武田知弘のレビュー一覧
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タイトルから日本は素晴らしかった、という偏った賛美本かと思ったが、概ね中立的に書かれていた(アジアの教科書について敗戦国を良く書けるわけがないからこのような表現になった、など大日本帝国賛美側にやや偏った立場ですが)。
中国につきつけた「対華21カ条要求」や、爆殺された張作霖が何をしたかなど、初めて知った。
そりゃ、中国も怒るわ、ということもよくわかった。
一方で、貧困だった農民が新天地を求めた日本側の立場もわかりやすい。
ドイツがソ連侵攻を始めたことはドイツ敗退の原因ということは知っていても、それが日本にとってどういうことだったか、などの視点も面白い。
この著者の本は3冊目だが、どの本もかなりわかりやすく書かれていておすすめ。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ大日本帝国というと、「軍国主義の時代」「アジア中が日本の戦争のために犠牲になった時代」など、暗黒時代の象徴として語られることが多い。"War Guilt Information Program" (連合国軍最高司令官総司令部が行った自虐的歴史観を植え付ける洗脳計画)に毒された公立学校教職員(日本教職員組合)や、憲法9条を守れば平和が維持できると深謀遠慮に欠く平和愛好者の間では特に顕著である。
今でも「軍部の暴走により日本が第二次世界大戦に突き進んだ」というのは、日本人の間では常識のように語られるが、これだけを盲信していては、過去の経験を日本の未来に生かすことができない。この書は、教科書では語られない、また教育現場で教師が教えようとしない、戦争に至った複雑な過程を分かりやすく解説している。そのひとつ、第二次世界大戦に至る「軍部の暴走」を取り上げてみる。
この問題を考えるとき、国民は軍部の台頭を熱狂的に支持していたという事実を忘れてはならない。だから、帝国議会は抑えることができなかった。ではなぜ、国民は熱狂したのか。いくつかの理由を本書から列挙してみる。
・戦前は凄まじい格差社会(巨万の富を得る財閥と農村の荒廃)であった。
・世界恐慌等で不況にあえぐ日本の景気回復を満州国に期待した。
・大手新聞社は言論統制が敷かれる前から、売上を伸ばすため好戦的記事を書いていた。
・当時の二大政党は足の引っ張り合いに終始し、政治が大混乱に陥った(いわゆる「統帥権問題」(1930年、ロンドン海軍軍縮会議)を持ち出し、政府の軍に対するコントロールを否定しまった)。
・普通選挙が結果的に国民の政治不信をもたらした(普通選挙は莫大な選挙費用がかかる割に得票数が読めない。必然的に財力のある財閥と政治家との関係が強まった)。
このような財閥や政治家への国民の不満を吸収したのが軍部であった。1932年の五一五事件や1936年の二二六事件を起こした首謀者たちも、貧しい農村の次男以下が多く、姉妹が身売りに出されるなどの状況を目の当たりにした者も少なくなかった。つまり多くの国民からすると、自分たちの生活を守り、腐敗した政治を立て直してくれるという期待があったのだ。
簡単ではあるがこのような背景を理解しないと、歴史の真実は見えない。シビリアン・コントロールをしていれば、軍部の暴走は止められるというのは誤りである。そもそも大日本帝国の「統帥権」は、軍部の暴走を止めるための仕組みだったはずだ。すべては政治がうまく機能しての話である。
以上は主として、第二次世界大戦を前提にした内容だが、本書には、日本の独立を守るための明治政府の国家つくりから、日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、第二次世界大戦へと向かい壊滅的打撃を受ける日本の(教科書では分からない)本当の姿が(紙幅の関係で部分的ではあるが)見えてくる。そこには、栄光と挫折がある。大日本帝国から学び、近代国家つくりとして誇りとするところ、あるいは反省すべきところを冷静に考えなければならない。その入門書として、本書は良書であると思う。 -
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■信長経済
A.当時(信長の時代)寺社というのは、経済社会の中で非常に大きな利権を持っていた。
