あらすじ
なぜキーンさんは英語で書き、私に翻訳させたのか
ドナルド・キーンは生前、日本の新聞社・出版社の求めに応じて自伝を3冊刊行したが、まとまった評伝はこれまで書かれてこなかった。『日本文学史』をはじめ、長年のキーンの日本文学研究についての本格的な批評・研究もあまり見られないのではないか。数々の文学賞や文化勲章を受け、晩年に帰化してからは多くのメディアに登場したが、「学者ドナルド・キーンは、こうした受賞も含めて世間で持て囃されるか、あるいは無視されるか、そのどちらかの扱いしか受けてこなかったような気がする」と、40年来の友人で、『明治天皇』『日本人の戦争』などを翻訳した著者は指摘する。
ドナルド・キーン生誕101年、ユーモアと本物の知性を兼ね備えた文人の生涯をたどり、その豊かな仕事に光をあてる1冊。
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Posted by ブクログ
2023年刊。著者はキーンの長年来の友人(26歳下)。彼の著作も十数点翻訳している。
冒頭の章は「ドナルド・キーン小伝」(これのみキーン存命中の執筆)。キーンの自伝には4種類あるが、それらのコンサイス・バージョンといえる。亡くなる少しまえ、キーンも目を通し、お墨付きを与えている。
本書の目玉は、「私説ドナルド・キーン」の章。なぜ自伝を4つも書かなければならなかったのかから始めて、なぜ国文学や日本文学の研究者はキーンの仕事を黙殺(orスルー)するのかについて考察している。そこからキーンの仕事の本質が見えてくる。
なぜキーンは日本語で書けるのに、英語で書き、気心の知れた翻訳者に日本語にしてもらおうとしたのか。「ドナルド・キーンから学んだ翻訳作法」の章には、その答えも書いてある。
「エピローグ」。著者は若い頃キーンから毎週のように夕食に招かれた。シェリー酒を飲みながら、キーンの手料理ができあがるのを待つ。そして食事をしながら、よもやま話に興じたという。ああ、なんという贅沢。
Posted by ブクログ
本自体が薄い上質な紙でつくられています。そして「キーンさんという陽の温もりを一身に浴びて、その恵みに守られて生きて来たような気がする」という言葉に端的に表現されているように、相互の慈しみが感じられます。
日本語のもつ象徴性の高さに魅せられたドナルドキーン。「時には、詩人が一篇の詩の終りまで全く違った二組の影像を並行させて、少しも破綻を来さずにいることもある」という例として、
消えわびぬうつろふ人の秋の色に身をこがらしの森の下露
という藤原定家の歌を引きます。恋人に捨てられる人を描いただけでなく、風吹く森の消えそうな露をも、二つの同心円的に描いている、とのこと。確かに、どうして自然の円も描くのでしょうね。私自身は、定家から遠く、しかも薄っぺらくなってしまいました。