斎藤兆史のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
2000年の刊行なのに、(著者の一人ノリツッコミを除けば)古臭さを感じない。完全ド正論の英語学習本と言える。
帰国子女でもないのに、英語ネイティブも舌を巻くほどの英語力を身に付けた、近現代の偉人たちを特集。英語教師でもある著者の学習論も交えており、今回沢山メモを取らせていただいた。
思えば教材が満足に揃っていなかった時代。原書を必死に読み込んだり自ら師匠を探したりと、今以上に苦労が絶えなかったのは確かだ。しかしその分、10名とも質の良い英語をものにしたと自分は見ている。
著者曰く、ネイティブから「貴方の英語は上手だ」と言われているうちはまだ初歩の段階にあって、上達するにつれて何も言われなくなるらしい…。
今まで逆だと思っていたし、その理論でいくと偉人たちは、最終的に何も言われなくなっていることになる。
刊行時以来、実用英会話(いわゆる「生きた英語」)がもてはやされる風潮は変わっていない。しかし英語の成り立ちや構成・文法といった土台を外しても、英語を使いこなせていると言えるのだろうか。
この問いに少しでも引っかかった方は、彼らの英語人生で答えを見出していただきたい。
新渡戸稲造(国際連盟事務局次長)、岡倉天心(美術思想家)、斉藤秀三郎(英学者)、鈴木大拙(仏教学者)、幣原喜重郎(第44代 内閣総理大臣)、野口英世(細菌学者)、斎藤博(外交官)、岩崎民平(英学者)、西脇順三郎(詩人)、白州次郎(実業家)。
こうやって書き出してみると、職業に結構なバラつきが見られる。でも忘れてはならないのが、全員英語の達人であること。誰がどう凄いのか、素人目線では全然見分けがつかないというのが正直な感想である。
英語とは縁のなさそうな鈴木大拙は禅を世界に広めた立役者だし、斉藤秀三郎は一度も日本を出た事がないのに、立派な英辞書や文法書を編纂している。
そして、白州次郎のラスボス感…!笑 前の9名と比べてガリ勉の印象はなかったものの、人間関係でキングズ・イングリッシュを磨き上げ、戦後GHQと渡り合った。GHQ(アメリカ英語)への手紙に、堂々と英詩の表現を挟んでいたのにはゾクっとしたなー…。
「ああしろ、こうしろと口やかましく言わず、相手がそのまま模倣してよいような生活をする。これは、語学の学習にそのまま通ずる心掛けと言えましょう」(第7章 岩崎民平)
英語はコミュニケーション・ツールの一つに過ぎないが、それを極めるというのは、自分と一体化することに等しいのかなと思う。
斉藤秀三郎には、特に感銘を受けた。ある時は「てめえたちの英語はなっちゃいねえ」と、イギリス人役者に英語で一喝した。またある時は、「あなたのシステムで英語を研究すればどんな本が読めるようになるのか」という質問に対して、「あなたはどんな本を読みたいのか」と返した。
日本語の時と変わらず自分の言葉で訴えたい内容を伝え、難易度よりも自分が読みたいかどうかを優先する。
土台から学んできた英語が、自分と一体化していく…。これぞまさに、「生きた英語」ではないか? -
Posted by ブクログ
二人の対談が興味深かった。大学入試への民間試験導入については、採点基準、採点者の確保、受験生の試験費用負担など、平等の観点から疑問であると主張する。そして、何より、スピーキング能力を試験で測れるのかと疑問を呈し、4技能礼賛の間違いを丁寧に説明している。特に、母国語と外国語の習得過程の違いから、スピーキング重視の英語教育の間違いを指摘しているところは、納得のいくものだった。改めて、文法や読解の大切さを認識し、今までの英語の学習に自信を持つことができた。また、学習塾で英語を教えているが、4技能万能の空気に怯まず、文法、読解の重要性を継続して指導していこうと思った。学校、塾の先生だけでなく、英語に興味ある人におすすめです。
-
Posted by ブクログ
再読。斎藤兆史先生の本はこれまで新書で4冊読んできた。英語達人の本、英語達人になる本、教養についての本、努力についての本、今回紹介する本はまたも英語達人になる本である。そして、忘れていたがとても大事なことが書かれていて、ハッと目が覚めた。やはり簡単に出来る事を謳うことは王道とはかけ離れているということ。
