黛まどかのレビュー一覧
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歩き遍路エッセイとしては良本。
著者が俳人と言うだけあって四国遍路の描写が上手い。
読んでいると、自分が過去に歩いた時を思い出し、楽しく読めた。
個人的には後半の質疑応答が要らなかった。
後半は著者のスピリチュアルワールド強めな内容になっている。ただ、時折心に響く言葉も。
著者が遍路中に出会った人たちの物語を、著者なりにもっと語ってくれた方が、四国遍路エッセイ本として、より魅力的な内容になっていたと思う。それくらい、著者の人物描写には惹かれるものがあった。
ただどうしても気になった事が一つ、
【サンティアゴ巡礼】
が、ひたすら本書に登場する。
同じ【巡礼】というカテゴリーで、著 -
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2017年4月桜が綻び始めた頃、著者は全行程
1,400㎞に及ぶ四国八十八ヶ所巡礼に旅立つ。
全札所を徒歩で回る「歩き遍路」。著者が挑むのはぶっ通しの「通し打ち」。美しくも厳しい四国の山野を剥き出しの身体ひとつで四国を一周する。巡礼者は、弘法大師 空海の化身とされる金剛杖を突きながら歩く。『同行二人』と言われる所以である。その上部には梵字が描かれ、卒塔婆を模している。もし行き倒れになっても、それが巡礼者の墓標になる。かつては遍路=歩き遍路であり、遍路宿なども少なく野宿だっただけに、いかに通し打ちが過酷であったかを物語る。時代は移れど1,400kmには、遍路ころがし(難所・悪路)が待ち構え、荒 -
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タイトルだけを見ると、啓蒙的臭いも漂うが、著者が誰かをみればそんな本でないのは分かるはず。とにかく、スゴ本。
脳科学者の言葉と俳人の感性が交歓し、奈良の路に広がる雄大な自然と悠久の記憶の中を、おおらかに駆け巡る。
「言葉は身の丈」
「思いつきというのはひらめきですから、言葉が生きている」
「流通しない言葉は言葉ではない」
「生命と言葉のあわい」
次々に飛び出す深層水のごとき言の葉に心奪われ、茂木氏の言葉を使わせていただく。
「意識の中に万葉時代が広がりました。その瞬間、確かに僕の中で時空概念の革命が起きました。」
融通無碍の日本文化に深淵に触れて、あらためて日本人である誇りをもつと同時 -
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誰かのいつかのカレンダーを勝手に見てしまったかのような気恥しさを覚えた。
カレンダーというかスケジュール帳。
恋をしたときのくすぐったさ、友達の前でした自分の行動への少しの後悔とか、細やかな感情を想起させる。
俳句って個人的なことを書くには文字数が少なすぎるし人間(日本人)が古くから自然に対して持つ感覚的なものに訴えかけることに特化した表現方法なんだろうな、という勝手な思い込みがあったけど、そのイメージが壊れた。
個人的すぎることの究極である恋を17音で表現出来ちゃうんだ、っていう驚き。
あとがきを読んで黛さん本人の恋愛がそのまま俳句になっているんだと知り納得。
渋谷って駅名が入る句もあ -
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ネタバレ季節を感じる。
さまざまな人生経験を通し、余白を見る。
日常のささいなこと。
脳科学者である茂木健一郎氏と俳人である黛まどか氏。
各々の俳句論と、対談が載せられた一冊。
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以下3点、自身の中で留めておこうと思った。
①日常のささいなことを大切に。
日常から生じた言葉というひらめき。
繊細な言葉を育んできた民族である日本人だからこそ
「花冷え」:単に寒いでなく桜が咲くころの冷え。
「花筵(はなみしろ)」「花衣」「花の客」「花の雨」桜:日本人にとって特別
「遣らずの雨」
:訪ねてきた人を帰らせないために降る雨 帰ってほしくないと大切な人
「桜狩」「紅葉狩」「蛍狩」「虎が涙雨 -
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・第二部 ひらめきと美意識-俳句脳対談 多様性が文化を創造する
橋本内閣が組閣した当時、ニューヨークタイムズ東京支局長が
著者の一人である俳人・黛まどか氏を訪ね
「新聞・週刊誌の短歌、俳句、川柳のコーナーへの投稿、
お茶のペットボトルやキャンディの袋にまで詩が書いてあり、
世界中で詩が低迷している昨今、こんな国はどこにもない」
というようなことを言ったとのこと。
実に興味深い。
”詩”的な表現(?)だが、このときは通勤時で
ちょうど奥田民生の「さすらい」がイヤホンから響いていた。
「詩」とは何なのかとつくづく思った。
すぐにgoogleに頼るのは悪しき習慣なので、pomeraという事 -
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俳句というのは 季語 がとても大切なものだということが
今回読みながら 痛感した。
手紙を書いたりする時に 以前は時候の挨拶を書いていたが
いまは、メールがほとんどなので 季節の言葉など
あまり考えることもなくなったが・・・
季語という 季節の移ろいを 17音の中に
取り入れていくという 俳句の 厳しい規則と
その言葉が 自然の破壊のなかで
少しづつ消えていこうとしている ということが
ひたひたと・・・感じられる本だった。
その季語が ある意味では 1000年近くの連綿とした
歌詠みの世界が存在していて・・・
その言葉が たくさんの歌人 そして俳人によって
読み込まれることで よりくっき -
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[ 内容 ]
俳句と脳。
日本人のひらめきの原点は俳句にあり。
[ 目次 ]
第1部 俳句脳の可能性(茂木健一郎)(言葉を持たない感覚 言語の不思議な営み 「五・七・五」という余韻 ほか)
第2部 ひらめきと美意識-俳句脳対談(茂木健一郎 黛まどか)(俳句がひらめくときと脳 「はまる」メカニズム 俳句は革新の歴史 ほか)
第3部 俳句脳-ひらめきと余白(黛まどか)(俳句の魅力 暮らしに俳句があった頃 日本人らしい日本人に ほか)
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆ -
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俳句というと、古風な日本の文化(文学)というイメージを持っていた。
この対談やそれぞれの考えを読むにつけ、見事にそのイメージが一新された。
なんと豊かな芸術であることか。
制約の中に美を求める日本らしい芸術ではあるが、
現在、世界に広まりつつあるこの俳句という世界は、
生き方そのものなのだ。
つまり、日々の生活の中に見出したものを表現するということは、
芸術に生きるということ。生き方が芸術になるのだ。
会ったことや、話す様子を見たことはあまりないけど、
黛まどかという人からは何か凛としたものを感じる。
それは芸術に生きているからなのだろう。
俳句を通して、日本語の美しさも再発見させられた。