武田知弘のレビュー一覧
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日本は戦争に負けて軍事力にお金をかけずに経済発展に注力できたから成長したと思っていましたが、この本を読んで、その思いが変わりました。戦前から成長する下地があったようですね。
この本には大日本帝国時代に世界に先駆けてなされた発明が紹介されています。最後の章には、第日本帝国ではなぜ発明が生まれたのかを、明治維新の改革をあげて説明しています。名前だけは知っていて中身をよくわかっていなかった、地租改正(大規模な農地改革)や教育改革(誰でも教育を受けられる)がポイントだったようですね。
以下は気になったポイントです。
・天皇陛下が静岡臨幸の際に、テレビ実験を見るために浜松高等工業学校にいた高柳は急遽、教授に昇格した。当時は天皇陛下は直接説明したり拝謁するには、判任官(助教授)ではなく、奏任官(教授)出なくてはいけなかったから(p25)
・八木アンテナは発明された当時、日本の学会からは無視されていた。当時の電気学会では、発電・送電・電動機などの「電力」に関する技術がもてはやされ、電気通信の技術は二の次とされていた(p28)海外での評価は高く、英米ではこの技術を元にレーダーを開発した(p29)
・1928年(昭和3)11月6日、午前7時10分、天皇皇后両陛下が皇居を出発した写真は、即座に東京日日新聞本社から大阪毎日新聞本社に電送され、その2時間後の9時には東京と大阪で号外が配られた、これはドイツシーメンス式の朝日新聞とは比べ物にならないほど鮮明であった(p38)
・早川は関東大震災で被災、借金返済のために、シャープペンシルの特許を手放さざると得なくなった。そして早川電気を立ち上げ戦前の時点で国内有数の電気メーカとなった。昭和45年にシャープになった(p50)
・クレパスは戦前の日本企業がクレヨンの不満を解決(適度に柔らかさがあり、クレヨンのように描けてパステルのように塗れた、定着剤が不要)した独自の発明品である(p55)
・国内初の農業エンジンを造ることに成功した山岡は、この石油エンジンに「ヤンマー」という商標をつけた(p73)世界初のディーゼルエンジンメーカであるマン社がPRしていたディーゼルエンジンに魅力(燃費が4分の1、安全性が高い)を感じた、小型化は困難を極めて日本はおろか世界でも成功したものはいなかった(p74)ついに昭和7ねんに試作品が完成した(p75)昭和30年に世界で初めて小型ディーゼルエンジンを開発した功績を讃えられてドイツ発明者協会からディーゼル金賞をドイツ人以外で初めて贈られた(p76)
・豊田自動織機製作所は大正15年に設立、昭和5年に佐吉が63才で死去したのち、昭和8年に自動車部を設立し、自動車製造を開始した(p88)
・日清戦争でも日本海軍は清国海軍に砲撃だけで勝利したが撃沈ができていなかったので、当時は艦隊決戦では砲撃か衝突が有効か決着がついていなかった。しかし東郷艦隊はロシア軍の5隻の戦艦のうち4隻を砲撃だけで撃沈し、砲撃が有効という解答を与えた、これ以降各国の海軍はより大きな砲を積み、より強固な装甲を持つ戦艦を建造することになった(p93)
・日本海海戦では、東郷艦隊は世界初の無線による艦隊作戦を行っている、主力艦だけでなく駆逐艦、仮装巡洋艦などほぼ全ての艦に搭載していた、これが史上初である(p94)無線は、36式無線電信機で、当時最新技術の鉛蓄電池を電源をしていた(p97)
・大正8年、世界で初の正式空母が日本で誕生している、鳳翔である、最初から空母として設計されている(p102)
・真珠湾攻撃では、アメリカ太平洋艦隊は、戦艦5隻が沈没、3隻が大破、基地内の479機の航空機が撃破、米軍兵の戦死者は2000人以上、空母からの攻撃としては第二次世界大戦を通じて最大である(p106)
・零戦に330リットルの増槽を取り付ければ、航続距離は3500キロとなり、当時の欧米の戦闘機の倍以上であった(p112)
・日本軍によるアメリカ空爆は、昭和17年9月に水上機による焼夷弾爆撃という方法で行われた、国と国同士による正真正銘の戦争において軍用機でアメリカ本土の領空内に新入し、爆弾を投下できたのは、歴史上で日本だけ(p124)水上機(偵察機でなく攻撃機)を3機搭載できる、世界初の潜水空母伊400も開発している(p127)
