【感想・ネタバレ】二十歳の原点ノート [新装版] 十四歳から十七歳の日記のレビュー

あらすじ

[新装版]『二十歳の原点』三部作の第一弾となる本書は、二十歳と六か月で、その生涯を自ら閉じた著者が、十四歳から十七歳までの青春時代を綴った日記です。自分自身、両親、姉弟、クラスメイト、部活動の仲間…について語られていく少女の際立った感受性豊かな、心の断片を繋いだ記録です。本来他人に読まれる機会のない日記という形態だからこそ、自己の深い内面が何のてらいもなく披露された、この稀有な青春の手記にぜひ触れてみてください。痛々しいまでの純粋さとは、普遍性を持った文学的なテーマであることを思い出させてくれるはずです。新装版は、当時の時代背景を知らない世代にも読みやすいように一部脚注を付しています。また、著者が実際に日記を綴っていた大学ノートが横書きであったことを考え、より“個人の日記”という雰囲気を感じていただくために横書きの文字組デザインに変更しています。帯の推薦文は「この本はわたしの『青春のバイブル』の一冊でした。――桜庭一樹」。

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Posted by ブクログ

「独りであること、未熟であること、これが私の二十歳の原点である」

1969年6月、立命館大学の学生であった高野悦子が自ら命を絶った。享年20歳。『二十歳の原点』は彼女が書き残した日記である。1969年1月2日、20歳の誕生日からそれは始まる。

立命館大学文学部に入学した後、彼女は読書やアルバイト、そして学生運動との狭間で、自己を確立しようと努める。考え、迷い、悩み、叫び、行動を起こす。喫茶店「シアンクレール」で思案にくれ、あるべき自分を模索し続ける日々。

時として、その終着点は「死」に向けられた。しかし多くの場合、彼女は「生」への強い想いを抱き続ける。明るさとせつなさを交錯させながら、強く生きることを切望する。

6月22日、彼女は長い長い日記を綴る。睡眠薬を大量に飲みつつも、それに打ち勝って眠らずにいられるかを試し、最後に一編の美しい詩をうたう。それが彼女の最後の日記となった。

20歳の日々。何を考え、どのように生きていただろうか。そんなことを考えさせられる本でした。

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2011年07月13日

Posted by ブクログ

20歳と6ヶ月の若さで自ら命をたった高野悦子の14歳から17歳までの日記です。僕がこの本に書かれた年齢のころはバカなことばっかり考えていました。





この書評を書くためにもう一度、この本を読み返していました。これは、多感な年頃といわれる14歳から17歳までの3年間を高野悦子がつづった日記です。

自分自身の中学、高校のころを考えても、これだけ厳しく自分の内面を見つめたことはありませんでしたので、正直、『中年の門』が目の前に差し迫っている身の上としては読んでいてかなり息苦しゅうございました。

時々勉強を怠けたり、感情的に不安定になる箇所が見受けられるのは思春期特有のものなのでしょう。そして宇都宮女子高校に入学した彼女はバスケットボール部に入部しますが、心臓を患いマネージャーに転向しますが、後に退部してしまいます。

正直、この辺のところは僕自身も似たような経験をしているので、(とはいっても病気ではないのだが)彼女のことは人事とは思えませんでした。そして大学を受験する際の心の揺れ動きは、自分自身の浪人時代を思い出して、かなり気分が重くなったことを覚えています。

そして、彼女があの怒涛の大学生活になだれ込むのかと思うと、読んでいて複雑なものを感じずにはいられませんでした。

今、手元に在りし日の彼女が正面を向いてはにかむ様にして笑っている写真があるのですが、もし許されるのならば彼女をそっと後ろからぎゅっと抱きしめて
『僕が傍にいるよ、それじゃダメか?カッコ(高野悦子のあだ名)…。』
と耳元でささやきたい衝動に駆られます。

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2011年07月08日

Posted by ブクログ

新装版でない、古いデザインの方を購入。
強い自意識のもと、言いようの知れない焦燥感を抱く筆者の心情が赤裸々に(日記なので当然ではあるけど)しるされている。常に自らに問いかけ、自らを駆り立てさせる生き方に考え込まされる。

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2009年10月28日

Posted by ブクログ

みんな最後のオチを知ってから読むんだろうけども。
読んでいて、ドキドキしてきます。
人の日記を隠れ読む背徳感もあり、自分が同じ年のときは何も考えてなかったなと後悔感もあり、読んでいてさまざまな感情が湧いてくる本です。

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2014年06月24日

Posted by ブクログ

この本を紹介された桜庭一樹さんも、高野悦子さんが親と同じ年代だと書かれていたが、同じことを思った。
最後に自殺される事がわかって読むと切なくなる。
けど、それがないとなんてことはない誰かの日記かも…
それにしてもあんまり勉強していないようでいて立命館大学に入れたのだから頭良いのだなと思った。