最近次の3つの方法を知る。
①このブログの第9話「快諾100万語!」では洋書を読むのに辞書を引かないで、話がわからなくなったら、読むのを止める。②最近のNHKの実践ビジネス英語では、英文のポイントとなる英単語は調べて、それ以外のわからない語を調べていると切りがない。③本作は英文学で、わからない英単語は片っ端から辞書を引く。
①は間違った方法のように感じるようになった。
キーワード
王道、三昧、毎日、日本語、精読、多読、語彙力の増強、読解、辞書を引く、ラッセル
下記引用、数字はページ数
3 ・人の営みには基本があり、技芸を成就するための王道がある。しかしながら、基本は単純ながら楽に実践できるものではなく、王道はまっすぐの一本道ながら平坦ではない。そのため、人は時として楽な方策を模索し、(略)といった謡い文句に誘われて迷路に入り込む。ところが、一旦そこに迷い込んでしまうと、王道に戻るのが極めて難しい。結局は最初から苦労してでも王道を歩んだほうが目的地に早く着くことができる。
4英語学習においても、基本は同じ。当たり前の努力をしてもらうほかない。
5「役に立つ」という発想と教養とはむしろ対極にあるものである。
6私の答えはこうである。どうやったら単語が効率よく覚えられるか、と感じているうちは、やり方を工夫したところでさほど語彙力の向上は望めない。覚えるまでとにかくいろいろやってみるという発想で勉強すること。目標から逆算するのである。そしてそれを遂行するには地道な努力をするしかない。
7どうやったら英語が得意になるかと学習法を工夫する段階を脱し、無我夢中で英語学習に没頭する時期を経なければならない。『努力論』で論じた「三昧」の境地を経験する必要があるのだ。その三昧境になる長く留まった者の中から、名人上手と呼ばれる人が出てくる。
9重要なのは「個人個人の好みと力量に合わせて......熱心に毎日行う」ことである。
36・学校で習う英語は(略)基礎の基礎
・日本語を大事にすること
・まずは教養ある日本語の使い手を目指すこと
38教養ある英語を身につけるためには、文学的な文章を多読することが必須の修行法となる。
45辞書を引き引き英文を精読する伝統的な学習法が実用的な英語力の育成に役立たなかった、との誤解があるだろうか
46精読ができるようになれば、いずれそのような読み方もできるようになる。
47・いずれにせよ、辞書を引かずして英語運用のための基礎体力がつくことはまずない
・少なくとも自宅学習用には紙の辞書を勧めることにしている
48読み教材といっても、別に「英文読解」や「英文解釈」に特化した学習書や参考書は買う必要ない。
50・私は、少なくとも最初は受験対策としてラッセルを多読したおかげでだいぶ英語力がついたと思っている
・何度でも読むに値する
・ラッセルの英語のリズムを身につけておけば、どのような英語を学ぶにせよ、その先の伸びがちがう
57毎日かならず稽古を積むことが必要
75・とにかく基礎をしっかり固めて、それが応用できるように訓練を積む。それだけである。
・大事なのが語彙力の増強。
・とにかく知らない単語は片っ端から辞書で調べる。そして、語彙学習を中心的な課業としているときには、調べた内容を単語帳に書き付ける。
100文法・訳読も口頭でのコミュニケーションも、どちらもバランスよく学ばなくてはいけないのである。
101・発音記号も早いうちに覚えておくこと。
・標準的な英語で用いられる音に対応する記号は50個程度、そのうち日本人が苦手な発音に対応するものはせいぜい10個程度である。
・できれば何となく分かる、あるいはすでに内容を確認している音声を流すのがいいだろう。
102・(リスニング教材)を引っ張り出して、部屋の片付けなど、とくに神経を集中して行う必要のない作業をしているときに流しておく。
・英語放送を流して聞き流すのも一法である。
104・ディクテーションはこれはこれで有効な勉強である
・英語学習においては、とにかくいろいろな形で英語を身体に練り込んでいくことが大事
105・私としては、聴解が得意になりたい学習者は、むしろ次に述べる速読練習、さらにはその延長線上にある字幕速読練習にもっと力を入れてほしいと思う。さて、その速読だが、基本的には普通の読解教材を速読するのと同じ要領で行えばよい。