・ベトナム政府は、残留日本兵の労に報い、1990年代には日本に帰還した旧日本兵たちに勲章を与えている、敗戦国である日本の兵士に後年、他国が勲章を与えるというのは非常に珍しい(p139)
・戦前の日本には、2大国民病があり、結核と脚気であった。毎年、数千人から1万人以上が泣くなあっていた。日清戦争では死者5100人のうち4000人が脚気で亡くなった。脚気の原因はビタミン不足で、世界で初めてビタミンB1を発見してビタミン剤を発明したのが、鈴木梅太郎であった(p149)
・北里柴三郎は、破傷風菌の発見過程において、もう一つの偉大な発明をしている。人工的に培養した破傷風菌より破傷風を発症させると免疫が生じることがわかった、この免疫を使って理治療に応用したのが「血清治療」である。血清治療というのは、毒素を弱めたものを動物などに注入し、免疫を持った血清を作りその血清を使って治療するというもので、医学界においてとてつもない発見だった。第一回ノーベル医学賞候補になったが、受賞したのは、北里と連名で血清療法の論文を発表したエミール・アドルフ・フォン・ベーリングであった(p157)
・加藤は明治34年(1901)にインスタントコーヒーの米国特許を申請し、36年に取得したが、当時の消費者には認知されなかった。普及するようになったのは30年以上経過して、スイスのネスレ社が1938年に「ネスカフェ」を発売してから(p186)
・明治41(1908)ねん、38キロの昆布だし汁から30グラムの旨味物質の結晶を単離することに成功し、この結晶を科学的に分析して人類がうまいと感じてきた味の正体が「グルタミン酸」であることを突き止めた(p190)その後にグルタミン酸ナトリウム(味の素の原型)の製造方法を開発し、特許を取得、製薬会社の経営者だった知人の「鈴木三郎助」に商品化を持ちかけた、その後、「味の素」という商品名で発売された(p190)
・世界初の乳酸菌飲料は大正8年(1919)に登場したカルピスである(p192)サンスクリット語で、この上なく美味しい、という意味の「サルピルマンダ」と「カルシウム」を掛け合わせた造語である(p195)
・地租改正は歴史上で例がないほどの大規模な農地解放であった、版籍奉還で各藩は持っていた領地を無償で国(天皇)に返した、その領地を新政府は事実上、農民に与えた。GHQの農地改革は、46%であった小作地をそのうち80%が買い上げられ小作人に売られたもの、規模は地租改正よりも小さい(p211)税率は土地代の3%、これは収穫した米の平均価格の34%程度であり、江戸時代と同等か若干低い程度であった(p212)農民一揆が大きているが多くは、江戸時代には年貢率の低かった幕府直轄領で起きている(p214)
・大正5(1916)年には東京、大阪で80%、全国でも40%の家庭に電気が行き渡っていた、当初は電灯だけだった電化製品も開発が進み、電気コンロ、アイロン、扇風機、トースター、電気ストーブ、冷蔵庫、洗濯機、掃除機、クーラーも登場していた
2021年1月1日作成 -
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明治維新を機に日本は一気に近代国家へ変貌した、というイメージを持っていましたが、果たしてそんな手品のようなことがなぜ日本で実現できたのか、ずっと不思議に思っていました。
この本の著者には今まで何冊か読んで多くの気づきを得たのを覚えています。それらの本を通して、明治維新後や戦後に素晴らしい成長を遂げたのには、それ以前に基盤が整備されていたからだと理解できました。
戦前や幕末はあまり良いイメージで伝えられることはなかっと思いますが、なぜ明治維新が成功したのかが、この本では経済改革という観点から解説されていて、とても興味深く読むことができました。
以下は気になったポイントです。
・日本が明治維新後に軍事強国になるためには莫大な資金が必要である、日本が成功した理由はその資金を調達できた、つまりは経済的な成功である(P3)経済改革として、世界中のどこの国にもなかった巨大な経済改革として、支配階級だった武士階級は全国の土地所有権を農民に無償で解放した(P4)華族、士族という肩書は残ったものの、明治国家の制度上では彼らに特権はほとんどなかった。手切れ金のような秩禄公債をもらったのみ(P31)
