傳田光洋のレビュー一覧
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皮膚はセンサーであり、脳でもある。別の言い方をすると、皮膚は「外臓」であり、「第3の脳」(第2は消化器)である。この考えが書名に集約されている。
なぜ皮膚科学の道に進むようになったのか。自分語りの部分がある。その進路選択は必ずしもポジティブではなかった。迷いに迷いながら、行き着いた先が皮膚科学の研究、新たな鉱脈。
「むすび」では、2001年に参加した学会のことが書いてある。マイナーに見えるテーマだったからか、ポスター発表会場では、だれひとり自分のところには立ち寄ってはくれなかった。終了間際、ひとりの研究者が立ち寄り、熱心にメモをとって、話を聞いてくれた。ネームプレートは「松本元」。そのことが14ページにわたって書かれている。松本は2003年に逝去。本書は、その松本先生に捧げたかったのかもしれない。 -
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傳田 光洋
京都大学工業化学科、工学研究科分子工学専攻を経て京都大学工学博士。カリフォルニア大学サンフランシスコ校皮膚科学教室博士研究員、国立研究開発法人科学技術振興機構CREST研究者、広島大学客員教授などを経て、明治大学先端数理科学インスティテュート客員研究員
皮膚は考える (岩波科学ライブラリー)
by 傳田 光洋
私がそんな友人たちに「皮膚ってのは実は大事な臓器なんだ」と酔った勢いで自分の研究を吹聴したときのことです。コピーライター氏が「心臓や胃や肝臓は「 内臓」 だよね。だったら皮膚は「 外臓」 か」とビールグラスの向こうから言いました。もちろん彼の造語ですが、うまい表現だと思いました。企業を身体にたとえれば、人事や財務担当部門は内臓、宣伝制作は外臓と言えるでしょうか。
それによるとヒトやモルモットの皮膚、とくに表皮は裏側を基準にすると一〇〇ミリボルト近いマイナスの電圧を持っている、というのです。
他にも役立つ物質はないだろうかとさらに考えていた頃、南フランスのサン・レミの街で開催される学会での招待講演を依頼されました。美術に詳しい方なら聞き覚えがある街だと思います。アルルでのゴーギャンとの共同生活がうまくいかず、やがて破綻の末、自分の耳を切り落とす、という状態になった画家ゴッホが収容された精神病院のある街です。ゴッホの代表作の一つ、「星月夜」はこの街で描かれました。
皮膚は実は免疫をつかさどる最前線の臓器であり、さらには身体のホルモンのバランスにも影響していることが明らかになってきました。
肝臓や腎臓を近親者から移植するというケースはよくあります。まったくの他人からの心臓移植も前例があります。ところが皮膚は他人のものはまず移植できません。移植してもすぐに剝がれ落ちてしまいます。
(最近、日本でも医学教育のなかに東洋医学を取り入れることが必須となりました。) 東洋医学が、その実効性が認められながらも、なにやら怪しげなものと見なされている理由は、その作用のメカニズムがよくわからないことであると思います。「気」だの「つぼ」だの「経絡」だの、はては「陰陽五行説」だのと言っても、実態が何であるのかよくわからない、明確な説明がなされていないところからもそう思われるのでしょう。
西洋医学の場合には精密な解剖学的知識がまずあって、胃が痛いなら、そこにある潰瘍なり炎症なりを手当てする。心臓がちゃんと機能しているかどうか、心電図をとる、というように一対一の対応が体系化されているのでわかりやすい、ということがあります。言い換えれば、すべてが何らかの原因と結果に還元できるという医学の考え方です。
しかし、この方法論は生体のように多くの因子が複雑にからみあった系では単純すぎて逆に落とし穴に陥る可能性があると思います。薬の副作用に見られるように、その効果も一対一の関係ではありません。
わたしたちの身体はひとつの「複雑系」です。些細な身体の異常が重大な病を引き起こすこともよくあります。そして、そういう場合の身体の異常と病との因果関係は、そう簡単に答えがでるものではありません。
しかし私は、不運な事情で修士課程を終えて大学を離れることを余儀なくされました。自分は科学に縁がないのだろうと、いっそのこと好きな美術や詩に関係のある仕事に就ければと思い、深く考えもせず現在の勤務先に就職しました。物理化学も生物物理も関係のない歳月が一〇年あまり流れました。気がつくと皮膚の研究者になっていて、その研究で母校の京都大学から博士号も取得できました。さらにアメリカの大学の皮膚科に留学する機会も得られました。
さらに岩波科学ライブラリーの中でも、そのタイトルが際立って目を惹く『愛は脳を活性化する』(一九九六) という松本博士の本の中で、海馬の中の情報の流れを光計測で視覚化する、という研究に魅了されました。