・口語体、音声を書き起こした英文
・できるだけ返り読みをせず、音声を処理するのと同じくらいの速度
107多くの場合、つまずきの原因は、音声処理の失敗というよりも語彙や文法の知識不足
109まずは、教養そのものを身につけるべく、文学をはじめとする教養的な内容の書物を多く読むこと
111もしかしたらすべての技芸について言えることなのではないかと思う。上達すればするほど、肩の力を抜いて全体をゆったりと見渡しつつ、肝腎のところはきっちり決めることができるようようになる。
115教養ある英語の使い手となるためには、英語使用におけるどの技術を伸ばすにしても、とにかく読解が一番の基本となることをしっかり理解しておく必要がある。
155まずは一般的な心がけとして、できるだけ英語を使ったり、英語で考える機会を増やすことである。
161私自身は、文法など最初にしっかり教えてしまったほうが手っ取り早い
182みなそれぞれの時代において最大の努力をしたということ -
Posted by ブクログ
「第一章」をチラチラ見ただけですが、
17ページの「英米の文化的支配を離れた
『国際語(あるいは世界共通語)としての英語』などと言ってはみても」
の段落を読むだけでも、この本は、価値あり、と思えます。
ちゃんと読むのが、非常に楽しみです。
(2013年6月14日)
この本に書いてあることは、「当たり前のこと」です。
「当たり前のこと」を、きちんと書くのが「教養の力」と
感じました。
【夏目漱石と英文学】(47ページから50ページ)
(2013年7月17日)
英語で読まなければ意味がない(160~161ページ)
新渡戸稲造の Bushido, the Soul of Japan
岡倉天心の The Book of Tea
鈴木大拙の Zen and Japanese Culture
日本人の手になる三大英文著作
(2013年7月18日)
読み終えました。この本を、お薦めします。
(2013年7月18日) -
Posted by ブクログ
ネタバレ非常に面白かった。
過去の偉人たちがどう英語を学び、どう英語に対処してきたか
英語の学び方というだけでなく、歴史の勉強にもなる。
また、日本人としてどうあるべきかを考えさせてもくれる。
幣原喜重郎の章に出てくるデニソン氏をはじめ
表舞台に立つことがなかったが、素晴らしい人たちの言動を
知ることができるだけでも素晴らしい本だし
なにより筆者が英語至上主義であることもなく
分野が違うことには自分は門外漢であると潔く言い
自分の目で見たことや経験したことを交えてわかりやすく
きっぱりと書いてくれており、筆者の魅力も感じられる本。
英語を話す日本人は、英語を話しているとき普段と人格まで変わる
という話を聞いたことがあるが
英語を話していても普段と態度が変わらない人こそ
本当の意味で英語を習得した人なのだろうと思った。
日本国内で日本人なのにも関わらず
英語をもてはやしたり、社内の公用語にしたり
「日本人の男はだらしない」などと言う女がいる昨今、
『西洋かぶれになることなく、またその反動として偏狭な国粋主義に陥ることなく』
『日本人として英語を使うことの意味』
を踏まえた上で英語を操れる人間になりたいと思った。
そうなれた暁には是非、着物を来て外国旅行に行きたいものだ。 -
Posted by ブクログ
「日本語力と英語力」
とてもよかった。ぼくが言いたいことを的確に述べています。多くの人に読んでもらいたい。ぜひ。
この本は 本書は、齋藤 孝氏と斎藤 兆史氏の対談本です。
重要なところ,おもしろいところを抜粋したみたらかなりの量になりました。何回かに分けて紹介します。
まず,英会話と英文法について。
(兆史)
ごく簡単に要約すれば、国語教育を充実させよ,英会話ごっこにも似た低劣な早期英語教育を止めさせよ、型の訓練を中心とした骨太教育を実現させよ、ということになろうか。(p5)
( そういうことです。まったく同感。 )
(兆史)
