松井信彦のレビュー一覧
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面白かったー。
こういう科学エッセイ大好き。
興味深い話はたくさんあったが、一番驚いたのは天然核分裂反応炉のオクロの話。
ウランと水と藍藻類だけで稼働していたというのだ。
びっくり。
そんなこと初めて聞いた。
藻類が過剰な酸素を作り、水が強い酸性になり、ウラン235を溶け込ませ、藻類が水をろ過してウランを特定の場所に集中させ、臨界量に達した。
ただ、それだけではウランが核分裂を起こしても連鎖反応は起こさない。
水があることで中性子の速度が落ち、連鎖反応が起きたのだ。
そのため、核分裂が発生すると高熱になり、水が蒸発し核分裂がストップ、冷えて水がたまると再度核分裂が発生、とのサイクルが発生していた。
(15万年かけて6トンのウランが30分/2時間半のオン、オフのサイクルで消費された)
この話だけでもこの本を読んだ価値はあったが、ほかにも失われた日本刀の作成技術の話とかフォンノイマンがメーザーに関しては誤った認識を持っていたとか楽しい話がたくさんあった。 -
Posted by ブクログ
私はホログラフィー、多宇宙信じます。
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・ホーキングは「果てがないのが、宇宙の始まりの条件なのだ!」という。ここでの果てがないとは宇宙は「特異点」として始まったのではなく、虚数の時間で始まるなら物理法則にしたがってなめらかに始まったということである。
・相対性理論に従うならば、宇宙は特異点から始まらなければならないという特異点定理を証明したが、量子重力論、つまり一般相対性理論に基づけば、反対に特異点なしで宇宙は誕生するのだという理論である。
・宇宙は有限)重要なポイントは全体としての空間の大きさではなく、さまざまな領域ないしポケット宇宙についてその多様性の幅を私たちが格段に狭めたという事実です。
・時間が虚数というと、読者の中には深遠な意味を追求したくなる方もいるかもしれないが、あくまでも計算方法の一つであり、研究者はそこに深遠な意味を見出してはいない。
・超ひも理論において、物質はブレーンに張り付いて考えるのが自然である。つまり、われわれの膨張宇宙は高次元時空内を運動するブレーンとしてとらえられる。ブレーンが一つである理由は特になく、むしろ多数のブレーンが存在すると考えるのが自然だ。ブレーンがわれわれの住む宇宙であるから、宇宙はたくさん存在することになる。 -
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アインシュタインがその存在を予測してから100年、2015年秋米国ルイジアナ州とワシントン州に置かれた検知器LIGO (laser Interferometer Gravitational-wave Observation)で、ついに重力波が人類によって捉えられた。長さ四kmのアームの中で、陽子の直径の一万分の一のレベルの時空の変化を捉えたものだ。観測実験技術として想像を超えるほどの高度なノイズ除去技術が必要なことが何も言われなくてもわかる。ノーベル賞がほぼ確実視される偉業であり、宇宙の観測に新しい手段を加えることによって、現在の宇宙論が抱えるダークマターやダークエネルギーという謎に関して新しい発見が今後期待できるものである。
本書は重力波自体についての解説本ではなく、重力検知までの長期わたったプロジェクトにおける個性の強い科学者たちの実に人間くさいドラマを描いたものである。大規模になる組織の中で、対立があり、失脚があり、失意がある。多くの人が重力波を追い求めて、その研究者人生を賭けている。重力波が検出できるかどうかも賭けである(実際に研究者の間で賭けが行われた)。多くの時間とお金がそこに賭けられてきたのだ。そして、運も必要で、それが引き起こす重力波が検知可能なほど大きな天体イベントが適切な時間内に発生することも条件だ。ソーン、ドレ―ヴァー、ワイスという個性的な面々が、ひとつの結果を求めて引き返せない道を突き進む。「この山登りの視界は頂上に向けてしか開けていなかった」中で、彼らは「空はけっこう騒がしい」という方に賭けたのだ。