・明治維新とは、たんに支配者が変わっただけではなく、各地域がバラバラに統治していた封建制度から、中央政府が国全体を統括する、近代的統一国家になった(P17)
・鳥羽伏見の戦いにより徳川家を没収して駿府70万石にすることで、約726万石得た、敵対した諸藩から108万石、明治新政府は860万石の直轄領を得たが、財源はまったく足らなかった(P32)
・廃藩置県以前の明治の軍隊は、国が管轄するのは海軍のみ、陸軍は各藩が個別に編成していた、なので海軍費用ということで藩から上納金を拠出させていた(P37)
・廃藩置県の改革とは、1)行政権を藩から国に移した、2)徴税権を藩から国に移した、こと(P41)
・新政府は財政が厳しく、現金では支給できずに公債というかたちで支給した、利子率は220石以上の上級武士が5%、23石以上の中級武士が6%、下級武士が7%であり、その利子で食べて生きなさい、ということであった(P50)
・明治4年10月、郷士・百姓・町人由緒地地子免除廃止布告、が出させて年貢免除されていた地域の免除取り消しをした。つまり無税の農地を無くした。さらに12月には、東京府下の武家地と町地の区別を廃止する「地券発行地租収納布告」がだされ、両方から地租を課すことにした。これにより全国民に国家財政を負担させることになった(P57)
・明治政府の代表的な自由化政策は、1)職業選択、2)交通、3)居住移転、4)土地売買の自由である(P61)
・地租改正により収穫高に応じて税額が決まる江戸時代とは異なり、あらかじめ決まった額の税金を収めれば良いことになった(P68)明治維新直後に起こった農民一揆のほとんどは、旧幕府領であった、税の負担が大きくなったため(P69)
・明治政府は太閤検地以来の全国的な農地・宅地調査を明治9年に、山林・原野については明治14年にほぼ完了した。農地・宅地所有者は、603万人であった、この確定作業が、現在の固定資産台帳のもとになっている、これにより課税義務者も決定した(P73)これにより実は4684万石(改正前記録:3222)であることが分かった(P74)
・明治政府による「地租改正」は世界史的に例を見ないほどの大規模な農地解放であった、幕府は藩から取り上げた土地は、所有権としては農民に与えた。これほどの大規模な農地解放はいまだかつてなかった、戦後の農地解放は当時の小作地(全農地の46%)、農民の半分以下の小作農に与えただけであり、地租改正にくらべるとはるかに規模が小さい(P76)
・民部省改正掛は、活動期間2年ちょっとの間に、四民平等・廃藩置県・地租改正・鉄道建設・郵便制度・会社制度確立、など明治の需要な改革を主導した(P83)また旧幕臣によってなされていた(P100)
・富岡製糸場は官営工場の払い下げ令により、明治26年に三井家に払い下げられた、業績の良い工場は払い下げになっていないので、業績的にはあまりよくなかったと言える(P113)
・明治新政府は維新直後に戸籍をつくった、農工商をすべて平民としたので、士農工商は平等になったが、賎民という制度は残されていた、それを4年(1869)に賎民廃止令により廃止したので、四民平等が完結した(P117)
・日本は開国当初から強い輸出力を持っていたので、日本が急激に近代化し、軍事力をつけることができた、この要因は生糸である(P127)
・新政府が接収したのは、長崎製鉄所(のちの長崎造船所)、横須賀造船所、水戸藩・石川島造船所(東京都)などの11箇所の工場、佐渡金山、生野銀山高島炭坑(長崎)三池炭坑(福岡)などで、これらが明治政府の経済政策、財政基盤となった(P135)
・明治7年の台湾出兵の際、政府は兵員輸送のために13隻の汽船を購入したこれらは三菱商会に委託された、補助金をだして欧米に対抗できる海運会社に育成した、これが三菱財閥の起源である。(P142)
・兵庫商社というのは幕府肝いりで三井家などが参加して作られた貿易会社(慶応3年、1867)であり、日本の輸出入を一手に引き受けることを目的とした会社で、のちの総合奏者の原形である、大政奉還などにより計画は流れたが、発想は三井物産などに引き継がれた(P145)幕府に対抗して作られたのが、坂本龍馬の海援隊で、土佐藩に出仕させて長崎で商社を立ち上げ、長州薩摩の協力を仰いで商社をたちあげ、これは三菱商事に引き継がれた(P146)