学生時代、濫読していたユングの心理学が思い出され、意識とは別に、我々の心や身体に重大な影響力を持つ無意識の存在を重く感じました。
そのとき私は松本博士が現代医療の限界に気づいておられたこと、それに対して東洋医学の臨床面での効果の絶大なることを身をもって感じました。そして、再び皮膚科学による東洋医学の解釈の可能性について、初学者用の教科書を開いたり、文献を集めたりし始めました。そして、その立場から再び自分のこれまでの研究を鳥瞰しなおす作業を始めました。本書はその最初の一歩です。 -
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ネタバレ皮膚は第三の脳!? -2008.02.08記
皮膚には第三の脳ともいうべき未知の思考回路があり、生物にとって最も重要な器官とさえ云いうると、資生堂ライフサイエンス研究センターの主任研究員を務める傳田光洋氏が自説を開陳する「第三の脳」-朝日出版社刊-は、たんに外界から分かつだけにすぎぬとみられる皮膚から捉えなおした人間観.生命観がずいぶんと刺戟的で興味深く読める。
著者の説くところを本書の終章にあたる「第6章-皮膚から見る世界」-p176~-から以下適宜引用すれば、
進化の過程において、ヒトの皮膚と同種の基本構造が現れるのは、両生類から爬虫類にかけてであること。ヒトの皮膚の原型はカエルの皮膚に認められる、といえよう。
爬虫類になると、角層は鱗に変わる。爬虫類が成長に伴い脱皮するのは、その角層細胞が、カエルなどの両生類やわれわれ哺乳類に比べて、極性の強いリン脂質でできているからだ。鳥類では、爬虫類の鱗あるいはヒトでいう角層は、羽毛に変わる。鳥類の皮膚そのものの構造は、角層のあるヒトあるいは哺乳類の皮膚に近い構造をもっている。哺乳類では、鱗は毛に変わる。毛根には脂腺が付属し、毛に脂質を付着させる役割を果たしている。
-スキンシップが先か言語が先か-という問題 ヒトの顔-三木成夫の「脱肛」説
ヒトの顔は、魚類の口腔の内側が外に捲れ出したような形で形成される。譬えれば「脱肛」のようなもの-とこれは三木成夫「脱肛」説なるものだが-、その平面状の顔に、視覚や聴覚、味覚センサーが配置され、端には聴覚センサーが並ぶように集約される。
「顔に毛がない」理由は、感覚四種-眼.鼻.口.耳-が集まった場所で、もう一つの感覚「皮膚感覚」を高めるため、ではなかったか。
「はだかの理由」-
「ヒトは全身を顔にした」-ヒトは毛をなくしたことで、スキンシップ-肌の触れ合い-という新しいコミュニケーション手段を獲た。
スキンシップによって、ヒトは進化の新しい階段を一歩上がったのではないか。有毛のヒトの祖先が、いきなり衣服をまとったとは考えられない。まず、裸でも生存できる温暖な環境で、ヒトは全身の毛を失ったのだろう。そしてその代償にスキンシップという新たなコミュニケーション手段を獲た。そして高度な組織性を獲得したヒトは、他の動物たちより優位な立場を得た。さらに環境に敏感になったヒトは、次第に生息域を拡げ、寒冷地を目指したものは衣服を発明し、さらに新しいコミュニケーション手段として言語も発達させた。言語の定義を「適切な音声を使い分けることによる同種間コミュニケーション」と広義に解すれば、哺乳類はおろか鳥類にさえも見出しうるものである。しかし、皮膚刺戟によるコミュニケーションは、霊長類において頻繁に認められるもので、このためには細かな皮膚への刺戟に対して手の機能の発達が欠かせない。広義の「言語」より「肌の触れ合い」によるコミュニケーションのほうが、動物全体の進化の過程では新しいに違いない。
―生体の非因果律―について
シュレディンガーによれば、生体は環境から負のエントロピーを取り込み、正のエントロピーを放出して内部環境の秩序を維持しているシステムである。ブリゴジンの開放系の熱力学では、エネルギーや情報が出入りできるシステムのなかでは「自己組織化」が生じる、すなわち無秩序から秩序が立ち現れる。
ここでも因果律は成立しない。因果律の支配する閉鎖系と異なり、生体におけるような開放系システムでは因果律は成り立たず、その内部環境では、逆因果律とでいうべき現象、すなわち未来が過去を決定する、という原理もありうるのではないか
-渡辺慧説-
時間の流れが存在しなかったり、あるいはその方向がわれわれの常識とは異なっている可能性がある。生体内、とりわけ複雑な構造をもつ大型動物、そして人間の「精神」には、多様多彩な「時間の矢に逆行する」現象が隠れていることだろう。皮膚は生体にとってその内的「非因果律的」世界を維持、発展させる境界であり、過去から未来へと流れる外界の時間の流れから、「未来から過去へ」流れる世界を護るシステム、なのだと。 -
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特に1番印象的だったことは、視覚障害者が舌になんらかの圧を加え、学習させると、ボールをバットで撃てるようになること。
