1320
傳田 光洋
京都大学工業化学科、工学研究科分子工学専攻を経て京都大学工学博士。カリフォルニア大学サンフランシスコ校皮膚科学教室博士研究員、国立研究開発法人科学技術振興機構CREST研究者、広島大学客員教授などを経て、明治大学先端数理科学インスティテュート客員研究員
皮膚は考える (岩波科学ライブラリー)
by 傳田 光洋
私がそんな友人たちに「皮膚ってのは実は大事な臓器なんだ」と酔った勢いで自分の研究を吹聴したときのことです。コピーライター氏が「心臓や胃や肝臓は「 内臓」 だよね。だったら皮膚は「 外臓」 か」とビールグラスの向こうから言いました。もちろん彼の造語ですが、うまい表現だと思いました。企業を身体にたとえれば、人事や財務担当部門は内臓、宣伝制作は外臓と言えるでしょうか。
それによるとヒトやモルモットの皮膚、とくに表皮は裏側を基準にすると一〇〇ミリボルト近いマイナスの電圧を持っている、というのです。
他にも役立つ物質はないだろうかとさらに考えていた頃、南フランスのサン・レミの街で開催される学会での招待講演を依頼されました。美術に詳しい方なら聞き覚えがある街だと思います。アルルでのゴーギャンとの共同生活がうまくいかず、やがて破綻の末、自分の耳を切り落とす、という状態になった画家ゴッホが収容された精神病院のある街です。ゴッホの代表作の一つ、「星月夜」はこの街で描かれました。
皮膚は実は免疫をつかさどる最前線の臓器であり、さらには身体のホルモンのバランスにも影響していることが明らかになってきました。
肝臓や腎臓を近親者から移植するというケースはよくあります。まったくの他人からの心臓移植も前例があります。ところが皮膚は他人のものはまず移植できません。移植してもすぐに剝がれ落ちてしまいます。
(最近、日本でも医学教育のなかに東洋医学を取り入れることが必須となりました。) 東洋医学が、その実効性が認められながらも、なにやら怪しげなものと見なされている理由は、その作用のメカニズムがよくわからないことであると思います。「気」だの「つぼ」だの「経絡」だの、はては「陰陽五行説」だのと言っても、実態が何であるのかよくわからない、明確な説明がなされていないところからもそう思われるのでしょう。
西洋医学の場合には精密な解剖学的知識がまずあって、胃が痛いなら、そこにある潰瘍なり炎症なりを手当てする。心臓がちゃんと機能しているかどうか、心電図をとる、というように一対一の対応が体系化されているのでわかりやすい、ということがあります。言い換えれば、すべてが何らかの原因と結果に還元できるという医学の考え方です。
しかし、この方法論は生体のように多くの因子が複雑にからみあった系では単純すぎて逆に落とし穴に陥る可能性があると思います。薬の副作用に見られるように、その効果も一対一の関係ではありません。
わたしたちの身体はひとつの「複雑系」です。些細な身体の異常が重大な病を引き起こすこともよくあります。そして、そういう場合の身体の異常と病との因果関係は、そう簡単に答えがでるものではありません。
しかし私は、不運な事情で修士課程を終えて大学を離れることを余儀なくされました。自分は科学に縁がないのだろうと、いっそのこと好きな美術や詩に関係のある仕事に就ければと思い、深く考えもせず現在の勤務先に就職しました。物理化学も生物物理も関係のない歳月が一〇年あまり流れました。気がつくと皮膚の研究者になっていて、その研究で母校の京都大学から博士号も取得できました。さらにアメリカの大学の皮膚科に留学する機会も得られました。
さらに岩波科学ライブラリーの中でも、そのタイトルが際立って目を惹く『愛は脳を活性化する』(一九九六) という松本博士の本の中で、海馬の中の情報の流れを光計測で視覚化する、という研究に魅了されました。
学生時代、濫読していたユングの心理学が思い出され、意識とは別に、我々の心や身体に重大な影響力を持つ無意識の存在を重く感じました。
そのとき私は松本博士が現代医療の限界に気づいておられたこと、それに対して東洋医学の臨床面での効果の絶大なることを身をもって感じました。そして、再び皮膚科学による東洋医学の解釈の可能性について、初学者用の教科書を開いたり、文献を集めたりし始めました。そして、その立場から再び自分のこれまでの研究を鳥瞰しなおす作業を始めました。本書はその最初の一歩です。