Posted by ブクログ
2012年06月09日
両親は戦前の生まれですが、戦前の様子を聞いた記憶がありません、幼かったので記憶がないのか戦後の苦しい思い出が強烈のようで、私にとって戦前の昭和は全くの未知の世界でした。特に戦後の奇跡の経済成長というのも、この本を読むことで、奇跡ではなく回復しただけという印象を受けました。
むしろ幕末や明治維新の...続きを読む頃の日本のほうが教科書によく載っていたのかもしれません。この本は戦前の日本が記されています、今まで知らなかった世界を垣間見て、興味深く読むことが出来ました。
以下は気になったポイントです。
・昭和4年の吉原では、泊まりが3~10円であり、現在の貨幣価値にすると、1~3万円である、1円=3000円程度(p26)
・覚醒剤の有効成分の一つであるメタンフェタミンは19世紀末に日本で合成され、1938年には疲労回復剤として大日本住友製薬から「ヒロポン」として発売された、1951年覚醒剤規正法により規制され現在に至る(p36)
・昭和4年(1929年)に飛行船(ツェッペリン号)はアメリカを出発してシベリア、日本を経由して世界一周をした。2500ドル=5000円(1ドル=2円)であり、家一軒が建てられる金額であった(p63)
・戦前の経済成長も凄いものがあり、1908~17年:3.09%、1918~27年:1.50%、1923~1932年:2.35%の成長があった、明治維新から第二次世界大戦前までの70年間で、日本の実質GNPは約6倍、実質賃金は約3倍、実質工業生産は約30倍、実質農業生産は約3倍である(p67)
・昭和4年(1929年)に始まった世界大恐慌において、日本は昭和8年には回復基調になり、9年には世界大恐慌以前の経済水準に復帰している、これは当時の先進国比較で5年も早い(p69)
・日本の綿製品の輸出量は、昭和3年にはイギリス製品の37%、7年には92%、11年には追い抜いている、輸出先はインド及び中国、これによりイギリスとの経済摩擦を生み、インド市場から締め出され中国(満州)に集中した、自転車も同様の状況(p75)
・昭和7年にはドイツなどの製鉄大国を差し置いて日本の鉄が選ばれた、その他にも、マッチ・洋傘・ブラシ等も世界的なシェアを獲得していた(p77)
・アメリカでエジソンが電気事業を始めたのは1880年であるが、そのわずか7年後には日本でも電気が通っていた(p87)
・1928(昭和3)年10月の人口調査によると、大阪市の人口は233万で、東京の221万人より多く人口首位であり、世界6番目の都市(ニューヨーク、ロンドン、ベルリン、シカゴ、パリ)であった、昭和7年に再編成した東京市に1位を奪われるが、文化や産業をリードした(p101)
・高校(全国に35校)に入学できたのは全体の1割程度であり超難関であったが、高校の定員と帝国大学の定員は同じであった(p117)
・明治初期の婚期は早かったが、昭和15年(1940)頃には、男性28歳、女性24歳が初婚の平均年齢であり、現在と比較してそれほど早くない、離婚率は3.39(昭和16年)であり、現在(2.30:平成14年)より高い(p127、130)
・昭和4年の平均寿命は、男:50.94、女:51.20歳であり、ローンを組めても15年程度であった(p141)
・明治22年(1889)に帝国議会がスタートすると、華族は貴族院になれた、公候爵は30歳以上全員に議席が与えられ、伯爵以下は半数を7年毎に改選、歳費(給料)はなし(p169)
・4大財閥(三井、三菱、住友、安田)は、終戦時の全国の会社の資本金の50%を占めていた、GHQに解体された財閥は15(p172)
・徴兵忌避の方法として、270円(現在の270万円)の支払いや、長男になるための養子縁組、明治16年の法改正後は、学歴(26歳迄)があった(p209)
・多摩は軍都であったので20万人もの労働人口がいた、戦前は国家予算の30~80%が軍事費(現在は6%程度)であった(p215)