角地幸男の一覧
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ユーザーレビュー
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若き日のドナルドキーンさんのエッセイ書評集。
1955年から1987年までの約30年間に、ニューヨークタイムズへ寄稿した27本のエッセイを収録している。 日本に関わる様々な本や文化に関する考察、苦労話、旅行記などを紹介しているが、面白かったのは日本文学の翻訳について。 日本語の微妙なニュアンスをど
...続きを読むう英訳するか色々苦労があったらしい。
当時の欧米文化人達のアジア文学に対する偏見、戦後の日本人の変化、川端や三島など親しかった日本人作家の話、東京や瀬戸内の旅行記など、様々なジャンルについて自身の考えが述べられており大変面白かった。
またメトロポリタン美術館の日本展示室開設の経緯についてのエッセイも興味深かった。 自分も2度メトロポリタン美術館に行ったが、多くの展示室を限られた時間で巡ったため、日本展示室は素通りしてしまった。 開設の経緯を知っていたら、見に行ったかもしれない。
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取り上げているテーマは戦後文学、女流の復活、そして三島由紀夫。キーン氏の三島由紀夫に対するあたたかなまなざしも感じる。
Posted by ブクログ
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「序にかえて」を一読すれば分かるように、著者の吉田健一に寄せる思いは、単なる作家論の対象であることをはるかに超えている。初めてその文章に出会った時から実際にその謦咳に接するまで、まるで道なき広野を行く旅人が辿る先人の足跡のように、著者は吉田がその著書でふれた内外の書物を取り寄せては読み漁っている。そ
...続きを読むれだけに、吉田健一その人と文学について、ここまで迫った論を知らない。
吉田健一の文章には独特のくせがあり、名文と評価する向き(三好達治、草野心平)もあるが、恣意的な切れ目や、息遣いに合わせて適当に付される読点に狎れた現代人に、吉田のそれは、やたら迂回しては横道にそれたがりいつまでたっても結語にたどり着かないまだるっこしい書きぶりのように思えるかもしれない。しかし、それには後で述べるように深い意味がある。
吉田健一は、父茂の領事赴任に従って六歳で中国、七歳でパリと転地を繰り返し、八歳の歳ロンドンでイギリス人小学校に入学、十四歳で帰国するまで彼の母国語は英語であった。十八歳で再び渡英し、ケンブリッジ大学キングス・コレッジに入学する。そのとき受験勉強にシェイクスピアの『十二夜』全文を暗記したというから凄い。しかし、師であるディキンソンの教えに従い、在英わずか十ヶ月で帰国する。せっかく絶好の環境にあったのになぜ帰国を選んだのか、というのが角地の疑問である。
健一の帰国に関しては、清水徹の『評伝 吉田健一』に、「ある種の仕事をするには、故国の土が必要だ」というディキンソンの言葉が引かれているように、日本で「文士になるため」であったろうという了解がなされている。だが、それだけなら、無事卒業してからでも遅くはない。もっと切羽詰った理由があるのでは、と考えた角地が見つけたのは、「母国の喪失」だった。無論、この母国とは英国である。ケンブリッジで暮らす毎日が文化的に満たされた美しいものであればあるほど、健一はそこで自分がアウトサイダーであることを思い知らされたはず。そして故国喪失者は、何としても早急に新しい故国を発見する必要があった。吉田健一にとっては、それが日本であった。
では、当時の日本の文学的状況はどうだったのかといえば、英国で文学とは何かということを突き詰めようとしていた吉田の目から見れば、故国のそれは惨憺たるものであったというほかない。文学に文学でないものを求めるがゆえに、文学と呼ばれているものの中には文学でないものが大手を振って歩いていた。帰国した吉田の仕事は、それらと真っ向から対決することから始められた。
吉田健一の代表的な著作、『乞食王子』、『大衆文学時評』、『金沢』をとりあげ、その中からこれと思われる文章を引きつつ、当時の吉田がやらねばならないと思っていた仕事(上記「ケンブリッジ帰りの文士」)や、思いがけず成し遂げていたエクリチュールの達成(「乞食王子のエクリチュール」)、畢竟文学には読める本と読めない本しかないと喝破して見せた「シェイクスピアの大衆文学時評」、そして畢生の名著『時間』を書き上げるに至った契機となった小説執筆の秘密(「時間と化した物語作者」)にふれた四章に、著者はじめての本格的吉田健一論である「時間略解」を併せて収める。
吉田健一の文学について、その愛着を語った文学者は河上徹太郎、中村光夫をはじめ、枚挙に暇がないが、ここまで、その文学が目指した志の高さ、思惟の深さについて触れ、引用の煩瑣を恐れることなく精密な考察を尽くした論をはじめて読んだ気がする。一読後、引用された吉田の文章をもう一度その本文の中で味わいたくなり、書架から『文学の楽しみ』を取り出し再読した。以前は難解とも感じた文章が嘘のように明快に読み取れることに驚きを禁じ得なかった。その文章がなにゆえ、難解と思われがちであるのか。それについて触れた吉田本人の文章を引用し、その答えとする。