「重力波の検出はリスクが大きく、論争の的になっており、技術的に不可能に近かった。しかし、重力理論に基礎分野として大きな関心が集まるようにするための唯一の道でもあった」と語る。この本が書かれ始めた時点では重力波が検出されていたわけではなかった。この本の準備もすでにそれほど勝ち目が高くなかった賭けでもあったのだ。
この本を読むと、科学研究というものが一種の賭けであることがよくわかる。賭け金は科学者自らの時間、報償は科学者としての名声。ノーベル賞が最終的な目標でもある。若いころに一発当てて名声を得て、大御所となる。その機会を逸したものは報われるものは少ない。ある意味では芸人の世界とも似ている。個人のタレントで戦う世界の構造は互いに似てくるものなのかもしれない。
もちろん違うところもある。言うまでもない。本書の中でもホイ―ラーの「世界に以前よりもいくらか余分に美と統一性を与えてくれるような世界のビジョンや地図や像を構築したいという衝動こそ、科学の探究を突き動かすものなのだ」。いや、あらためてもしかしたら芸人の想いも相似するところもあるのかもしれない。
現在の科学というものの一端を示してくれる本。これから科学者を目指すような若い人にこそ読んでほしい。
重力波検出という結果は、感動的でもある。そして彼らの重力波検出の裏で、密かに泣いている研究者が幾人もいるのだ。 -
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被曝治療の専門家による著作。放射線の発見の歴史から、ガンとの関係、遺伝性疾患、医療における放射線治療、原発と廃棄物(他の発電方法との比較を含む)、といった複雑な問題を説明している。
タイトルどおり冷静に記述しており参考になる。ただし、原子力発電の廃棄物処理方法についてはスッキリしない。
福島原発から排出された放射線物質を海に捨てることは「ひどいこと」としながらも、大量の海水による希釈と競争(生き物がセシウムをカリウムと似たものと認識すること)によりセシウムが海洋生物に与える影響は小さい、という説明がされている。理性ではわかるのだが、感情としては納得しにくい。海にいつも行く人間と行かない人間では捉え方が違うのだろうと感じた。 -
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原発、放射線の是非について最低限、踏まえなければならない事実がたんたんと述べられている。しかし、これを読み込んで議論できる人はどれだけこの日本にいるのだろう。
私は感情的に原発はダメ、理性的には仕方なかろう、という立場だったが、本書によって、大幅に立ち位置を変えざるを得なかった。まさしく、「冷静」になったわけだ。
分かったことは、
・エネルギーの問題を極端に論じてはいけない。
・医療と被曝のことは意識的になった方がよい。
・喫煙は放射線被曝が絡む。
・放射能という現象にあまりに神経過敏になる必要はない。
・放射線殺菌技術の吟味。
・核テロは実害よりも心理的パニックが怖い。
・被爆の遺伝性はほぼない。
・原爆で死亡した人のほとんどが爆風と熱線。放射線は1割。
・日焼け止めはメラノーマ対策のとしてはいまいち。
・日焼けマシンは発がん要因。
・地球生物は放射線に耐えるために進化した部分をもっている。
・従来の太陽エネルギー発電はメガワットあたり、原発より放射線量が多い。
・石炭発電はさらに多く、100倍。 -
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この本は、ヒッグス粒子の理論を提唱し、2013年にノーベル物理学賞を受賞したピーター・ヒッグスの人生とヒッグスボゾンの誕生までを描いたノンフィクション。
この本では、1964年にヒッグスが発表した論文を起点に、彼がどのようにして「万物の質量の起源」となるヒッグス機構を提唱したのか、そしてその理論がどのようにして実験的に証明されていったのかが、科学的背景と人間ドラマの両面から描かれる。
特に、ヒッグスが非常に控えめで目立つことを好まない人物でありながら、巨大な国際プロジェクトに巻き込まれていく過程が印象的。
素粒子の世界は、わかるようでわからない不思議な世界。その世界の真理を探究する研究者の熱い熱量を感じる。
文章自体は優しいのだが、素粒子関連の言葉が出てくると、それって何?となってしまう。でも気にせず、ヒッグスの生きざまに焦点を当てて読む。
