いい。
子供の過ぎ去っていく時をつかまえたいというのは、多くの親の願いに違いない。
ある人は写真魔に、ある人は日記魔になるが、杉山さんはインタビュアーになった。しかも年一回。
この絶妙な特別感が、まずいい。
インタビュイーたる息子さんは、日常から一ミリくらい浮いた気分で、つきあったのだろう。
聞く、聞かれる、つきあってくれよ、つきあってあげるよ、というほんの少しだけ不均衡な関係が、いい。
しかし聞くがわ、何も特別なことを聞き出さない。
あくまでも日常の延長に、ちょっとだけ面白いことが出てきたらめっけもん、くらいの思い。
「子供ならではの視点で」という類書は結構あるが、その中でときどき感じる「無用な特別視の臭み」が、本書には皆無。
それもこれも、インタビュアーの内心がときどき、(あ、要らないことを聞いたかな)とか(この質問は答えにくいね)とか開陳され、ここが実にいいのだ。
たかしも、あきらも、その場そのものも、好きになってしまう。
私も子と話していて、(あ、無駄に教育効果を期待した言い方しちゃったな)とか(あ、困らせちゃったな)とか、たまに思う。が、すぐ忘れてしまう。何度も反省しては忘れて、記憶すら薄れてしまう。
そのうちに子は、得て、失って、変わっていき、それが喜ばしいと同時に寂しい。
いずれ寂しい胸に、子の記憶がポッと灯ってほしいが、その手助けに、この本がなってくれそう。
赤江珠緒が「たまむすび」にて、子に習い事をさせたいとかこうなってほしいとか躍起になってしまう気持ちもあるが、そもそも生まれてきたこと自体が凄いのにそれを忘れてしまっているから、子の将来にプラスになりたいという親の気持ちが、実は子に「おまえはいまマイナスなのだ」という推しつけになってしまう、というアンビバレンスについて語っていたことがある。もっと上手い言い方だったが。
私は明石家さんまって別に好きでもなんでもないが、「生きてるだけで丸儲け」という言葉を教えてくれただけでもありがたい。
また文庫あとがきにて、息子たる隆さんの思春期についての記述もあり、これも実にいいのだ。
私はインドア派の陰性な気質だが、一見陽性に見える人もベクトルは異なれど同種の業を思春期に越えたのだろうと、思った。
この本を読まなければネイチャーガイドなんて仕事を知ることもなかった、というか敢えて避けていた。
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父親が息子に年に1回インタビューをする―3歳から10歳になる子どもの成長をとらえた新鮮な試み。1年ごとに新しい価値観と言葉を獲得していく過程をこれほど豊かに切り取った記録があるだろうか。意表をつく受け答えは驚きと笑いの連続。知る人ぞ知る子育てエッセイが待望の復刊。ちくま文庫化に際し、刊行から20年以上を経て、著者と息子・隆さんの現在と当時を語る「あとがき」を収録。
目次
■はじめに
■Ⅰ 八年間のインタビュー
●1 “三歳の隆さん”神を語る ― 一九八九年六月
●2 “四歳の隆さん”仕事を語る ― 一九九〇年五月
●3 “五歳の隆さん”迷えるときを語る ― 一九九一年六月
●4 “六歳の隆さん”保育園を語る ― 一九九二年六月
●5 “七歳の隆さん”お金を語る ― 一九九三年六月
●6 “八歳の隆さん”スポーツを語る ― 一九九四年六月
●7 “九歳の隆さん”教科書を語る ― 一九九五年六月
●8 “一〇歳の隆さん”来た道をふりかえる ― 一九九六年六月
■Ⅱ 子どもと対話する意味 ― インタビューをして考えたこと
●1 聖地サールナートで考えたこと
●2 子どもはブッダに似ている
●3 子どもインタビューのすすめ
●4 インタビューの勘どころ
■あとがき
■新潮OH!文庫のためのあとがき
■ちくま文庫のためのあとがき