高野悦子のレビュー一覧
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【きっかけ】
社会派ブロガーちきりんさんが紹介されていた書籍で気になっていた本。「独りであること、未熟であること、これが私の二十歳の原点である」というフレーズがあまりに印象的。私も本を読む前にこのフレーズを先に知ってだいぶ前から気になり続けていた。今年、明石市の泉元市長がtwitterでこのフレーズを引用していたことをきっかけに、気になっていたことを思い出し、このたび読んでみました。
【感想】
全体的に重苦しい内容だということはわかったうえで、最初に巻末の高野悦子さんの経歴を読んでから本編を読みました。当時の学生運動や政治についての彼女の考え・思想は正直読みにくい。が、「独りであること、未熟で -
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あまりに切実だった。
純粋な少女にとって、上洛後目の当たりにした世間、大学、時代は余りに圧倒的であったに違いない。
唐突に現れた抱えきれぬような社会の多様性、そして必死に"自由・平等・真理"を求めつつも画一的な"実力排除・闘争"に教義を求めてしまう学生運動。
高野さんはこれらに違和感を抱きながらも、ひたむきに自己を見出そうともがいていた。
自分探しにおける彼女のアプローチは、自身も社会の中の1人として生きているという前提を失っているように思える(自覚しようと試みるものの自覚しきれていない)。自己は世界の全てから断絶された場所に存在する丸裸の自分であ -
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学生運動の時代を生き、そして自らの命を絶った女学生の日記。「独りであること、未熟であること、これが私の二十歳の原点である」という有名なフレーズは刺さるものがある。
主な感想は以下の3つ。
1. 最後の日記の2日後に筆者は自殺する。そして、この日記を遺品として見つける筆者の両親はどんな気持ちだったのだろう。「なぜ、娘の心の揺れに気づき、手を差し伸べてやらなかったのだろう」悔恨の念はすさまじいものがあるだろう。
2. この時代に私が生まれたら、似た考えをを持ったのだろうか。今の日本では、学生運動や大規模なストライキというのは、あまり起こりえない。筆者が生きた非日常が連続する時代において、私は筆 -
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この本、大学生になった時に出会った本です。
俺何してるんだろうと考えたり、このさきどうなるんだろうと感じていた時代です。
私が大学に入ったころすでに景気は下降に入り、でもその出口がこんなに長く見えないなんて
考えもしなかった・・・
これは、高野悦子さんの自伝的日記です。
1960年代の学園闘争が背景にあります。
学園闘争に自問自答をしながら参加したり、離れたりを繰り返す。
理想と現実、人とは何か、自分とは何かの自問を繰り返す
彼女の生き様が凝縮された1冊
60年代最後の年彼女は自ら命を絶つ
この記録は20歳前後の私には衝撃を与えました。。。
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関川夏央の「昭和時代回想」に高野悦子のことが書かれている。
以下引用。
「日記をつぶさに読めばわかるが、高野悦子は素直さ、明るさ、真面目さを併せ持った人である。いい職業人、いい奥さん、いい母親になれた人である。ただ野太さという資質、またはなにごとにつけ四捨五入ですませられる生活者の融通のみが欠けた彼女を、意味なく悩ませ焦燥させ、ついに死を選ばせたものは、六十年代後半という時代の空気に底流した軽薄な悪意である。かん高い「連帯」のかけ声こそ誠実と純粋を信じた若い女性にいたむべく孤絶をよびこみ、「性の解放」はどこにも達し得ない新たな迷路を出現させただけだったのである。」
高野悦子が亡くなったのは -
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『二十歳の原点 ノート』『二十歳の原点 序章』に続けて読んだ。死の直前まで綴られた最後の日記は、文章の密度・緊張感ともにどんどん高まってきている。
学生運動にもどこまでも真面目に取り組む著者。アルバイト労働者としての自分を見つめ、学費不払いを選び、それをきっかけに家族との訣別を選ぶ。家族には安らぎを感じつつも、自身が思想を深めれば深めるほど、食い違いが大きくなっていくところなどはよくわかる。だが当時の雰囲気や思想の内容にリアルな実感を持てない私には、距離を感じざるを得ないところがある。
しかし「四角い言葉」を操る一方で、恋人を求め、孤独感に苛まれる二十歳の女の子である。ふとした拍子に等身大 -
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高野悦子の日記も二冊目に入り、死をにおわせる記述が増えてきて、どきりとさせられる。
立命館大学に入学して、京都での生活が始まる。部落研に入って活動したり、勉強しなくちゃとがんばるが、だらだらした生活に流されてはまた自分を叱咤する。
学生運動の時期、それらしい記述がたくさん出てくるが、時代の空気を知らない私にはピンと来ないところも多くて、少々残念に思う。
男性にあこがれたり、そのあこがれは本物かと自問したり、真面目で不器用なところは中学生の頃から変わっていない。
部落研をやめてワンゲルを始め、そこでも自分の居場所、自分の気持ち、自分の行為について厳しく反省を重ねていく。
彼女が女性であ -
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