天才とはまた違ったタイプのノーベル賞受賞者。その人生の一端を体感できるだけでも読む価値大。 -
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「SNSでは自分の政治信条にあうフォロワーばかり揃えて対立意見が見えなくなるエコーチェンバーが起きる」とされている。これへの処方箋として、よく「対立意見もよく聞いて対話をすれば、自身の意見も適切に軌道修正できて妥協点が見つかり、建設的なやり取りができる」「相手の意見に触れることが大事」などと言われる。本書はこの解決策が逆効果であることを、大規模な実験を通じて浮き彫りにしている。アメリカ共和党と民主党のそれぞれの支持者による対立が舞台になっていて、第1次トランプ政権の頃の話が載っている。第2次トランプ政権の衝撃が続く今読んでも納得感はとてもある。
課題の提示と実証は的確かつ興味深いのだけれど、最終章の解決策で大きな飛躍があって残念。本読んでてよくあることだけど、それだけ課題解決は難しいってことなんだなと思う。 -
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ネタバレクリス・ベイルの『ソーシャルメディア・プリズム』は、現代のソーシャルメディアが社会の分極化を加速させるメカニズムを実証的に解明し、それに対する解決策を模索する一冊である。本書は、従来の「フィルターバブル」や「エコーチェンバー」という単純な説明を超え、ソーシャルメディアがどのように個人のアイデンティティを歪め、社会の分断を助長するかを明らかにする。ベイルは、ソーシャルメディアが単に人々を偏った情報空間に閉じ込めるのではなく、むしろ「プリズム」のように人々の社会的アイデンティティを変容させ、極端な意見を促進する場となると主張する。一般的に、ソーシャルメディアは同じ意見を持つ者同士を囲い込み、異なる意見に触れる機会を減らすことで分極化を進めると考えられてきた。しかし、ベイルの実験では、異なる意見を強制的に見せることが必ずしも意見の多様化にはつながらず、かえって自らの政治的立場をより強固にする可能性が示された。この現象は、政治的に異なる意見を持つユーザーに対し、反対派の意見を積極的に提示した際に確認された。特に保守派とリベラル派の双方が、相手側の主張を見たことで敵対心を強め、自らの信念をより過激にする傾向を示したのは興味深い結果である。この現象を生む要因として、ベイルはソーシャルメディアが「自己ブランド化」の場となっていることを指摘する。人々は、自分がどのように見られるかを意識し、フォロワー数や「いいね!」の数によって社会的評価を測る傾向がある。これにより、穏健な意見よりも、極端で挑発的な発言の方が注目を集めやすくなり、結果として過激派の声が増幅される。一方で、穏健な意見を持つ人々は、過激な議論が支配する環境では発言を控える傾向があり、これが「沈黙のスパイラル」を生む。これによって、現実の社会よりもソーシャルメディア上では極端な意見が支配的に見える状況が生まれる。このような状況に対し、ベイルは単に異なる意見を提示するだけでは分極化は解消されないと論じる。人々が異なる意見を受け入れる準備ができていなければ、対立はむしろ激化するため、異なるグループ間で建設的な対話を促進し、アイデンティティの対立を緩和する仕組みが必要だとする。従来のエコーチェンバー理論は、アルゴリズムの問題に焦点を当てがちだったが、ベイルはソーシャルメディアの影響を技術的な側面だけでなく、社会的行動の観点から分析しようとする。この点が、本書の大きな貢献の一つである。
本書の意義は、単なる理論的な議論にとどまらず、実証的なデータとフィールドワークを通じてソーシャルメディアの影響を明らかにした点にある。特に、エコーチェンバー論に対する批判的な再検討は、これまでの議論を刷新するものと言える。加えて、本書は分極化を解消するための新たな方策を提案する。たとえば、単に異なる意見を提示するのではなく、建設的な対話を生むためのプラットフォーム設計や、ユーザーの行動を変える仕組みを導入することで、ソーシャルメディアをより健全な議論の場へと変える可能性を示唆する。