舌はご飯を食べる時にも使うし、キスをする時にも使うけど、確かに感じると言うことに全てが集約されてるのかも。
視覚・聴覚は記号化できるけど、触覚と嗅覚だけは確かに人によって感じ方が違う。おもしろい。
以下記憶したい部分を抜粋。
顔面フィードバック・・・自分の顔の表情が、その感情を誘導する
口が笑っている形になるだけで、人間はより楽しい気分になる
拒食症患者は健常者に比べて、触覚による図形の把握が下手
不幸な幼少期を送って脳構造にその影響が残ったとしても、あるいはうつ病になりやすい遺伝子を持っていても、その後の生き方の選択によって、幸福な人生を得ることができる。
毛づくろいがサルに快感をもたらす
毛繕いをしながら学習すると学習効率が高くなる
男性より女性の方が、肌や髪の荒れに対して不快に感じる
言葉を駆使できるようになるまで、人間は触れ合うことによって相手の気分や意識を察していたのかも。
マッサージはエイズを治す細胞を増やすことができる、メカニズムは明らかになってないが、実証例がある。
皮膚のケアが心のケアにもつながる
肌が乾燥してると、心も不安症やうつになったりする
糖をなめるだけで、自己意識が変わる。排卵期の女性はより肌を露出させる
相手がなければ自分というものもなく、自分がなければさまざまな心も現れようがない。これこそが真実に近いのだ。「荘子」
右脳に言語能力はない。言語による説明は左脳でしかできない。
左脳が、さまざまな情報から辻褄の合う関連性を構築する役割を担う(情報処理能力)
自分で自分に触れた時より、他人に触られた時の方が心地よく感じる、という報告がある。
誰が触ったかが大きな影響を及ぼす。
意識は脳という臓器だけでは生まれない。身体のあちこちから、もたらされる情報と脳との相互作用の中で生まれている。
つまり皮膚感覚は意識を作り出す重要な因子。
五感がもたらすさまざまな刺激のうち、皮膚感覚ほど個々の快・不快を惹起(じゃっき)するものはない。例えば性的な接触は強烈な快感をもたらし、逆に皮膚の痛みや痒みは、堪え難い不快をもたらす。
システムの中で生きてる人間を(視覚や聴覚は電気信号に変化しやすい)皮膚感覚は突然、個人に戻してしまう。皮膚感覚が個人の意識に結びついていて、自己と他者を区別するという重大な役割を担っている。
視覚障害者に舌への圧刺激で入力された情報は本来、視覚情報を受け持つ領域で処理される。ボールをバットで打つことができるようになる。
脳の感覚は五感それぞれで部位は異なっていゆが、それらは固定されたものではなく、状況によって使い方が変わる。
皮膚感覚は個々の意識の影響を受けやすいものだが、視覚の代わりを担える。
外部の世界を最初に認識するのは皮膚感覚。
化粧行為の中には、身体運動を引き出す効果、皮膚へのマッサージ効果、香料が嗅覚を通じてもたらすストレス緩和効果をもたらす。
メイクアップとスキンケアをすることは、コミュニケーション能力の有意な向上がある。
認知症の女性も失われつつあった身体意識を取り戻し、認知能力、コミュニケーション能力、運動機能の回復。食事、着替え、ベッドや椅子への移乗の能力も改善。手の握力も向上。
身体と世界との境界である皮膚を彩るという行為。古い時代には、体を彫るイレズミが行われていた。その記憶が身体の奥深くに残っているのではないか。
人間にとって美しくありたいという欲求は、食欲にも劣らない欲求。
数学を駆使できる人間は、創造主に近づくことを許された存在なのかもしれない。
単なる観察では人間が予想できなき事柄について、ある程度までなら予見することも可能。
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杉や松の表皮の模様が、なぜあのようになるのか。
なるほど、と面白かった。
子供の頃に清潔にし過ぎると、アトピーなどのアレルギーになりやすい、ということも、他でも聞いたことがあるし、確かにそうだろうと思う。
人類は菌やウイルスなどと共に生きてきたのに、清潔にし過ぎると免疫システムのバランスが崩れるのだ。
ホモ・サピエンスの話も面白かった。
ホモ・サピエンスは挑戦者であり、スペシャリストを志向する能力や性格を持っていた。
だから、生き残れた。
ネアンデルタール人やデニソワ人は、そうではなかった。
少数者を多数の力で排除せず、受け入れ、認めることで、ホモサピエンスは生き残り、発展してきた。
多様性を認めるということの大切さが強調されていて、実にその通りだ、と思った。
内容は多岐にわたっていた。
人間のみならず、動植物についても、述べられていた。
平易な言葉でわかりやすく、とても面白かった。
【memo】
人間の表皮の細胞 ケラチノサイト 感覚を持っている。刺激に興奮する。
杉 縦に伸びるのがはやいので、皮が縦に割ける。
松 早く太く成長する。 皮が楕円形に割ける。