たとえば、For here or to go?という表現を見てみよう。これは主にアメリカのハンバーガー屋の店員が、客が品物を店内で食するか持ち帰るかを確認するために用いるものである。逆に言えば、その状況以外で用いられることはなく、例文としてきわめて発展性に乏しい。第一、前置詞+名詞と to不定詞をorでつなぐ変則的な構文を初学者に理解させるのはほとんど不可能だから、勢いそのまま覚えなさいと指導することになるが、生徒は、「英語圏のハンバーガー屋では、品物を持ち帰るかどうかをFor here or to go?という表現で尋ねてくる」ということ以外、何を学んだことになるのだろうか。こんな表現は、海外旅行者用の会話本にでも載せておけばいいのである。
店員の最後の台詞に現れる Here you are. についても同様のことが言える。これまた、たしかに四十年前の Here is a pen. に比べて実際の会話でよく耳にするが、対面状況で物を差し出す動作を補うだけの表現だから、これを知らなければ対応に困るような状況は皆無だと言っていい。少なくとも、中学1年次に学ぶべき英語ではない。このように系統的に説明のしづらい「実用的」な表現を教えたがるのが、いまの英語教育の悪いところだ。日本語話者の英語習得の順序を読み違えていると言わざるを得ない。( p8〜9 )
( うれしくてたまらない。ぼくがこれまで言ってきたことです。まったく同感。「発展性がない」というのがキーワードでしょう。会話中心ではそれをそのまま覚えるだけ。ほかの表現に発展することがない。文法をきちんと学ぶと,単語を換えることで無数の表現に発展できます )
(兆史)
まして英語シャワーといっても、せいぜいー日にー、二時間、多くて数時間程度でしょう。生まれたときから、英語で話し、英語で考えるという具合に、母語である英語に四六時中触れながら成長する英語話者の人たちとは、まるで状況が違います。ただ英語漬けになればいいというものではなく、日本語話者が英語を学ぶ場合には、日本語話者にふこわしいそれなりの戦略、枠組みがあるはずです。
(孝)
それが、たとえば徹底した型の訓練や、基礎の反復練習ですね。
(p43)
( これもぼくがこれまで言ってきたこと。新聞投稿もしたことがあると思います。さがして掲載したいです。とにかく同感。 )
(孝)
それはたとえて言えば、長嶋茂雄が送球したあとに掌をヒラヒラさせるのを素人が見て、その”掌ヒラヒラ”を真似して野球をするみたいなものですね。長嶋はそれで野球がうまいわけじゃない。たまたま投げたあとにそうなるだけであって。
(兆史)
ところが、”掌ヒラヒラ”ごと教えるのがいまの英語教育なんですよ。
(孝)
基本の形というものは応用範囲が広い。ですから、特殊なケースではなくて、「この文型を覚えておくと、こういう場合にほとんど使えます」というやり方を優先すべきでしょう。(p45)
( 長嶋の掌ヒラヒラに例えるのはおもしろい。)
けれど日本語と英語とはまったく違った語族に属しますし、日本人が英語を自在に使いこなすまでには相当の修練が求められます。その過程で学習する文法や読解がー見機械的な印象を与えることや、多くの人がその段階で英語学習をやめてしまうために、従来の英語教育が意思伝達機能を軽視してきたかのように思われがちなのでしょう。(p46〜47)
( これも同感。日本人にとって英語をマスターするのが難しいということです。車の運転ができるために1ヶ月ほど教習所に行くようなわけにはいかないのです。そこのところを誤解しているから,今の英語教育が悪いということで,文法軽視になってしまう )
(兆史)
コミュニケーション中心主義の英語教育のもと、文法は軽視される傾向にありますが、英語と日本語はまったく異質の言語です。日本人にいちばんあう英語習得法として、まず言葉の骨組みを知る文法の学習は、日本人の英語の学び方に合ったものです。
(孝)
ネイティブではない人間が外国語を学ぶとき、文法は大きな武器になります。その文法が軽視されるのは問題ですね。文法というのは型でしょう。相撲の四股みたいなもので、型を知っていると応用が利くし、効率よく学習できます。それに型や骨組みがわからないで、雰囲気だけで英語を訳すことはできないですよ。話すにしても、文法がめちゃくちゃでは、論理的な会話はできません。(p85)
( 日本人にとって,英語の文法を学ぶことは大きな武器になる,同感です。 )