安能務のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
テレビの特撮モノを小説で読んでいるみたい…と思いました。
奇想天外な妖術、武器、防具がたくさん出てきて、
血で血を洗う?というか、とにかく封神されるために人がたくさん死んでいきます。
これが口承で伝えられてきたのだとしたら、確かにエキサイティングで、例えば幼い天祥が敵将を倒すシーンなどはやんやの喝采が起こるのかもしれないなぁなどと想像してみました。
面白いのは、悪政を行った結果叛逆軍に倒される王が、最後は立派で堂々とした武人として描かれているのに対し、新王はいまいち優柔不断で魅力の薄い人物に描かれているところ。
新しい世になったらなったで、民衆の不満はなくならないということなのでしょうかね。 -
Posted by ブクログ
著者独自の政治学的視点で、儒者の描く表面上の歴史の下に隠された権謀術数の場としての歴史に迫る。
中篇では三国志の時代を語る。
○勝負はそれを避けることができず、しかも時の運に任せるわけにもいかないとすれば、残された選択は―「戦わずして勝つ」手を編み出すか、それとも「戦えば必ず勝つ」条件を整えるかの、いずれかしかないことになる。
→残業ゼロ論で著名なで吉越浩一郎氏などのいう、決断を迫られる状況をつくってしまった時点でマネジメントは失敗だ、という認識につながるもの。
○この世には時として、そうしようもないことがある。その時には無理してドタバタするより、何もしないほうがよろしい。「なにもし -
Posted by ブクログ
元は紀元前の商周革命に神怪的な要素を加味して作られた文学作品であり、古くから芝居や講談の題材として扱われ、中国民衆の間で広まった。
中国の一般の人々の道教の神々に関する知識は、この書を元にしていることが多い。(ウィキペディアより抜粋)
上巻は、当初は名君と呼ばれるも、妲己に扮した狐狸精にたぶらかされて酒池肉林にふける紂王が、諌言する忠臣を次々と処刑していくという話がメインで、紂王討伐のために周が建国され、軍師に太公望を迎えるという所辺りまで。
紂王の幼少期のエピソードから妲己の登場辺りまでは、展開がリズミカルなのでスラスラ読めました。一方、それ以降は紂王と妲己が暴走、それを諌めた中心が怒り -
Posted by ブクログ
中巻では、太公望を軍師として迎えた周が、紂王討伐のために軍を興して、敵方を蹴散らしていきます。仙界の闡教と截教の抗争が下界の戦いで顕在化し、様々な仙人たちが太公望一行あるいはその敵方に加勢。仙人含め人がばったばったと死んでいきます。あまりに多くの人が出てきてはすぐやられて「魂魄が封神台に向かっていく」ため、登場人物は覚えられず、感情移入もできないまま、読み進めてしまってます。一瞬にして状況を覆してしまう宝貝の存在にも未だ馴染めず。宝貝を持たないのに随所で活躍している武吉と子供らしい言動で場を和ませる黄天祥が個人的に好きです。頑張れ人間。
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Posted by ブクログ
まだ、上巻を読んだだけではありますが、微妙…。
最近とても思うのは、こういう中華思想というか、なんというか
こういうものが私には受け入れられないらしい、という。
あっさり残酷なことはやるし、さっくり殺されちゃうし
いくらなんでも、もっとそれを止めたりとかはしないものなの?っていう。
結局今のところ、妲妃やりたい放題。
紂王も微妙。
太公望も大して活躍せず。
昔話はえてして残酷なもの、という納得の仕方でいいんでしょうか?
もっとこう、偉い人とか神様とか仙人がいるのなら、
無実の罪で拷問される人を助けたりとか、できないものなのでしょうか。
残酷なのがどうにもこうにも。
真剣に読んでいると具合 -
Posted by ブクログ
やっと読み終わりました。長い道のりでした。精神的に。
面白かった、と言えば、まあ確かに面白かった。
ねたばれ。
天化が死んでしまったときに物凄く悲しかったのですが、
なんと天祥まで!じゃんじゃん人が死ぬ。
妊婦は殺され親子は足を折られる。
そういうあっさり残虐非道なところ、
如何にも中国の物語って感じがします。
紂王がやっぱり可哀想。
本人が全面的に悪いわけではないのに。
それと、確かに三妖の言うことにも一理ある。
確かに物凄くひどかったけど。ひどいことしまくってたけど。
やれと言われてその手段だったんだしなあと思うと、ちょっぴり不憫。
本当の正義なら、妖怪をとめてやめさせるだろ