もっとも、本書にはいくつかの課題や批判もある。まず、ベイルの実験は主にアメリカの政治的分極化を対象としており、国や文化による影響が十分に考慮されているとは言い難い。たとえば、日本や欧州の国々では、政治的分極化の度合いやソーシャルメディアの利用傾向が異なるため、本書の結論がどこまで適用可能かは慎重に検討する必要がある。また、彼の研究は主にTwitter(現X)やFacebookといった既存のプラットフォームを前提にしているが、新興のSNSや非中央集権的なプラットフォームでは、異なるダイナミクスが働く可能性がある点も見落とせない。さらに、本書が示す解決策には現実的な課題も伴う。異なる意見を受け入れやすくするデザインの導入や、建設的な対話の促進といったアイデアは理想的だが、実際にどのようにプラットフォームへ適用するかについては具体的な指針が不足している。また、ソーシャルメディア企業の利益構造が過激なコンテンツの拡散に依存している現状を考えると、これらの改革を進めるインセンティブが欠如しているという現実的な問題もある。政治的な分極化を緩和するためには、技術的な改良だけでなく、規制や政策の介入も視野に入れる必要があるが、本書ではその点への議論が比較的弱い。それでもなお、『ソーシャルメディア・プリズム』は、ソーシャルメディアが社会の分極化を促進する仕組みを、新たな視点から解明する重要な研究である。従来のエコーチェンバー論を批判しながら、ソーシャルメディアが「プリズム」のように個人の自己表現を歪め、過激な意見が優勢になりやすいことを示している。本書の示唆するように、単なるアルゴリズムの調整ではなく、人々のコミュニケーションのあり方を変えることが、社会の分断を解消する鍵となるだろう。もっとも、そのためにはベイルの提案を具体化し、企業や政策立案者がどのように行動すべきかをより踏み込んで議論する必要がある。本書はその出発点として重要な役割を果たすが、今後の研究や実践によって補完されるべき課題も多く残されている。 -
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ネタバレ人工知能(AI)の進化は、私たちの社会に計り知れない影響を与えている。すでに医療、金融、交通、エンターテインメントなど、あらゆる分野で活用され、その可能性はさらに広がり続けている。しかし、AIが高度化し、人間の知能を超える汎用人工知能(AGI)が誕生したとき、私たちはその力をどのように制御し、活用すればよいのだろうか。この問いに対し、スチュアート・ラッセルは『AI新生』において、AIがもたらす危険性に単純に警鐘を鳴らすのではなく、それらを的確に見極め、人類の利益となる形で運用するための道筋を示している。本書の特徴は、AIのリスクを過度に誇張するのではなく、どのような課題が生じる可能性があり、それにどのように対処すればよいかを具体的に論じている点にある。これまでのAIは、人間が設定した目標を達成するための手段として機能してきた。しかし、もしAIが人間の指示を超えて独自の目標を追求し始めたらどうなるのか。例えば、「世界の気候変動を止める」という目的を与えられたAIが、温室効果ガスの排出を最小限にするために人間の活動を制限しようとするかもしれない。このような極端なシナリオは一見非現実的に思えるが、ラッセルはAIが純粋に論理的な最適解を導き出す性質を持つ以上、こうした予測不能な事態が起こり得ることを指摘する。ただし、彼の主張の核は、こうしたリスクに過剰に怯えるのではなく、それを正しく理解し、適切な仕組みを構築することで制御可能にすることが重要であるという点にある。AIが「固定された目標」に基づいて動く場合、その目標が人間の意図とズレることで望ましくない結果をもたらす可能性がある。ラッセルはこの問題を解決するために、「AIは自らの目標が不完全であることを前提にし、人間の意図を学習しながら行動するべきだ」と提唱する。AIを単なる「強力なツール」としてではなく、「人間と協調するパートナー」として設計することで、その力をより良い形で社会に活かすことが可能になる。このアプローチの鍵となるのは、AIが「人間の価値観を学習し、適応する能力」を持つことだ。AIが完全な指示を待つのではなく、状況に応じて人間の意図を推測し、それに基づいて行動するよう設計されれば、より柔軟で安全なシステムを構築できる。また、AIの行動が透明性を持ち、予測可能であること、さらに人間が介入できる仕組みを整えることも不可欠である。AIを恐れるのではなく、その能力をより良い方向へと導く工夫が求められるのだ。
