瀬川拓郎のレビュー一覧
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我々日本人がもしかするとありえたかもしれない時代を考察する書籍
基本的には北海道、東北北部を中心とした縄文人の末裔に関する歴史や文化の歩みを考古学の観点から考察していく流れで進んでいくが、読み進めていくうちに鉄器などの技術は和人から流用するにも関わらず何故縄文人は和人の文化に染まりきろうとしないのか?という疑問を抱き続けるようになった。
しかしそういった疑問を(そういう読者もいると想定したのか?)終盤で解決させる構成からか今まで知ってきた歴史の見方が変わり視野が広がったように感じるようになった。
もしかしたら現代社会の構造が実は彼らよりも進歩的ではないのではないか?そんな事も考えさせられる内容 -
購入済み
アイヌの歴史を知るには良い本
直木賞受賞の「熱源」を読んでアイヌに興味を持ち購入。
北海道にいくつもの文化圏があったことを初めて知り驚いた。
北海道のあの広さを考えたら当然と言えば当然かと納得。
たくさんの物を持つ者は権力を持ってしまうと言う理由から、自分達の文化内では物々交換をしないことで、平等性を保ち続けると言う考え方は興味深い。
おそらく当時の人口の少ない時代だからこそできることだったのだろう。
今なら一つの集落単位や、サークルほどの単位でなら出来そうだ。
資本主義万歳!お金万歳!個人の自由万歳!の現代ではこんな考え方の社会はまず無理だろう。
でも現代社会に疲れて別の生き方をしたいと思う人にとっては、1つの指針 -
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縄文文化、アイヌ文化、南島(鹿児島など)海民文化に、共通性が見られる、というところから、そこに残っているのは縄文の思想ではないか、という視点から書かれた本。
(縄文文化に文字はないので文献等から知ることはできない)
根底には、農耕(日本の弥生時代)を起源とする資本主義社会の生きづらさへに対するヒントとを縄文思想に求めようという著者の意図が伺える。
弥生の農耕文化が朝鮮半島を経由して日本に広がったことはほとんど間違いない。
このとき、縄文人は弥生人に駆逐されたのかというと、遺伝子が大陸の人々と十数%異なることから、縄文人は弥生人と同化もしたであろうことが書かれている(逆に言えば現代人の80%以 -
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シャーマンキングやゴールデンカムイなどの漫画からアイヌに興味を持つようになり、ちょうど筑摩書房のセールもやっていたため購入。
縄文人の末裔であるアイヌの歴史を振り返りながら、同じ祖先である縄文人の縄文思想とは何だったのかを考えていく内容です。
これは良書ですね。
遺伝子的な部分だけではなく、言語や文化、風習などといった多角的方面からアイヌの歴史について述べています。
そして参考文献の数がすごい…。
アイヌを語るのに欠かせない本州との関連や中国やロシアなど大陸側との関係にも言及されており、より理解が深まります。
今のアイヌはただ縄文人が外部の文化を受け入れずに現代まで続いているのではなく、様 -
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昨年「第3回古代歴史文化賞」の大賞を受賞するなど、なにかと話題になった本。
これまで関連本を何冊か読んだり、博物館などを見て来た限りでは、アイヌ民族の自然や野生、道具への畏敬とか、世界観とか、サステイナブルな生き方とかにスポットが当たったものが多かったように思う。もちろんそれも一面の真実だろうけど、人間社会だもの、そういう文化的な美徳ばかりではないだろうなという、どこか収まりの良くなさも感じていた。
この本は、今まで見ていたそうした風景に一石を投じてくれる。すなわち、オホーツクや大陸東北部の先住民、和人との交易や、砂金の採掘や取引という、いわば経済的な側面を、考古学の知見などに照らしながら -
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北海道の縄文人の食事は肉食主体で、オットセイやアザラシなど海生哺乳類に偏っていた。本州では一定期間飼育した子イノシシを殺す祭が行われていたが、北海道にはイノシシが生息していないにもかかわらず、祭りを行うために本州からイノシシを入手していたらしい。著者は、このイノシシ祭りがクマ祭りのイオマンテに変容したと推測している。
本土の弥生・古墳時代は、北海道では続縄文時代が並行する。1世紀以降、東北北部では水稲耕作が行われなくなり、人口が減少していた。4世紀になると北海道の人々が東北北部に南下し、古墳社会の前線地帯である仙台平野と新潟平野を結ぶラインまで進出した。続縄文時代には、皮なめしの石器が大量に