あちらこちらに荘園を持っていたし、港を抑えて大きな関税収入を上げたり、市や座を取り仕切って、多くの地代を得ていた。
だから信長は、既存の市とは別の市をつくり、寺社や公家の影響力を排除したのである。
B.比叡山は戦国時代、日本最大級の財閥だった。
C.戦国時代、権威が分散しているので、農民としては、だれに年貢を納めていいかわからなかった。
D.信長の城下町錬金術
1.築城とともに城下町、楽市楽座を建設する。
2.周辺の人や富が集まってくる。
3.税収が増える。
4.また新たに築城する。
E.日本の南蛮貿易を取り仕切っていたのは、イエズス会の宣教師たちだった。
彼らは、日本でのキリスト教の布教と引きかえに、貿易を行ったのである。
だからこそ西国の大名はこぞってキリスト教を受け入れた。 -
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ネタバレモルヒネやヘロインはアヘンからの抽出物であるが薬局で手に入った。中国や台湾で流行っており当局の規制の目をすり抜けた。覚せい剤の有効成分のヒロポンは薬局でも買え、軍隊でも恐怖感減少のため特攻隊員に配布された。終戦後、軍から大量に闇市に流れた。
日本は歴史上亡命者や難民をほとんど受け入れてこなかったが、1917年のロシア革命のときに数千人が来た。巨人のスタルヒンもその一人。
戦前の日本は世界有数の貿易大国。第一次世界大戦中に紡績業が躍進。中小が乱立していたイギリスと違い財界人たちが協力して大規模工場を作った。1936年英国1917百万ポンド、日本2708百万ポンドと完全に逆転し、イギリスとの貿易摩擦が起こった。インド市場から締め出された日本は満州に市場を求めていった。
綿製品以外は自転車が主要輸出品。1937年に機械系輸出品目のトップになた。その次が玩具。舶来品の玩具を研究史セルロイドや金属を使ったおもちゃや電気仕掛けの模型、ゴムマリ、人形など。マッチや洋傘、ブラシなど世界的なシェアを獲得していた。
日本は古来から教育意識が高かった。寺小屋などの教育機関が発達しており、幕末期の江戸の識字率は世界でも驚異的な高さ。
米国でエジソンが電気事業を始めたのは1880年。それから7年後に日本でも電気が通っていた。
科学技術は欧米に遅れていたが通信は最先端だった。
1964年に新幹線が世界最速を記録して開業した。下地は弾丸列車計画で東京都大阪を4時間半で結ぶもの。戦局が悪化して中止になった。
満州への輸送が必要になったため計画され、最終的な計画は東京都北京を結ぶ。
戦前は国を挙げて学問を推奨していた。明治初期は16等級にクラスが分かれていて半年に一回のテストで席が決まった。義務教育は小学校まで。しろばんばの主人公は公立中学校に入るために家庭教師をつけてもう特訓をしていた。どうにか中学校に入っても高校は全国に35校しかなく1割りしか進学てきなかった。高校の定員と帝国大学の定員はほぼ同じなので高校までが大変。
多摩は軍事大都市。 -
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福沢諭吉の『西洋旅行案内』の現代語訳と著者の解説。
日本には牛車があったのだから馬車も驚かないと思ったが、馬車には驚いたとか、ひとつひとつ当時の日本人の常識に「へー」と思う。
そして、日本がこのとき外国では……?と世界史と結びつけて考えるのは難しいのだが、日本人の西洋旅行記なので、当時の日本の様子と、当時の外国の様子がわかるのも本書の特徴かと思う。
そうか、幕末の動乱期はアメリカの南北戦争前後になるのか。福沢諭吉が南北戦争の直前にアメリカに行って、さらにその6年後にアメリカに行ったので、その前後の様子の描写が楽しく読める。
西洋では日本で働くことはできるか、行くことはできるか、と話しかけられたが、ロシアではロシアに住まないか、ロシア人になれ、と話しかけられたのが、またロシアと欧米の違いがまた興味深い。
自分は高校生のときに、実は福沢諭吉はアジアやアフリカなど経済的に発展していない国を見下していた、と聞き、かなりショックを受けたのだが、この本では、福沢諭吉の欧州贔屓と途上国の見下しが読み取れ残念な気持ちにもなる。今の物差しで当時の思考をはかるのは間違っていると思いつつも。
そういう脱亜入欧の考え方の実際のところを知れたのも、本書を読んで良かったと思うところである。