け入れるだけの豊かな態度がなければ、見えてこないだろう。出版後90年近くを経たこの作品から、今の私たちは光を感知するだけの心の鏡を持ちえているのだろうか?
まるで阿Qのように他人の尻馬に乗って騒ぎを起こし、そして隣国を罵り否定して満足し、そんな愚かな方法でしか自分の優位性を見出しえない現代人(もちろん中国人の話だけではない!)は今一度、魯迅を精読すべき。そいつらのやっていることの空虚さは、すでに魯迅によって明らかにされている。(2012/10/22)
※以下を参考にしました。
「ダブリン市民」(安藤一郎訳)新潮文庫解説
「新・魯迅のすすめ」(NHK人間講座) 藤井省三著 -
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・狂人日記…よくこれほど狂人心理を精緻に洞察し入り込めるなあ。「孔乙己」なんか憎めないし勿体ない哀れな人間。こんな人、いる。序章で書かれている寂寞感をまさに感じる作品。「明日」は号泣した。読み終わった時の息苦しさ、本当に現実に宝児が死んでしまった悲しみで打ちひしがれる母親の姿、そこにいる登場人物すべてが自分の世界にぽっと立ち現れ、人物に憑依してしばらく呆然としたり、哀しくて絶叫してしまった。あまりにリアルな描写で呼吸が苦しくなる作品だった。題名は「明日」だ。たとえどんな残酷な現実があろうとも容赦な「く暗夜だけが明日になり変わろうとして静寂の中を疾走し続けるばかり」なのである。
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順序からいうと「狂人日記」が先で「阿Q正伝」が後だ。自序を除いて14篇の短篇集である。
中国社会に蔓延している病根は「馬々虎々」(マーマーフーフー)、一言で言うなら「いい加減」「どうでも良い」といった態度のことだそうだ。魯迅はこれに日本留学中に気が付き、それまでの医学を止め文学に転向し、「馬々虎々」と戦い続けた。
「狂人日記」は中国の封建社会においては、支配者が儒教を利用して人間の肉をも食らうことさえも礼賛するという「礼教食人」という欺瞞を暴露している。魯迅は支配者たちが儒教を単に人民を支配する道具として利用していたに過ぎないことを小説で明らかにした。
「阿Q正伝」は魯迅唯一の中篇小説であり、かつ代表作、しかも最高傑作といわれる。ユーモアに満ちた文体で、この作品が成功した原因の一つはこのユーモアによって調子づいた「従容不迫」(しょうようふはく)の文体にあるそうだ。主人公の阿Qはその文体にピッタリのチャランポランないい加減な男であり、この文体でなければ「馬々虎々」の極め付きのような阿Qを表現することができなかっただろうといわれる。
いい加減な阿Qは気分で革命軍につこうとしたり、でも入れてもらえなかったりで、結局は銃殺刑にされてしまう。それでも村人たちは、銃殺は首切りより面白くないなどと不満をいう。彼らもどうでも良い「馬々虎々」なのだ。
魯迅はこの短篇集全体を通してこの「馬々虎々」を告発したかったのだ。 -
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これまで、
『老子』『孫子』『論語』『荘子』と読んできて、5冊目の中国思想本。
・法治国家と守らせる側のモラル
前提として、この人は人間を、「利害で生きるもの」としている。
つまり、
利益があればそれをやるし、
害があると思えばやらない、というのが人間だということ。
だから、
「いいことをした人にはご褒美をあげる」
「悪いことをした人にはバツを与える」
というきまりごと(法)をしっかり整備すれば国家は治まるとしている(法治国家)。
それと同時に、守らせる側の責任を説いている。
例えば、
規定の手続きを踏まずにやってきた王子の馬車を通さなかった門番を王子が罰せよと父(王)に求めるが、王は罰するどころかその門番を褒めている。
法で国家を治めていく以上、何人たりとも法にそむくことは許されないということだ。
・公の利害と個人的利害は相容れない。
これに関係するエピソードがどれもなかなか面白い。
1つエピソードを上げる。
ある役人は、重要ポストへの人材登用について相談されて、自分のライバルの息子を挙げた。そして、別のポストについては、自分の息子を推挙した。
全ては才能に応じ、仇敵だろうが避けず、身内だろうと遠慮はしない。私的な怨恨などは公のことにあたる場合には考えてはいけないということ。
省みると、今の日本では私怨の下に人が積極的に集まる。それで損していることも多々あるだろう。自戒を込めて。
・アドバイスは難しい。
営業にもかかわってくる話。
相手が何を求めているのか。
「これがほしい」と言っている相手に対しては該当するものを挙げればよろしいかもしれないが、それでもうまくいかない時もある。「何がほしいの?」と問うても明確な答えが得られない場合はなおさら。
「これがほしい」という言葉を表のニーズとする。こういう相手には「これ」を挙げればいいのだが、必ずしも受け手にとってしっくりこない事態が出てくる。
なぜだろう。
(少し韓非子からは離れるが・・・)
それは「"裏"ニーズ」に沿ってないから。
相手が何か欲しがる以上、それには事情がある。それをさりげなく聞いていくことによって、「それを得て何がしたいのか」という情報を得られるこれが真のニーズ。裏ニーズだ。
それさえ得られれば、規模・質ともに一番適したものを相手に与えることができる。
話を戻すが、
韓非子が言うには、アドバイスする時には、相手の表面的な要求だけでなくて、それに隠された相手の思い(裏ニーズ)を汲んでやれ、ということだそうだ。
当時のことを考えると、相手が君主だろうから、変な詮索すると文字通り首が飛ぶことになりかねないが、今の世であればそこまでのことはない・・・だろうから、遠慮せず相手の本当の思いを聞いてみてもいいのかもしれない。
とはいえ実際にやるのは簡単じゃない(相手の警戒心解かないと聞けないし)。裏ニーズを察することができる人って本当、営業マスターなのかも。
他にも、人材登用の時の注意点、部下に対する評価の仕方、「亡国の49カ条」など、興味深いことがたくさん書かれている、面白い本だった。
最後に、「亡国の49カ条」の中から3つ取り上げたい。FBにはもう書きましたが。この49カ条に書かれていることが起きたら、国が滅びる前兆なのだそう。
・部下の権威が上司よりも大きくなる
・リーダーが、独善的で協調性がなく、諫言されればむきになる。自信満々だが国のことなんか考えてない。
・リーダーが、臆病で信念が貫けない。
この本が書かれてから約2300年。
悪い意味で国の本質は変わってないのかもしれない。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ⚫︎受け取ったメッセージ
無知は最大の罪
⚫︎あらすじ(本概要より転載)
中国の文学者・思想家である魯迅の長編小説。1921年、中国の新聞「晨報」に発表され、注目を集めた長編小説。辛亥革命の時代を生きる阿Qという日雇い労働の男が、ある事件をきっかけに土地を追われ、意味もわからぬまま革命に加担、処殺されるまでを描いた。自尊心が高く無知蒙昧な愚民として典型化された主人公を通して、当時の中国社会の病理を鋭く告発した作品として評価された。特にこの作品を気に入った毛沢東が談話でしばしば引き合いに出したため、魯迅の名声が高まったと言われる。
⚫︎感想
都合の良い方ばかりを信じる人間の習性、何も学ばない人間の行き着く先は、身の破滅。常に広い視野を持とうという姿勢を大事にしなければならない。興味がなかなかわかない、でも大切だと思うことにも、一通り知識は持っていたい。