角地幸男のレビュー一覧
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2023年刊。著者はキーンの長年来の友人(26歳下)。彼の著作も十数点翻訳している。
冒頭の章は「ドナルド・キーン小伝」(これのみキーン存命中の執筆)。キーンの自伝には4種類あるが、それらのコンサイス・バージョンといえる。亡くなる少しまえ、キーンも目を通し、お墨付きを与えている。
本書の目玉は、「私説ドナルド・キーン」の章。なぜ自伝を4つも書かなければならなかったのかから始めて、なぜ国文学や日本文学の研究者はキーンの仕事を黙殺(orスルー)するのかについて考察している。そこからキーンの仕事の本質が見えてくる。
なぜキーンは日本語で書けるのに、英語で書き、気心の知れた翻訳者に日本語にしてもらおう -
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若き日のドナルドキーンさんのエッセイ書評集。
1955年から1987年までの約30年間に、ニューヨークタイムズへ寄稿した27本のエッセイを収録している。 日本に関わる様々な本や文化に関する考察、苦労話、旅行記などを紹介しているが、面白かったのは日本文学の翻訳について。 日本語の微妙なニュアンスをどう英訳するか色々苦労があったらしい。
当時の欧米文化人達のアジア文学に対する偏見、戦後の日本人の変化、川端や三島など親しかった日本人作家の話、東京や瀬戸内の旅行記など、様々なジャンルについて自身の考えが述べられており大変面白かった。
またメトロポリタン美術館の日本展示室開設の経緯についてのエッセイも -
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「序にかえて」を一読すれば分かるように、著者の吉田健一に寄せる思いは、単なる作家論の対象であることをはるかに超えている。初めてその文章に出会った時から実際にその謦咳に接するまで、まるで道なき広野を行く旅人が辿る先人の足跡のように、著者は吉田がその著書でふれた内外の書物を取り寄せては読み漁っている。それだけに、吉田健一その人と文学について、ここまで迫った論を知らない。
吉田健一の文章には独特のくせがあり、名文と評価する向き(三好達治、草野心平)もあるが、恣意的な切れ目や、息遣いに合わせて適当に付される読点に狎れた現代人に、吉田のそれは、やたら迂回しては横道にそれたがりいつまでたっても結語にたど -
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戦時中と戦後間もなくの時期の作家の日記。断片的に高見順の日記の一部の文章がどこかに引用されていたのを読んだことがあり、関心があった。それより、平野啓一郎の『文学は何の役に立つのか?』でこの本が紹介されていたのが読むきっかけとなった。
やはり非常に考えさせられる。国が国民に要請すること、教えることを自分としてどう受け止めるのか、その上でどう行動するのか、という問題。
作家だけに日本の社会観なり思想との葛藤があるかと思いきや、意外にもすんなり皇国イデオロギーを内面化している人が多かった。
そんな人が日本の敗戦や占領という事態を迎えて何を思ったか。日記ならではの遠慮のない言葉が並ぶ。 -
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ニューヨーク・タイムズ誌に1955年から1987年まで掲載されたキーンさんの書評やエッセイを時系列に掲載した本。
あとがきに記されているように「ニューヨーク・タイムズ」から見た「日本の戦後史」のように楽しめた。
半世紀以上前の日本人や日本社会について語られている部分では、驚くほど今と変わっていない部分が多くあってびっくりした。
“順応しなければならないプレッシャーが非常に強い日本では、憤懣が発散される力強さにも驚くべきものがある。かりに坐る席がないという恐れがない場合でも、駅で人を押しのけて電車に乗るときに日本人が示す無作法は、日本人の優雅な礼儀正しさについて読んだことがある外国人をびっくりさ -
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本自体が薄い上質な紙でつくられています。そして「キーンさんという陽の温もりを一身に浴びて、その恵みに守られて生きて来たような気がする」という言葉に端的に表現されているように、相互の慈しみが感じられます。
日本語のもつ象徴性の高さに魅せられたドナルドキーン。「時には、詩人が一篇の詩の終りまで全く違った二組の影像を並行させて、少しも破綻を来さずにいることもある」という例として、
消えわびぬうつろふ人の秋の色に身をこがらしの森の下露
という藤原定家の歌を引きます。恋人に捨てられる人を描いただけでなく、風吹く森の消えそうな露をも、二つの同心円的に描いている、とのこと。確かに、どうして自然の円も描 -
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24才で老父母、きょうだい、妻、子どもを扶養するのが当時の長男。「ジェンダーギャップ指数」というと、女性が権利を主張している話題、と取られがちだが、彼の人生からは、家制度が男性を縛ってきたものにも気づく。
女性問題、借金etc.情状酌量の余地はないとはいえ、100年以上早く、個であろうとして苦しみ、成し遂げたことの価値を知らぬまま26才で生涯を終えたことに、現代を生きる一人の母親として悲しさだけを感じる。
その葛藤の中で詠んだ歌に、今、どれだけ多くの人たちが救いを感じていることか。
膨大な資料に当たったドナルド・キーンさんと角地さんの名訳のおかげで、そんな思いに至りました。 -
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「山田風太郎の日記を読んでわかったのは、それまで人は読んだ本によって自分の性格や信念を形成すると思っていたわたしの考えが間違いであるということだった。」
著者は冒頭近くでこのように述べている。本書は、タイトルこそ「日本人の戦争」とされているが、副題の「作家の日記を読む」の通り、戦争についての著作という要素よりも、作家たちが日記の中で示す戦争に対する態度の紹介を通して、実はもっと普遍性のあるテーマについて書かれていると思われた。
ここで取り上げられているのは、一般市民ではなく、その時点で、またはのちに文豪と呼ばれるほどの作家たちの日記である。すなわち、インテリ層とみなして良いのだが、どんなに