【感想・ネタバレ】教科書には載っていない大日本帝国の発明のレビュー

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Posted by ブクログ 2021年01月01日

日本は戦争に負けて軍事力にお金をかけずに経済発展に注力できたから成長したと思っていましたが、この本を読んで、その思いが変わりました。戦前から成長する下地があったようですね。

この本には大日本帝国時代に世界に先駆けてなされた発明が紹介されています。最後の章には、第日本帝国ではなぜ発明が生まれたのかを...続きを読む、明治維新の改革をあげて説明しています。名前だけは知っていて中身をよくわかっていなかった、地租改正(大規模な農地改革)や教育改革(誰でも教育を受けられる)がポイントだったようですね。

以下は気になったポイントです。

・天皇陛下が静岡臨幸の際に、テレビ実験を見るために浜松高等工業学校にいた高柳は急遽、教授に昇格した。当時は天皇陛下は直接説明したり拝謁するには、判任官(助教授)ではなく、奏任官(教授)出なくてはいけなかったから(p25)

・八木アンテナは発明された当時、日本の学会からは無視されていた。当時の電気学会では、発電・送電・電動機などの「電力」に関する技術がもてはやされ、電気通信の技術は二の次とされていた(p28)海外での評価は高く、英米ではこの技術を元にレーダーを開発した(p29)

・1928年(昭和3)11月6日、午前7時10分、天皇皇后両陛下が皇居を出発した写真は、即座に東京日日新聞本社から大阪毎日新聞本社に電送され、その2時間後の9時には東京と大阪で号外が配られた、これはドイツシーメンス式の朝日新聞とは比べ物にならないほど鮮明であった(p38)

・早川は関東大震災で被災、借金返済のために、シャープペンシルの特許を手放さざると得なくなった。そして早川電気を立ち上げ戦前の時点で国内有数の電気メーカとなった。昭和45年にシャープになった(p50)

・クレパスは戦前の日本企業がクレヨンの不満を解決(適度に柔らかさがあり、クレヨンのように描けてパステルのように塗れた、定着剤が不要)した独自の発明品である(p55)

・国内初の農業エンジンを造ることに成功した山岡は、この石油エンジンに「ヤンマー」という商標をつけた(p73)世界初のディーゼルエンジンメーカであるマン社がPRしていたディーゼルエンジンに魅力(燃費が4分の1、安全性が高い)を感じた、小型化は困難を極めて日本はおろか世界でも成功したものはいなかった(p74)ついに昭和7ねんに試作品が完成した(p75)昭和30年に世界で初めて小型ディーゼルエンジンを開発した功績を讃えられてドイツ発明者協会からディーゼル金賞をドイツ人以外で初めて贈られた(p76)

・豊田自動織機製作所は大正15年に設立、昭和5年に佐吉が63才で死去したのち、昭和8年に自動車部を設立し、自動車製造を開始した(p88)

・日清戦争でも日本海軍は清国海軍に砲撃だけで勝利したが撃沈ができていなかったので、当時は艦隊決戦では砲撃か衝突が有効か決着がついていなかった。しかし東郷艦隊はロシア軍の5隻の戦艦のうち4隻を砲撃だけで撃沈し、砲撃が有効という解答を与えた、これ以降各国の海軍はより大きな砲を積み、より強固な装甲を持つ戦艦を建造することになった(p93)

・日本海海戦では、東郷艦隊は世界初の無線による艦隊作戦を行っている、主力艦だけでなく駆逐艦、仮装巡洋艦などほぼ全ての艦に搭載していた、これが史上初である(p94)無線は、36式無線電信機で、当時最新技術の鉛蓄電池を電源をしていた(p97)

・大正8年、世界で初の正式空母が日本で誕生している、鳳翔である、最初から空母として設計されている(p102)

・真珠湾攻撃では、アメリカ太平洋艦隊は、戦艦5隻が沈没、3隻が大破、基地内の479機の航空機が撃破、米軍兵の戦死者は2000人以上、空母からの攻撃としては第二次世界大戦を通じて最大である(p106)

・零戦に330リットルの増槽を取り付ければ、航続距離は3500キロとなり、当時の欧米の戦闘機の倍以上であった(p112)

・日本軍によるアメリカ空爆は、昭和17年9月に水上機による焼夷弾爆撃という方法で行われた、国と国同士による正真正銘の戦争において軍用機でアメリカ本土の領空内に新入し、爆弾を投下できたのは、歴史上で日本だけ(p124)水上機(偵察機でなく攻撃機)を3機搭載できる、世界初の潜水空母伊400も開発している(p127)

・ベトナム政府は、残留日本兵の労に報い、1990年代には日本に帰還した旧日本兵たちに勲章を与えている、敗戦国である日本の兵士に後年、他国が勲章を与えるというのは非常に珍しい(p139)

・戦前の日本には、2大国民病があり、結核と脚気であった。毎年、数千人から1万人以上が泣くなあっていた。日清戦争では死者5100人のうち4000人が脚気で亡くなった。脚気の原因はビタミン不足で、世界で初めてビタミンB1を発見してビタミン剤を発明したのが、鈴木梅太郎であった(p149)

・北里柴三郎は、破傷風菌の発見過程において、もう一つの偉大な発明をしている。人工的に培養した破傷風菌より破傷風を発症させると免疫が生じることがわかった、この免疫を使って理治療に応用したのが「血清治療」である。血清治療というのは、毒素を弱めたものを動物などに注入し、免疫を持った血清を作りその血清を使って治療するというもので、医学界においてとてつもない発見だった。第一回ノーベル医学賞候補になったが、受賞したのは、北里と連名で血清療法の論文を発表したエミール・アドルフ・フォン・ベーリングであった(p157)

・加藤は明治34年(1901)にインスタントコーヒーの米国特許を申請し、36年に取得したが、当時の消費者には認知されなかった。普及するようになったのは30年以上経過して、スイスのネスレ社が1938年に「ネスカフェ」を発売してから(p186)

・明治41(1908)ねん、38キロの昆布だし汁から30グラムの旨味物質の結晶を単離することに成功し、この結晶を科学的に分析して人類がうまいと感じてきた味の正体が「グルタミン酸」であることを突き止めた(p190)その後にグルタミン酸ナトリウム(味の素の原型)の製造方法を開発し、特許を取得、製薬会社の経営者だった知人の「鈴木三郎助」に商品化を持ちかけた、その後、「味の素」という商品名で発売された(p190)

・世界初の乳酸菌飲料は大正8年(1919)に登場したカルピスである(p192)サンスクリット語で、この上なく美味しい、という意味の「サルピルマンダ」と「カルシウム」を掛け合わせた造語である(p195)

・地租改正は歴史上で例がないほどの大規模な農地解放であった、版籍奉還で各藩は持っていた領地を無償で国(天皇)に返した、その領地を新政府は事実上、農民に与えた。GHQの農地改革は、46%であった小作地をそのうち80%が買い上げられ小作人に売られたもの、規模は地租改正よりも小さい(p211)税率は土地代の3%、これは収穫した米の平均価格の34%程度であり、江戸時代と同等か若干低い程度であった(p212)農民一揆が大きているが多くは、江戸時代には年貢率の低かった幕府直轄領で起きている(p214)

・大正5(1916)年には東京、大阪で80%、全国でも40%の家庭に電気が行き渡っていた、当初は電灯だけだった電化製品も開発が進み、電気コンロ、アイロン、扇風機、トースター、電気ストーブ、冷蔵庫、洗濯機、掃除機、クーラーも登場していた

2021年1月1日作成

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