・日本に初めて電信機が入ってきたのは嘉永7(1854)ペリー来航時であり、将軍への献上品のなかに電信機があった、これは公開実験されて当時の日本人を驚愕させた、それからわずか20年後には日本全国に電気通信網が引かれた、電通が開通すれば情報伝達が早まり産業発展に大きく影響した(P150)自国で電信事業を開始した日本は欧米なみに発展し、それを外国に委ねた清は、欧米列強に食い物にされた(P153)
・水力発電のおかげで電気料金が非常に安くなり、全国に電気が普及するようになった、工場ではボイラーを焚いて動力源を得るよりも電気を使ったほうが安くなり、多くの工場で電気を使うようになった。大正5年(1916)には、東京大阪で80%、全国で40%の家庭に電気が行き渡った(P156)
・国立銀行条例とは、国が定めた手順で銀行をつくれば、その銀行に通貨発行を認めるといいうもの、資本金の40%を正貨で準備し、残りは太政官札で政府に預ければ資本金の60%まで通貨を発行できるというもの、準備した正貨の1.5倍まで通貨を発行できる。これは民間銀行である(P194)
・改正後の国立銀条例では、資本金の80%を公正証書で政府預託し、20%の政府紙幣を準備金として用意すれば資本金の80%分の銀行券を発行できるもので兌換しない(P198)
・明治10年の西南戦争は、政府兵力で総勢5.8万人、戦死者は6200、負傷者9520人あまり、薩摩軍は4万人参加して半分が死傷した。これは戊辰戦争よりおはるかに大きな損害規模である。西南戦争の軍費は、当時歳入の80%(4200万円)であった(P201)
・明治維新により新政府は幕府の天領を没収しており、その天領を治めるために政府から知事を派遣していた(P208)
・国民が外国商品を買うときは日本の通貨でも買えるが、国家同士の輸出入の帳尻合わせは、最終的に「正貨」で行われる。(P214)
・通貨を安定させて正貨を蓄積するために、松方がやったのは、1)増税、これにより市中のお金を国庫に吸い上げた、醤油税・菓子税・売薬印紙税・酒造税・たばこ税など、2)官庁経費の削減、国費の一部を地方費に移し替えた(P217)
・明治15年6月に、日本銀行条例が交付されて、10月に日本銀行が営業を開始した(P222)
・明治維新は、それまで強い規制で武士や商人に集中していた経済力を国民全体に解放した、これにより民力を養い効率的に経済の高度成長をもたらした、つまり「経世済民:世を治め民を救うこと」を実現したが、アベノミクスにはその配慮はない(P234)
2020年10月11日作成 -
Posted by ブクログ
秀吉は家康と違い自分自身のバックボーンを持たなかった。版図を広げるたびに常に過度な褒美を与え続けなければならず、大盤振る舞いで天下統一事業は加速度的に進んだが、直轄領は思いのほか少なかった。また、天下を統一したということは与える土地がなくなったということをも意味する。無謀な朝鮮の役は必然であった。与える土地がないにもかかわらず徳川政権が長く続いたのはなぜなのか。戦国時代を経済の視点で読み解く。関ケ原開戦にあたって、三成に挙兵する隙を与えたこと。不利な陣形のまま臨んだこと。ギリギリまで動かなかったこと。天下分け目の大戦が数時間で終わったこと・・・・すべての謎が解き明かされる。三成についても多くの紙面が割かれており、ますます彼のことが好きになってしまった。
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Posted by ブクログ
若干とんでも本の芳香がするものの読み物としては悪くない。今まで知らなかった事実を知ることができた。まずは、第二次世界大戦に至るドイツの歩み。国内には「日本は石油を求めてアメリカと開戦した」故にナチスとは違うとする主張があるが、著者に言わせればドイツの参戦理由も同じく経済制裁であり英仏との経済戦争である。ちなみに、第一次世界大戦のドイツの賠償金の最後の支払いは2010年であり、かつまだ若干未払いが残っている(WIKIで確認)。ヒトラーのズデーテン・ポーランド侵攻は、第一次大戦で(不条理に)失った自国領土の回復運動。(ポーランド回廊だけにしときゃ良かったのに)だいたい、1939年にはヒトラーはノーベル平和賞にノミネートされている。もし彼が、ホロコーストに手を染めなければ時代の評価も変わっていたのかもしれない。
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Posted by ブクログ
