斎藤兆史のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
出版は少し昔であるが、現在の英語学習にも通ずる確かな提言があると思う。
この本の核となるのは、英語が身につかない焦燥感をぐっとこらえて腰を据えて勉強し続けることだろう。
そのために著者は素読や辞書読みなど、今考えればなかなかにきついようなかつてのやり方に光を当てている。
ゆえに、この本は英語を始めたばかりの初学者や学生ではなく、ちゃんと英文にディテールを出さなければいけない大学院生や外資系ビジネスマンに適していると感じた。
英語達人塾という題名はこの本のヤバさを端的に表している。
初めての人は、関正生「英文法大全」や
竹岡広信「ドラゴンイングリッシュ」がおすすめだ。
しかし、その根底の理論は初学者であれど聞いておくべきところがある。それは、安易な英語学習に走らないということだ。
この本の理論的な部分で繰り返しているテーゼはこれである。
巷では【英語脳を育もう】、【文法は要らないからとにかく喋ろう】、【3か月で完璧にする】などの謳い文句に溢れている。けれどもそれは大きな罠があると作者は常に諭してくれる。ちゃんとした登山道を教えてくれる。その点でこの主張はなかなか優れているのだ。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ『英語達人塾』が面白かったので、英語達人たちの偉業・面白話に興味を持ち、本書を読んだ。
本書は、勉強法云々よりもむしろ偉人伝として抜群に面白い。それは著者が英語学者でありながら日本語の文章がとても上手いからである。ユーモアと修辞に富んでいながら、筆が滑りすぎたり文章がうるさかったりすることは一切ない。岡倉天心の件にもあったが、英語に限らず言語一般に対する高い興味・解像度が英語達人たちには共通しているのだろう。
達人の裏には尋常じゃない努力がある。わたしも地道な努力を弛まず続けなければ、達人はおろか中級者にもなれない——ということを思い知らされた。
勇気づけられるエピソードがあった。第Ⅴ章で幣原喜重郎がイギリスで御者に英語が通じず、「これは英語をやり直さなければならんと考えるようになった」という件だ。というのも私はカフェでバイトしているのだが、外国人のお客さまに簡単な英語の文言(”anything else?”など)が全然聞き取ってもらえないのである。これには自尊心が傷つけられる。だが、そこでしょげかえるのではなく、「やり直そう」という気概を持って発奮した人がいるという事実にわたしは救われる思いがした。わたしも彼と同じように一から発音を学び直そうと思う。ちょうど手元に、関正夫『世界一わかりやすい最後の発音の授業』がある。これが良い教師がわりになることを信じる。 -
Posted by ブクログ
東京大学大学院教授である著者の、英語勉強法の解説書。英語を達人レベルに高めるための心構え、考え方、具体的に取り組む課題などが細かく書かれてます。
「英語が外国語である以上、日々のたゆまぬ反復練習なくして習得はありえない」「日本人にとっての英語はピアノやバレエのように何年も基礎的な訓練を積んではじめて習得できる技術」等々、英語学習のモチベーションキープの一助になる言葉が多く、勉強がマンネリ化した時に読み返すとやる気をもらえます!
ただ具体的課題がハイレベル。高校程度の英文法書の丸暗記、英書を1日平均30ページ読むetc。どちらかといえば英語中上級者向けの本です。 -
Posted by ブクログ
自分のこれまでの英語学習についての考え方をかなり変えさせられた。自分も「日本人が英語が不得意なのは読解と英作文に偏ったこれまでの英語教育のせいだ、と軽々しく発言している経済人や政治家」と同じことを言っていた。小学生のころから簡単な道案内や自己紹介を英語で言えるようにしたとしても、パーティーでネイティブスピーカーと楽しく話し合えるような会話力が身につくわけではない。これまでやってきた中学・高校での英語読解と文法の基礎をしっかりマスターしたうえで、個々人が勉強を継続することしか全く異なる言語である日本語を母語とする我々が上達する道はない、という主張は説得力があった。大学入試に「英語四技能」の導入は不要なばかりか、高校生が読解と文法の勉強にかける時間を減らす点で害悪である。
一昨年引退するまで化学系の研究者だった自分にとって、大学の研究室から企業の研究所時代を通じて英語の文献を読み、英語論文を書く能力が仕事上のパフォーマンスに大きな影響を与えたことは間違いない。一方でオーラルコミュニケーションで十分に仕事ができる研究者は自分も含めてほとんどいなかった。このような国でも科学分野で30人近いノーベル賞受賞者を輩出しているのである。 -
Posted by ブクログ
宇佐美・野口対談『教育と授業』で紹介されていたため読んだ。
本書の発刊は2004年である。この頃の斎藤孝は良い。「意味の含有率」が高い。最近の斎藤孝の本は読む気がしない。