我々には何か書く時に我々に既に持ち合わせがある言葉と文体で表せる範囲内に書くことを限る傾向があり、勢ひそれは他のものも書き、又読者の方でも大方の見当を付けて期待してゐることでもあるから書くのに苦労することがないのみならず出来上つた文章が解り易いといふ印象を与へる。(中略)併し我々が実際に或る考へを進めるといふのは話を先に運ぶ言葉を探すことに他ならなくてその上で言葉を得ることは考への進展であるとともにそれを表す文章の開拓でもあり、かうして考へが言葉の形で進んで終りに達した時にその考へも完了する。(中略)書く方は言葉とともに考へを進めるのであるよりも自分が得た言葉に導かれて一歩づつ自分が求めてゐることに近づき、これを読む方でも同じことをして書く方に付いて行くことになる。それは書くものにも読むものにも或る程度の努力を強ひずには置かないがそれを読み難い、書き難いとするのでは言葉を使ふといふことの意味がなくなり、ヴァレリイを読んでゐて気が付いたもう一つのことといふのはヴァレリイにあってはこの努力が当然であるのを通り越して極めて自然な形で行はれてゐることだった。(『書架記』「ヴァリエテ」)
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「山田風太郎の日記を読んでわかったのは、それまで人は読んだ本によって自分の性格や信念を形成すると思っていたわたしの考えが間違いであるということだった。」
著者は冒頭近くでこのように述べている。本書は、タイトルこそ「日本人の戦争」とされているが、副題の「作家の日記を読む」の通り、戦争についての著作と
...続きを読むいう要素よりも、作家たちが日記の中で示す戦争に対する態度の紹介を通して、実はもっと普遍性のあるテーマについて書かれていると思われた。
ここで取り上げられているのは、一般市民ではなく、その時点で、またはのちに文豪と呼ばれるほどの作家たちの日記である。すなわち、インテリ層とみなして良いのだが、どんなに高い程度の教養を備えていると考えられる人々であっても、現代の私たちからすれば、およそ理性的とは言えないような考えを日記に記している実例が多くみられる。このことは、自分にとっても驚きだった。
そのこと自体が良いことなのか悪いことなのかについては、著者は安易に見解を述べていないが、あらゆる「主義」に我慢がならなかったという渡辺一夫先生や、自由であることを何よりも大切にしていたという内田百間等は、好意的に紹介されている。本書において理性的であるとは、特定の思想や主張に偏っているのではなく、それらから自由でありフラットであることを意味していると思われたが、戦争のような未曾有の非常時においても、人は理性的でいられるものだろうか。いくらたくさん本を読み、しかも自国のみならず海外文学も相当量を読んでいるとしても、また、海外留学の経験や外国人を配偶者にしている場合でも、それでも人は、後からみればどんなに偏った考えからも、逃れることができないのだろうか。
例えば、これは本書以前にも読んでいて感じたことだけれど、山田風太郎の日記には、敗戦後こそトーンが弱まっているように思うが、戦中は最後の一兵になっても戦う姿勢や、米英憎しの思いが率直に語られている。どちらかというと私は、山田風太郎の「小説」からは、シニカルで、世間ではそう思われていても、実のところ人間なんてそんなものだ、といった思いが読み取れるように感じていた。長いものに巻かれるような考え方ではなく、人の本質を追求するような見方をする作家だと思っていた。しかし本書に引用されている山田の日記からは、今の視点から見れば戦時のプロパガンダ的な典型的思考の仕方に則った主張を繰り返しているように思えた。それは山田風太郎だけではなく、同時代の他の著名な作家・詩人も同様の反応をしていることが本書で紹介されている。
ただ、本書に繰り返し引用されている山田や伊藤整のような日記を読むにつけ、単純にそれらが戦争を正当化したりあるいは欧米を盲目的に否定したりするのみで、まったく理解が示せないかというと、一方でやはりどこか、今から見て全くの茶番であるとか、そのような感じもしない。自分がもしその時に生きていたら、日本人として、やられたままでなるものか、という気持ちになるのだろうか?同胞のためと思って、死地に赴くことができるのか。戦争に関しての読書が興味深いのは、私自身がそのことに興味があるからだ。もちろん、ここに紹介されている作家たちは著者も指摘している通り、いわゆる銃後の存在であって、前線に立つ兵士たちはこんなに悠長な、ご大層な志など持っている暇はなかったのかもしれない。
それから興味深かったのは、キーン先生が対談中、日記文学は日本にしかない、と言っていたこと。日本人は日記をつけるのが好きらしい。面従腹背、ではないが、その場では黙して耐え、後でブログやTwitterで書く。確かに私も同じようなことをしている。またそれこそ現代はブログとかSNSがあるが、日記というものは考えてみると特殊な位置づけだ。本書中では荷風の日記が事後に編集されたことの事例が載っていたが、確かに、日記は自分のための本来つけるのだけど、一方他人に読まれることも想定していなくはない。ここで書いている感想も、本来は自分の読書の記録のために書いていたもののはずなのに、ではなぜブログの形にしているのだろう・・
ともあれ、「八本脚の蝶」を読んで以来、日記を読むことに興味を覚えてきた。本書も有名無名を問わず様々な書き手の日記のエッセンスを紹介していて、とても勉強になった。著者の日本への思いの深さも伝わってくる本だった。
Posted by ブクログ
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キーンさんが、アメリカに生まれ育ちながら、どのように日本に惹かれていったかがよくわかる。コロンビア大学時代、ケンブリッジ大学時代、そして日本でいろんな人と会い、交友を深めてゆく。有名人が多い。バートランド・ラッセル、ウェイリー、マリア・カラス、グレタ・ガルボ、三島由紀夫、川端康成、大江健三郎、安倍公
...続きを読む房、吉田健一、…。読んでいて華々しくもなる。日本文化を愛し、オペラを愛す。日本人になり、日本で亡くなったが、よい人生だったと思う。
Posted by ブクログ
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