戦争映画ばかり観て興味を持っていた大日本帝国。
コンビニで見つけ買ってみました。
『教科書に載っていない大日本帝国の真実』というタイトルですが、僕は教科書で近代日本史について全然勉強してこなかったので固定観念の無い自然な無知さで読むことができました。えっへん。
明治維新から太平洋戦争の終戦までの時代についての内容で、教科書を少し砕いたような表現で書かれている。
- 軍国主義の時代
- 暗黒の時代
- 日本中が戦争のために犠牲になった時代
と、日本人として目を背けたいこの時代だったが、本質的にはどうなのか?本来はアジア諸国の独立と解放についてアジアからリスペクトされないといけない存在なのにも関わらず、隣国との仲の悪さはなんなのか。
特に中国との間で遺恨が生じた『対華21箇条要求』については、日本人はあまり知られていないので面白かった。
この手のいわゆる戦争本は初めて読んだ。
著者の思想はあまり出ていない本だと思うので、どんな人にもオススメできる内容だと思った。
だが、同じ時代背景を別の視点ではどう見えるかも知りたくなったので、探し読むことにする。
この時代の戦争の背景を知らずして、今の外交は語れず。
日本人として知るべき重要ファクター。 -
Posted by ブクログ
太平洋戦争は軍部が独走したとか、戦争を避けるべきだった、実力に差がありすぎたのに無謀な戦いだった等と言われていますが、この本を読んで私の思い込みが少し変わりました。
戦争の前半では、当時世界最強と見做されていた英国を破って、最新鋭の戦艦や空母を壊滅させています。また、軍事技術や自動車等の生産も、アメリカに次いで世界で2位という実績を持っていたようですね。最も印象的だったのが、実は国民は戦争(及びそれによる好景気)を支持していたということでした。
戦争が終わってはや60年が経過して、身近に戦争を語ってくれる人がいなくなりましたが、戦争に関する一種のタブーのようなものがなくなって、この本の著者である武田氏のような人が、日本の当時の様子を伝えられる時代になったのでしょう。
武田氏が本の中で何度も強調しているように、日本のとった行動がベストであったとは私も思いませんが、過去の行動を議論するときには、現代の常識ではなく、当時の社会状況を理解してから行うべきだと思いました。
以下は気になったポイントです
・アヘン戦争とは、清への貿易赤字に苦しんでいた英国が、その赤字解消のためにアヘンを密輸、それを清が禁止すると武力で攻め込んだ戦争である(p15)
・日本経済を劇的に変えた改革が「地租改正」、それまでは取れ高に応じて決めていたが、土地に応じて税金を納めさせた、これにより安定した税収を得られるようになった、土地調査により、3222→4684万石あったことが判明した、商業地にも地租をかけた(p23、24)
・明治政府が自前で鉄道を作ったことは、外国からの侵攻を防ぐという意味で大きなこと、兵力x輸送力が軍事力である(p42)
・通信網を自前で作ることは、鉄道同様に重要なこと、外国に通信設備を握られることは、自国の神経を他国に支配されるようなもの(p49)
・維新後の教育制度は、四民平等により身分制度がなくなり身分を越えて教育を受けれるようになった、これは世界に先駆けている(p56)
・タイは独立を守ったが、19世紀までの領土と比較して 97→51万km2まで減少した(p59)
・欧米の兵を一旦撃退することができたアジア国は、実は薩摩、長州だけでない。韓国やアフガニスタンも撃退している、しかしその後に欧米列強と関係を築く努力をしなかったので、結果として帝国主義の餌食となった(p62)
・1876年(明治9)に新政府は小笠原が日本領であることを世界に通知し認められた、これにより日本はイギリス(1827年に領有宣言をした)から領土を分捕ったことになった、南鳥島、沖ノ鳥島が認められたのも小笠原諸島の存在が大きい(p72、73)
・戦前は所得税を払ったのは高額納税者のみ、一般人の賃金に税金が課せられるようになったのは、大戦直前の臨時特別税(源泉徴収)から(p97)
・日清戦争前に、日本は清に2度敗北している、1882年の壬午事変と、甲申事変(1884)(p111)
・清は定遠、鎮遠の2つの戦艦をふくむ4隻の軍艦を、1886年に補修という名目で長崎に入港し、威容を見せつける砲艦外交をしている(p113)