本書は国語のプロ・斎藤孝と英語のプロ・斎藤兆史(よしふみ)の対談である。両者に共通しているのは、「英語は基本から入れ」である。文法と単語、音読の基本から入るべき、また、英語学習を駆動するのは論理力であり国語力であると主張する。
そして、小学校教育に関して、
・「英会話ごっこ」の英語教育はやめるべき
・国語教育の内容を見直すべき(厚くせよ)
と主張する。
ここまで全く同意であり、予想通りの内容であった。
ここからは、本書を通じて知ったこと、気づいたことである。
・文科省は民意(素人の意見)に踊らされている
・しかし、商売は民意を形にした商品がヒットする
・35〜55歳の働き盛りが時代を作る
・その意味で、「団塊の世代」が作ったのが、バブル時代からバブル崩壊までの時代。
・バブル崩壊後の時代を作ったのがいわゆる「団塊ジュニア」の世代。
・人は自由を求めるゆえに、社会は人々の自由度を高めることを、個人は自分の自由度を高めることをするべき。
・それは、社会は人々に選択肢を提供するべきであり、個人は技を修得することである。
・個人の幸福とは成長率であり、個人の自由とは技の数である。
・日本語と英語は語族が全く異なる。
・ゆえに、欧米で確立された英語教育学は、日本人には合わないかもしれない。
学校は「上達の法則」を教える場である、という主張だけ賛同できない。そうであれば、9科目もの科目を教える必要はないし、「上達の法則」を教えるためのメソッドを開発すべきだからである。
以上、学ぶべきところの多い本書であった。
-
Posted by ブクログ
ネタバレ著者によると、「教養」には3つの側面があるとする。
・『学問』や『知識』の側面
・自ら何かを『身につける』『修得する(精神的な成長の過程を含む)』の側面
・学問や知識を身につけることによって備わる『心の豊かさ』『理解力』『品格』の側面
伝統的な(旧制高校的な)「共通知」というべき書物を通じた知識の習得が「教養」の中心に据えるべき必然性もあるものの、サブカルチャーや断片的情報が氾濫する現代で「共通知」は崩壊した。むしろ教養を、質のいい情報を選び取る能力、学習態度(意欲)や学びのあり方と結びついたものと捉える必要がある。
また、知識が豊富であっても「マニア」「オタク」となる場合もある。教養人には、持っている知識や情報を分析し、取捨選択し、比較し、あるいはそれらを関連づけて何らかの結論を引き出すといった知的技術(メタ言語能力)、そして一つの主義信条に固執することなく最終的に最も妥当と考えられる判断を導く能力(バランス感覚:Sense of Proportion)が必要だ。これらが、『心の豊かさ』『理解力』『品格』に導く。
昨今、英語と教養を結びつけ、検定試験対策に特化した教育を行う大学が増えている。浅薄である。教養としての英語を学ぶ価値は、英語を学び、それによって(殊に道徳的色彩濃厚で、宗教的情操濃厚の匂い朗かな)英文学作品に触れることで教養が高まり、そこに描かれた高邁な精神のありようを学ぶことができるという、文化輸入の媒体としての価値にある。これは、東大でこそ主張できるとの誹りは免れないが重要な理念である。
最後に、著者が言うように教養の英訳は、Culture, Education, Cultivation あるいはRefinement である。従ってリベラルアーツ(Liberal Arts: 伝統的には、言語系3学と数学系4科。現代では、言語、数学、社会科学、自然科学の基礎学術)とは元来別のものである。しかし著者は「教養教育なるものは、そもそも施す側に知識/学問としての教養ばかりでなく、それを伝えるための高度な言語能力と論理的思考力が備わっていなければ成立しない営みである」としており、また、大学の教養課程において、「本物」の学問に触れさせる重要性を指摘しているが、このような観点から、教養教育とリベラルアーツとの不可分の関係をみることができる。
それにしても、教養課程をこのような明確な理念と実践をもって運営していた大学が、いったいどれほどあったのだろうか。教養課程部局がほとんどの大学で閉鎖された理由は、ここにもあるのかもしれない。 -
Posted by ブクログ
明治から昭和前期の、日本を代表する英語の使い手たちの英語力の特質を、生い立ちや学習歴の紹介を交えつつ解説した本。
天才の勉強のしかたを凡人たる自分が学んでどうなるのか、とも思わないでもないけれど、やっぱりすさまじい勉強振り。
天才って、何もしなくて出来る人の事ではない!
むしろ、努力を努力とも思わず成し遂げてしまう人のことなんだと、改めて認識した。
新渡戸稲造や岡倉天心、白洲次郎といった人たちについては、これまで他のところでも知る機会はあった。
英語教育会の巨人、齋藤秀三郎や岩崎民平といった、知らなかった人のことを知ることが出来たのもよかった。
でも、一番強烈だったのは、「知っているはず」の野口英世の章。
英語の達人というイメージさえなかったのだけれど・・・強烈な出世欲と自己アピールという側面もあったのね。
苦学して、偏見にも耐えて偉業をなした、立派な人格者―というイメージで語れる人ではなかったのだな、と。