あらすじ
●なぜ家康は三成に挙兵する隙を与えたのか?●なぜ家康はギリギリまで動かなかったのか?●なぜ三成が西軍を率いることになったのか?●なぜ三成は秀吉恩顧の大名から嫌われ、外様大名から慕われたのか?●なぜ真田は徳川の大軍を足止めできたのか? ──これらの謎も、経済で見ていくとスッキリ解ける! 「関ヶ原」を取り巻く点と点が一本の線になる痛快!歴史読本
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Posted by ブクログ
秀吉は家康と違い自分自身のバックボーンを持たなかった。版図を広げるたびに常に過度な褒美を与え続けなければならず、大盤振る舞いで天下統一事業は加速度的に進んだが、直轄領は思いのほか少なかった。また、天下を統一したということは与える土地がなくなったということをも意味する。無謀な朝鮮の役は必然であった。与える土地がないにもかかわらず徳川政権が長く続いたのはなぜなのか。戦国時代を経済の視点で読み解く。関ケ原開戦にあたって、三成に挙兵する隙を与えたこと。不利な陣形のまま臨んだこと。ギリギリまで動かなかったこと。天下分け目の大戦が数時間で終わったこと・・・・すべての謎が解き明かされる。三成についても多くの紙面が割かれており、ますます彼のことが好きになってしまった。