AIの進化は社会にも大きな影響を及ぼす。特に、労働市場においては、多くの職業がAIに取って代わられる可能性がある。自動化が進むことで生産性は向上するが、その恩恵がどのように分配されるのか、また、雇用のあり方がどのように変化するのかについても慎重に考えなければならない。さらに、AIが政治や経済の意思決定に関与するようになれば、その倫理的な判断や責任の所在をどのように確立するのかという課題も浮上する。AIを開発・運用する主体が巨大企業や国家であることを考えると、単に技術的な側面だけでなく、社会全体でのガバナンスのあり方も問われることになる。技術の進歩を止めることはできないが、その方向性を人類にとって望ましいものへと導くことは可能である。ラッセルは、AIの未来を決定づけるのは技術そのものではなく、それをどのように設計し、活用するかの選択にかかっていると強調する。つまり、私たちはAIを単なる危険因子として捉えるのではなく、その影響を分析し、戦略的に活用する方法を模索しなければならない。
本書は、AIの未来に対する冷静で実践的な提言を行っており、その点では非常に説得力がある。しかし、一方で、ラッセルが提唱する「人間中心のAI」が実現可能なのかという点については、いくつかの疑問が残る。AIが人間の価値観を適応的に学ぶという考え方は理想的だが、価値観そのものが社会や文化、時代によって変化するものである以上、AIがどの基準に基づいて学習するのかは依然として難しい問題だ。さらに、AIが「不完全な目標」を持つべきだという考え方は、安全性を高める可能性がある一方で、それがAIの意思決定を曖昧にし、予測困難にするリスクも伴うのではないかという懸念もある。また、AIの制御に関しては、技術的な問題だけでなく、政治的・経済的な課題も無視できない。AIの開発は巨大企業や国家によって進められており、それぞれの組織が異なる利益や目的を持っているため、統一的なルールを確立することは容易ではない。本書では、人間中心のAIを実現するための社会的な仕組みの整備についても言及しているが、実際にどのように実行に移すかについては、より具体的な議論が必要だろう。
『AI新生』は、単なるAI技術の解説書ではなく、AIの未来について私たち一人ひとりが考えるべき課題を投げかける一冊である。AIが持つ可能性を最大限に引き出しながら、それが人類にとって脅威にならないようにするためには、技術者だけでなく社会全体で議論し、方向性を定める必要がある。AIがもたらす恩恵は計り知れないが、それを制御できなければ危険な存在にもなり得る。私たちは今まさに、AIをどのように活用するかという重要な選択を迫られているのだ。ラッセルの提言を踏まえ、AIを「人類にとって真に有益なもの」とするために、私たちはどのような未来を描くべきなのか——その問いに向き合うことが、今後のAI時代を生きる私たちにとって不可欠なのではないだろうか。 -
Posted by ブクログ
視点を逆転した意表をつくタイトル。著者はハーバード大学で研究所長や各種の委員長をつとめており、科学的データに基づく推論を展開し、眉唾物ではないノンフィクションとして纏めている。
2017年10月に太陽系外から飛来し、その奇妙な振る舞いからオウムアムア(ハワイ語で斥候)と命名された天体?(飛行体?)の謎に迫っている。8時間周期で自転し長短比が10倍という前例なき天体?であり、太陽からの重力で取り得る軌道から外れ、彗星に見られるような噴出物もなく、謎の加速をして飛び去った。その異様な軌道データからは天体か飛行体(知的生命が関わる)を判別できず、近くに寄って観測する手段もない中、太陽系外へと逃してしまう。'オッカムの剃刀'という有名な言葉があるが、その意味するところは、複雑に仮説をたてることなく、根拠なき仮説を棄却して説明を単純化することに意義がある。この方針に従うとあり得ない仮説を除いていった先には、オウムアウアは彗星や小惑星などの自然にできた天体では説明できずに、知的生命が作った物体ないしは痕跡である可能性があるらしい。宇宙誕生から138億年が経過した空間と時間の中で、知的生命が存続できている天体と空間軸かつ時間軸で重なるには、あまりにも宇宙は離散的であり過ぎる。オウムアウアを見逃した経験から、人類は学ぶべき教訓があると思う。