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2024年06月21日

Posted by ブクログ

ネタバレ

 40年前の高校生はいろいろ考える事があって、大変ですね。しょっちゅう、明日からホンキだす、みたいな宣言があるのは、今と一緒ですね。

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2012年12月08日

Posted by ブクログ

二十歳で命を絶った高野悦子の十四歳から十七歳までの日記。

私も日記は飛び飛びになりながらもつけていたので(今はもう残っていないけど。残しておけばよかったな)、なんだか懐かしいような気持で読んだ。

彼女の日記を読んで受けるのは「なんて自分に厳しい人なんだろう」という印象だ。「思想は裏付ける行動を必要とする」なんて中学生で書くんだもんな。二十歳で自ら死を選んだという出来事を知っている読者にとっては、彼女の真摯さは痛々しくも感じる。だが、それはあくまでも未来から過去をさかのぼって見た時の話である。

定期試験の点数、勉強の予定、読んだ本。バスケットボールの練習メニュー、心臓の病気のこと、部活をやめるときの葛藤。友達に対する優越感、劣等感。志望校をどこにしようか、どんな勉強をしようか。女性としてどんなふうに生きていけるか。

先に起こることを考えずに彼女の記述に寄り添えば、私よりも少しだけ真面目でストイックで内省的で不器用でもあるかもしれないけど、同じクラスにいたって全然おかしくない、ひとりのふつうの女の子だと思う。生徒が記す葛藤と通じるところも多い。

一冊読み通して面白く感じるのは、年齢が上がるにしたがって書かれている文章も少しずつ大人っぽくなっていくこと。また、非常に理屈っぽいことを論じるかと思えば、さらりと書かれた詩が結構すてきだったりのも印象的だった。

決して要領の良いタイプではないけれど、知的で魅力的な少女。彼女が今後どんなふうに成長していき、あの結末につながっていくのか、とても気になる。

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2010年12月16日

Posted by ブクログ

「普通の少女が描き出した文章から溢れ出る純粋さ、愛おしさ・・・。二十歳で命を絶った彼女が、駆け抜けた青春のすべてが刻まれた愛と死のノート」。

こういう惹句に、僕は基本的に嫌悪感を覚えるほうだ。別に彼女に罪はないのだけど、「夭折」した「かわいらしい少女」(写真を見るとたしかにそう感じる)が書き続けてきた「純粋さや愛おしさが溢れたノート」という構図自体に、「良く出来た商品」としての構図を見てしまうからだろう。

この本は、1969年に鉄道自殺を遂げた高野悦子の、14歳から17歳までの日記が綴られたノートである。実際に読んでみると、そういう商品的な構図とは別に、この少女が本当に真摯に「克己」を目指していたことが伝わってくる。常に自分の行動を振り返り、反省し、本を読み、・・・14歳の頃からよくもこんなに自分に厳しい姿勢で臨めるなあと思ってしまうほど。もちろん一方では学校の勉強がつまらなくて試験勉強をしなかったり、進路に悩んだりと「中高生らしい」場面も出てくるのだけど、全体的には彼女の「痛々しい」までの「成長しなければ!」という熱い思いが伝わってくる。

この人は凄い、とは思うが、そういう生き方が果たして幸福なのかどうかは、僕にはよくわからない。彼女の日常には、ある種の息苦しさが常につきまとっていたのではないか、そんな心配もしてしまう。彼女のまっすぐな生き方は、彼女自身に、幸福と不幸のどちらを多くもたらしたのだろう。

この本、1970年代のベストセラーだったらしい。彼女の生き方は、当時の若い世代に共通したものなのだろうか。それとも当時にあっても、こういう生き方をするごく一部の人々の抱える難しさを皆が感じ取り、そこにある種の憧れや憐れみという共感を寄せたのだろうか。

当時の若い人たちが、この本をどのように読んだのかを知りたいと思う。そして、今の若い世代である僕の中3の生徒達が、高野悦子さんのような生き方をどう感じるのか、それもぜひ聞いて見たい。

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2010年12月03日

Posted by ブクログ

2010.01.22. やっと、読み終わった。人の日記が、こんなにも生々しくしんどいとは。本のタイトルと著者だけは聞いたことがあって、昔、流行ったとかナントカ。興味本位で読み始めたんだけど、14歳からの心の激しい揺れや葛藤が、本当に細かく書かれていて、読んで疲れた。とにかく、「頑張らねば!」と思い、計画を立ててはうまくいかず、落ち込む→「頑張らねば!」の日々。もう少し、休憩したら…と声をかけたくなる。それにしても、日記に名前を付けて呼びかけるのが流行ってたのかしら?最初は「小百合さん」、次は「ジュディーさま」。うちの母も、中学生の頃「キティ」と日記に呼びかけていたそうな。

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2010年01月28日

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