・1888年に鎮台制が廃止されて師団という組織になった、鎮台は特定の地域の鎮圧を主な目的にしているが、師団は活動範囲を決めない独立した軍隊である(p115)
・日露戦争の奉天会戦は、日本24万、ロシア36万が参加した、死傷者は日本が7万、ロシア9万人、これは日本の勝利と言える(p124)
・日本海海戦の勝利の陰の主役は36式無線機(p127)
・ゼロ戦の燃費はもともと良かったが、燃料タンク満タンにして2222キロ、これに330リットルの増槽をつければ 3502キロで当時の欧米の戦闘機の倍以上の航続距離(p144)
・中島飛行機は、直接アメリカ本土を爆撃するという、超長距離爆撃機「富嶽」を開発していた、B29よりもはるかに大きい、爆弾積載量はB29の2倍以上(p152)
・硫黄島の戦いにおいて、ミサイル兵器である噴進砲が 1945.2-3において配備された、これによりアメリカの上陸が延期となった(p156)
・酸素魚雷は、イギリスやアメリカの魚雷よりも、速度・射程距離・炸薬量すべてで優れていた(p159)
・殺人光線の研究は続けられ、マイクロ波により低空飛行をするB29のエンジンをストップさせる実験も計画されていたが終戦となった、このマグネトロン技術を応用したのが電子レンジである(p173)
・1942.3.11にマッカーサーはフィリピンからオーストラリアに移動したので、パターン半島の主力部隊が降伏、フィリピン全土のアメリカ軍が全面降伏した、これは史上初(p185)
・作戦行動中のイギリスの戦艦(プリンスオブ・ウェールズ)が、航空機の攻撃によって沈められたのは1941.12が初めて、セイロン沖海戦では空母「ハーミーズ」も轟沈(p191,194)
・アメリカ軍を最初に本格的に苦しめたのは、ペリリュー島の戦い、これは硫黄島の戦いの前に行われている(p202)
・小野田少尉は、陸軍中野学校出身の陸軍工作員、なので降伏後30年もルバング島に潜伏した、そのように命令を受けていたから、帰国したのは、当時の上官だった少佐により任務解除が行われたから(p212)
・日本が開戦前から保有していた領土を奪われたのは、1944.1のクェゼリン島の陥落から、それまでは英米の領土を奪っていた(p228)
2013年6月1日作成 -
Posted by ブクログ
中学高校時代ともに歴史の時間はあったのですが、現代史は殆ど学ばなかったと記憶しています。従って現代史は社会人になって、それもごく最近に本によって学びました。戦前の日本は資源もないのに軍部が暴走して無謀な戦争に突入した、というイメージが払拭されたのが、この本の著者である武田氏の書かれた本(戦前の日本)でした。
この本は、その本をバージョンアップしたもので、当時の大日本帝国の経済力が既に欧米と拮抗していて、戦後の急成長は奇跡というより「単なる復興」であることを説明しています。
日本が米国と戦争をすることになったのは残念なことですが、この本は、戦争に至った根本原因にも触れていると思いました。
以下は気になったポイントです。
・大日本帝国の成立に大きく関係している事件は、1840年のアヘン戦争(p14)
・東条英機は東京裁判の時に「この裁判はアヘン戦争に遡って双方を対象とすべき」と語った(p17)
・幕府から政権を引き継いだ明治政府は、国を代表する政権として幕府が諸外国との間で結んでいた条約も引き継いだ、なので成立半年で国際的に独立国家として認められた(p26)
・明治維新で行われた改革のうち、もっとも巨大なものは「版籍奉還=幕府大名の領地をすべて没収して国に返還」である(p31)
・薩長土肥の4藩は政府内で幅を利かせる内々の特権は持っていたが、制度としての「特権」は決してつくらなかった、戦勝軍としては世界史的に見ても異例(p33)
・1861年、ロシアは対馬の芋崎を占領した、幕府は困り果ててイギリスに協力を求めてようやくロシアは退去した(p40)
・明治政府は1871年に薩摩、長州、土佐藩からなる国軍(1万人)を創設した(p46)
・明治政府の指導者たちは、勝った軍さえも解体して政府の直属軍のみを正規軍とした、これに反発したのが、長州の萩、佐賀の不平士族、西南戦争である(p47)
・最初の徴兵制度では数%のみだったが、1937年には25%、1944年には77%、間際には90%が招集された(p50)
・義務教育の基礎となる学制を1872年に施行(学費無償化)して3年後には、日本全国で2.4万の小学校を建設(現在:2.6万)した(p62)
・帝国大学は創立順に、東京・京都・東北・九州・北海道・京城(韓国)・台北(台湾)・大阪・名古屋(p64)
・日露の緊張が高まった時、イギリスはその調停から手を引いて「日英通商航海条約=治外法権撤廃」を1894年に結んだ(p68)
・日清戦争当時の両国の財政規模は同程度(日本:9862万円、清国:12000万円)であった(p71)
・遼東半島は満州の南に位置していて、満州にとっての海の玄関口(p77)
・日清戦争の賠償金で八幡製作所が作られたのは有名だが、使われたのはほんの一部、ほとんどは軍備拡張に使用された(p86)
・1905.1に陸軍が旅順要塞の攻略に成功、太平洋艦隊が壊滅した、バルチック艦隊出撃して貫か月後のこと(p102)
・1873(明治6年)において輸入代金は発展途上国にありがちな「外国からの借入」ではなく、自国の産業力(生糸の輸出)で大量の物品を輸入していた(p110、112)
・兵庫商社は三井物産へ、海援隊は三菱商事に引き継がれた、商社の取引額は全日本の67%を占めていた(p117)
・日本は急激な経済成長をして、昭和初期にはイギリスと貿易戦争(綿製品)が起きていた、これは第二次世界大戦の要因のひとつになる(p120)
・自動織機とは、材料の糸が切れた時に自動で補充する機能がついた織機のこと(p123)
・自軍の武器をほとんど国産で賄っていたのは、米英フランスドイツのごく1部でそれに日本も入っていた(p126)
・昭和11年には自転車の生産量が100万台を越して機械系輸出品目の1位になり、イギリスは植民地に輸出された自転車に高い関税をかけた(p127)
・明治初期が外国から借入したのは、1)幕府がフランスから借りたお金を返すとき、2)鉄道敷設、3)武士の秩禄償還(p130)
・念頭に入れておくべきことは、軍部の暴走を国民は熱狂的に支持していた(p134)
・格差社会の証拠に、4大財閥(三井三菱住友安田)の資本金は全体の49.7%(p145)
・当時の国際取引は為替変動での差額は、最終的にゴールドで清算されていたので、ドルを買って利ざやを得るということは最終的に日本から金が流出すること(p148)
・当時の新聞は言論統制により戦争を煽るような報道をしていたわけではない、その前から好戦的な記事を書きまくっていた(p155)
・朝日新聞は戦争批判の記事を書いて、当時の総人口の7分の1にあたる軍関係者から不買運動があり、方針を変えた(p159)
・立憲政友会には三井財閥、立憲民政党には三菱がついてスポンサーになった、安田・古河・住友はそれぞれの政党に資金提供していた(p171)
・当時の総理大臣は基本的には他の国務大臣と同格なので、罷免する権利なし、不一致があった場合は内閣総辞職しかない(p175)
・明治政府の高官は欧米での「キリスト教」に対するものとして「天皇制」を用いた(p179)
・日ソ中立条約の締結の3か月後にドイツはソ連に侵攻したので、4国軍事同盟は結ばれなかった、第二次世界大戦のポイントはソ連であった(p198,202)
・幕末には3000万人の人口が昭和初期には6000万人、戦争前には7000万人、当初は南北アメリカへ移民させていたが新たな移民先を見つける必要があり、それが満州であった(p240)
・ベトコンのゲリラ戦術は日本軍が教えたもの、ベトナム戦争とは行われることがなかった太平洋戦争における日本本土決戦をベトナムで実行したもの(p249)
2012年6月16日作成 -
Posted by ブクログ
これはかなり面白い。戦前、当時の人々がどんな暮らしを送っていたかを小ネタ形式にコンパクトに揃えた、まさにタイトル通り「教科書には載っていない戦前の日本」でした。
当時のミステリを読んでるとちょいちょい出てくる『カフェーの女給』とはどんなお仕事だったのか(そして、どこまでエロサービスしてくれるものだったのか←!)が気になっていたのですが、本書でスッキリ解決。
吉原の遊郭の話から戦前の不良少年(今で言う、厨二病的な通り名やグループ名が格好良すぎる。笑)、白系ロシア人の移民の話があると思えば、丸の内サラリーマンの豪華なランチ事情、履き物を脱いで上がるデパートなど、もう、どれを読んでも「へぇー!」の連続。
多様かつ雑然とした当時の雰囲気が少し掴めた気がします。